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復讐

「それ本当なの、ボブ」

 身長百六十センチほどの眼鏡をかけた少年が、割れた顎を持つ少年に詰め寄った。ここは割れた顎を持つ少年――接触テレパシー能力を持つボブの部屋だ。個室ではなく、彼と話している最中の眼鏡少年がルームメイトである。

 毎日なんらかの訓練を課される彼らが、日没前に自室にいるのは珍しいことだった。訓練担当のユキ・コーエン少尉は“体調不良”でしばらく勤務ができない上、中尉に昇進したジム・ヘルマンには急用ができたとのことであり、急遽自室での待機を申し渡されたのだ。

「しっ。声がでかいよアルバート。……ああ、俺の能力を使ったからな、間違いない」

 アルバートは十六歳の“被験体”である。ボブの三つ下だ。

「なんで僕には教えてくれなかったのさ」

「教えてどうなる。ノーラの自殺の原因がわかったところで、俺たちに何ができた?」

「だってノーラはランディのこと好きだったんでしょ。きっとランディだって。それを承知でベイリー大尉の奴……、酷いよ!」

 どの道“被験体”にまともな人権はない。同じ年頃の男女が集まっているとは言え、恋愛をしたところで付き合うための時間さえろくに与えられてはいないのだ。

「お前は普段おとなしいが、念動力の持ち主だからな。そうやって激昂して、ついベイリーの野郎を攻撃しちまったら、お前が処理されちまう」

「ぼ、僕が未熟で自制が足りないって言いたいの!?」

 実際に掴み掛かりはしないものの、唾を飛ばしてわめくアルバート。その態度こそ自制が利いていないことに気付いたのか、言い終えた直後にやや赤面して固まってしまった。

 そんな様子には気付かないふりをし、ボブが告げた。

「だが今じゃ、ランディの能力であの野郎こそ本当の操り人形だ」

「そのくらいじゃ、とてもじゃないけどランディの腹の虫は収まらないと思う。だってベイリーがそうなった原因って、作戦でヘマをしたからでしょ。その作戦でジャックとクレアが死んだんじゃないか! 全部、あいつが悪いんだっ」

 そう、ジャックとクレアが死んだ件は所長から聞かされる前に研究所内の端末でニュースサイトにアクセスして知ってしまっていた。報道では『身元不明の少年ら二名死亡』というぼかした伝え方だった。しかし、作戦と称してベイリー大尉に仲間たちが駆り出されたタイミングといい、墜落した輸送船があの(・・)【ポメラニアン】である点といい、報道が指し示す少年らが誰なのか、ボブたちにとっては考えるまでもないことだ。

 それを受けて自室でルームメイトと話していたボブは、これまで彼に黙ってきたことをつい漏らしてしまったのである。そう、“被験体”仲間だったノーラが自殺した原因を。

 やはり、教えるべきではなかったか——、ボブは頭を抱えた。このままベッドにもぐって寝てしまいたいところだが、万が一にもルームメイトが短絡的な行動を起こさないよう宥めておかなければならない。

「落ち着きなって、アルバート。間違ってもベイリーに手を出そうなんて考えるなよ。俺たちは【バレリーズ・パペット】なんだぞ」

 あえてその呼称を自虐的に使ってみた。

「僕、あきらめないよ。今受けさせられている訓練は、近い将来戦闘マシンとして扱われるためのもの。でも、いつかコントローラの支配から抜け出してやる。そしたらこの力、自分の意志で使うんだ。その時はベイリーの奴を真っ先に……」

 アルバートの言葉に、ボブは「やれやれ」と実際に声を出して首を振った。だが、引き締めた口元から「お前の言う通りだな」という小さな呟きを漏らすのだった。


     *     *     *


 ユキは傍目には昏睡してしまったかのように見えるが、そうではなかった。

 身体は思うように動かないが、意識が飛んでいるわけではない。

 身体中が火照っているような感覚に見舞われているが、実際に発熱しているわけではない。

 床に腰を下ろし、背中を何かに預けた格好で座り込んでいる。

 自分の肩を抱くと、疼くような快感に全身の筋肉が弛緩してゆく。さするつもりだったのだが、それをすると快楽の虜となってしまいそうだ。

 今この場には自分ひとりしかいなかっただろうか。いや、違う——断じて違う!

 ろくに身を守ることもままならない状況だが、最後の一線だけでも守らねば。ユキはそう決意し、自分の身体を触らないように両手をだらりと床に垂らす。

 なるべく冷静に自分が置かれている状況を分析したユキだったが、最悪の単語が脳裏にちらつく。

 催淫薬。

 男性用の勃起不全治療薬とは違って、女性にも効く媚薬や惚れ薬などはフィクションの産物だ。少なくともユキは、実在するという噂さえ聞いたことがない。だが、ここは超心理学研究所。無自覚とは言えここでの研究には異星人の技術が利用されている。

 この研究所内には、規模こそ小さいが薬物の研究施設もある。極秘開発の薬剤が保管されている可能性は否定できない。

 そこまで考えてようやく、荒い鼻息に気付いた。背後に誰かがいる。

 熱い吐息が首筋にかかった。

 妙に重い瞼を無理矢理こじ開けて様子を窺うと、大きな掌が視界に入ってくる。

 低い笑い声が聞こえて来て、ベイリー大尉に凭れていることにようやく気付いた。

 脂ぎった顔が間近にある。あまりの生理的嫌悪に身じろぎをしたが、抵抗はおろか立ち上がることさえままならない。

「わかっているよ、ユキ。君は気絶なんかしていない。この声が聞こえているんだろう。私は手癖が悪くてね。開発中の女性用催淫薬のサンプルを手に入れたのだよ」

(貴様それでも元軍人か)

 呆れるユキによる侮蔑の視線にもお構いなしに、ベイリー大尉はブレザーのボタンを愉しげに外していく。

(こんな奴に! 感じてたまるか)

 ボタンの位置に大尉の手が触れるだけでも、ユキの身体の中を快感という名の刺激が駆け巡る。おそらくは薬の影響だ。

「——————っ!」

 全身を突き抜ける刺激に仰け反る。喩えるなら、それは電流。

 胸元だ。ことさらに時間をかけてボタンを外されている。

 ブラウスのボタンにまで手をかけられ——しかし、まだ外されない。

 下手に揉まれるより、触れるか触れないかの力加減の方がよほど脳が蕩けそうになる。

 ベイリー大尉は薬の効果を最大限に利用しているのだ。

 漏れそうになる吐息を呑み込み、目と口をきつく閉じて必死に堪え続ける。

(すぐそばに彼がいるのに)

 こんな時に何を考えてしまうのか。そう思った途端、閉じたはずの口が僅かに開く。

 漏れそうになる声を堪え、無理矢理歯を食いしばった。

「おいおいユキ。我慢は身体に悪いぞ。もっとも、その方が私は愉しいのだがな」

 ベイリー大尉の汗ばんだ掌がユキの胸元を離れた。

 不覚にも気を緩めてしまい——

「んう」

 腿を掴まれ、思わず声が漏れる。

 執拗に撫で回されつつ、耳元で囁かれる。

「あきらめろ、バロウは起きない。奴は睡眠薬でぐっすりだ。まあ、起きても頼りにはなるまいがな」

 ベイリー大尉の掌が這い上ってくる。ゆっくりと、スカートの内側を目指して。

「………………ん……んっ……」

 ユキはありったけの嫌悪感を総動員し、全身を這い回る快感を必死で打ち消した。

(もう……)

 だめだ、と胸中で呟きかけたが、再び歯を食いしばる。あきらめてしまえば、快楽に支配されてしまう。

 ——スレッジ!


「ごあ!」

 唐突に妙な叫び声を上げ、ベイリー大尉の身体がユキから離れた。

 ユキは目を開けた。ベイリー大尉は床の上で大の字になっている。

 思わず振り向く。毛布がめくれており、ベッドに寝ていた人物の片腕が縁から床に向けて垂れている。そしてそこから感じられるのは自在空フィールドの揺らぎ。

「ス——」

 思わず顔を綻ばせ、その名を呼びそうになったが、咄嗟に口を噤む。

 人の気配。ベイリーではない、部屋の中にもうひとり別の人物がいる。

「な、なんだ。今何が起き——」

 重い物が転がる音が病室に響いた。

 驚いて振り向いたユキの目に、ベイリー大尉が再び床に転がる様が映る。

 そして、彼の正面にいるのはひとりの少年。振り上げた足を元に戻し、仁王立ちしている。

「ランディ?」

 その顔を確認したユキが呟いた。

 彼の全身から発せられる暴力的な波動に圧倒されたわけではないが、彼女はブレザーの前を合わせると、後退りしてスレッジが寝ているベッドに背を預けた。

 やがてベイリー大尉が頭を振りつつ上体を起こし、声を荒げる。

「貴様、“被験体”の分際でこの私を足蹴にするか」

「黙れドスケベ野郎」

 ランディは剥き出しの憎悪を視線に込めてベイリー大尉を睨み付けている。

「ノーラは貴様のせいで死んだ」

「なに」

 ベイリー大尉はランディが呟いた少女の名に心当たりがあるようだ。ユキも知っている。八十六番のクローンに与えられた名前の持ち主だった少女だ。

「ほう。貴様、操り人形のくせにあの“被験体”に欲情していたのか。残念だな、自殺してしまって」

 それを聞いた途端、ランディの顔から表情が消えていく。

「なにが自殺だよ」

 一見無表情に見えるランディだが、その瞳には妖しくも強烈な光を宿している。

「俺たちはな! 簡単に自殺できないよう精神操作を受けさせられているんだぞっ」

「そいつはお前等だけだ。なにしろフィールド能力を持つ大事な“お人形さん”たちだからなぁ!」

 ベイリーは尻餅をついたような格好のまま、歪んだ笑みを貼り付けてランディを見上げている。最早大尉としての威厳などどこにもない。対照的に、ランディの表情はどこまでも冷えきっていた。

「黙れレイプ魔。ノーラは貴様が殺したんだ」

「そうか? 自殺の原因なんて案外別のことなのかもしれないよ。私はね、若い娘が当然のように求める刹那的な快楽って奴を提供しただけさ。それにあの晩、ノーラはとても積極的だったぞ」

 黙って聞いていたユキが、肩をぴくりと跳ねさせる。

 幻聴かも知れない。だが彼女には聞こえたのだ、ぶちっという音が。とても太い何かが、切れる音が。

 次の瞬間、肉を打つ重い音が響いた。

「ぐ……はぁ」

 うずくまるベイリー大尉に鋭い目を向け、ランディは拳を高く振り上げた。

 眉を吊り上げ、歯を剥き出したランディの形相たるや鬼神の如しである。

「ま、待て」

 ベイリー大尉の制止など意に介さず、続く動作で拳を振り下ろす。その拳は大尉の顔面を狙って真っ直ぐに落ちていく。

「っ!」

 だが、ランディの鉄槌は空振りに終わった。

 彼の身体が真後ろに吹っ飛んで行く。迸る光条が彼を押し返しているのだ。

 いつの間にかベイリー大尉の手に光線銃が握られていた。

 壁際まで吹っ飛ばされ、壁に背を預けて座り込む格好になったランディ。しかし彼は無傷である。

「訓練不足だぞ。貴様もフィールド使いなら、この程度の不意打ちくらい完璧に対応してみせろ」

 新たな声が場の全員の鼓膜に届く。悠然と病室に入ってきた人物が、ランディの脇を抱えて立たせた。

「ヘルマン中尉」

「貴様っ」

 ランディとベイリー大尉が同じ人物に呼びかけた。呼びかけられた方の人物はベイリー大尉に冷たい視線を突き刺す。

「困りますなあ、大尉」

 ベイリー大尉が銃口を向けるのと、ヘルマン中尉が鋭い蹴りを繰り出すのはほぼ同時。大尉には引き金を引く時間が与えられなかった。音を立て、光線銃が床を滑っていく。

 手首にも少なからぬダメージを受けたらしく、ベイリー大尉は苦痛に呻いている。その様子を無視し、ランディがヘルマン中尉に話しかけた。

「……最初から見ていらしたんですか、ヘルマン中尉」

「ルーデルを見舞いにきたら貴様が部屋に入るのが見えたのでな。ところで、ノーラの自殺の原因については折を見て話すつもりだったのだが、すでに貴様等は知っているようだな」

 ランディはそれには答えなかったが、ヘルマン中尉は特に気にせずベイリー大尉を見下ろした。

「ランディの催眠暗示を打ち消すほどの性欲をお持ちだとは。感心しますよ、ベイリー大尉」

「…………」

 無言のベイリー大尉を無表情に眺めつつ、ヘルマン中尉はランディに声をかけた。

「催眠暗示だ。今度は最高にきつくかけてやれ。人格が崩壊するレベルで構わん。明日一日もてばいいのだからな」

「はい」

「なにを! ……ぐわっ」

 無謀にもふたりのフィールド能力者に突進するべく立ち上がったベイリー大尉を、ランディが殴り倒した。尻餅をついた大尉が口の中にたまった血を吐くと、折れた奥歯が一本飛び出した。

 悔しそうにランディを睨み付けるベイリー大尉。しかしランディと目が合った途端、白目を剥いた。彼は床の上で四、五回痙攣するように動き、やがて大人しくなった。

「ランディ。この男には浅からぬ恨みがあるだろうが、復讐はここまでで勘弁してはもらえないか。どうせこいつは明日の取引までの命なのだ」

 無言でうなずくランディの様子を見届けたヘルマン中尉は、ベイリー大尉に近寄ると膝を折って話しかける。

「さて、大尉。取引が前倒しとなりました。明日、先方にノーマルの“被験体”を五体納品します。いきなりあなた抜きでの取引となれば先方の信用が得られませんのでね」

 一旦閉じた瞼を開け、ガラス玉のように虚ろな目で頷くベイリー大尉に満足そうな笑みを向けた後、ヘルマン中尉はユキに話しかけた。

「無事かね、コーエン少尉」

「はい。全身に違和感と倦怠感がありますが、じきに動けるようになります」

「無理はするな。休んでいたまえ」

 ユキはベッドに預けていた上体を慌てて前傾させ、ヘルマン中尉に訴えた。このままでは明日の取引の現場に同行することができなくなる。

「いえ、本当にすぐ回復しますので――」

「命令だ。しばらく休みたまえ」

 ユキは床に両手をついたが立ち上がれずにいた。残念ながら、その状態で回復を訴えたところで説得力はない。

「……はい」

 部屋から出て行くヘルマン中尉の後を、ベイリー大尉が夢遊病者のような足取りでついていく。最後に部屋を出るランディも、夢遊病者に似ているという点において大尉と大差なかった。


     *     *     *


 行き先はわかっていたが、ボブはつい詰問口調となってしまう。

「どこに行ってたんだ、ランディ」

 部屋に戻って来るなり、ランディはベッドに潜り込んでしまった。ボブにもアルバートにも目もくれない。

「どうした、ランディ」

 肩を揺すろうとするボブの手を乱暴に払い除け、返事もせずに寝てしまう。

 驚いた顔をして自分の手を押さえているボブに、アルバートが話しかけてきた。

「どうしたのさ、ボブ。痛かった?」

「いや、ランディはそっとしておこう。キムの部屋にいくぞ」

 そう言って部屋を出て行くボブに続き、アルバートも慌てて歩き出した。部屋を出る前にもう一度ランディの様子を見ようと振り向き、その拍子にずれてしまった眼鏡をかけ直す。

「何があったんだろう」

 心配顔のアルバートに対し、廊下に出るなりボブが小声で説明した。

「今、俺の能力が発動した。あいつ、復讐は果たしたようだ。だけど、初めて自分の能力で他人を――、ベイリーの奴を廃人に」

 ボブは口を噤んだ。廊下にヘルマン中尉がいたのだ。中尉はひと組の男女に何らかの指示を与えている。

 男は発火能力者のキム。ボブと同じ十九歳だ。身長百八十センチ、仲間内で一番高い。細い目と丸鼻が特徴的で、顎に縫合痕がある。

 女はハウリング能力者のハンナ。身長百六十八センチで、肩胛骨に届く長さの黒髪と切れ長の目が特徴的な十八歳の少女だ。

 ヘルマン中尉はボブとアルバートに気付き、振り向いた。

「ちょうどよかった。明日の任務について説明する。

 私はキムとハンナを連れて所外での任務につく。貴様等とランディはここに留まりルーデルを護衛せよ。

 実は先ほど、何者かがルーデルを連れ去ろうとした。くれぐれも気を抜くなよ。……質問は」

 一瞬、“被験体”たちは互いに顔を見合わせた。

 真っ先に挙手したのはボブだ。ヘルマン中尉からの指名を待ち、発言する。

「ルーデル氏誘拐を目論む者の正体および戦力規模。我々が携行すべき武器を知りたいです」

「敵は正体不明のフィールド能力者一名。私も本日接触したばかりで未確認情報だが、我々の取引相手と敵対関係にある組織の疑いがある。そのつもりで臨め。通常の光線銃は無効だ。ブラストライフルの使用を認める」

 ブラストライフル。その単語を聞き、素手かせいぜい光線銃一丁を予想していた“被験体”たちに緊張が走る。火薬式のマシンガンほどではないが、その破壊力は光線銃より格段に高い。ちなみに、軍でも警察でもないのにブラストライフルを所有するのは違法だが、ここには“被験体”の人数分だけ用意されている。

「フィールド能力の研究者は貴重だ。何としても死守せよ。以上だ」

「了解」


 指示を終えて立ち去るヘルマン中尉を見送った後、ボブはキムとハンナに話しかけた。

「ジャックとクレアのことなんだが」

 しかし、ボブは続きを言えなかった。キムが強い口調でかぶせてきたのだ。

「俺たちは必ずあいつらの仇をとるぜ。ジャックとクレアは死んだ。賞金稼ぎどもにやられたんだ。この命に代えてもここを抜け出し、賞金稼ぎどもをぶち殺す。この手でな」

「それまではせいぜい大人しく【バレリーズ・パペット】を演じ続けてやるわ」

 ボブは意外だった。なにしろ、これまでキムとハンナのふたりは、ジャックとクレアのことを先頭に立って馬鹿にしていたのだ。くだらないことに、ペイジ孤児院出身者ではなくストリート・チルドレンだったという理由だけで。

 強力な特殊能力を持っていることもあってか、仲間内におけるキムとハンナの影響力は大きい。結果として“被験体”の中でもジャックとクレアのふたりは浮いた存在となり、いつも孤立していた。

「どういう風の吹き回しだよ……。いや、そんなことより」

 ボブは真剣に訴えた。賞金稼ぎのスレッジは本気で自分たちからナノマシンを取り出して助けようとしてくれていることを。そして、ジャックとクレアを殺した真犯人は賞金稼ぎではなくルーデル誘拐を狙う輩と同一犯の可能性があることを。

 だがキムとハンナの反応は冷ややかだった。

「おめでたい野郎だな、ボブ」

「そうよ。あたしらは誰も信じない。ナノマシンを埋め込まれたのだって、甘い言葉を信じた結果。ナノマシンは大人たちにとって、理想的な兵士を作る便利な道具よ。もし本当に取り出せる方法があるとしても、あたしらに近付くような大人がただで取り出すはずがないわ」

 ボブは食い下がった。

「いや、でも俺はヘルマンについて外に出かけた時、賞金稼ぎの仲間に“接触”してるんだ。彼らは本気だ、妙な下心なんてない。信用できるよ」

 これを聞いても、キムはにべもない。

「だからどうした。きっとそいつらのバックにはバレリーと似たような老獪な奴がいるに違いないんだ。なるほど、現場の連中は本気で俺たちを助けようとしてるのかもしれん。だがジャックとクレアは死んだ。少なくとも、賞金稼ぎどもが近付きさえしなければ今だってまだ生きてたはずなんだ」

「それに、もし助かったとしてもあたしらは今後も利用され続けるんだわ。『今この瞬間から君たちは自由だ』と言われて放り出されたところで明日からの衣食住にも困るのは目に見えてるんだから、絶対そこにつけこまれる。だったらフィールド能力を温存して、命を賭けてジャックとクレアの仕返しをする。今はそのタイミングを測る時よ」

 発火能力とハウリング能力。“被験体”の中でも最強の二人は、ナノマシンによって他人に生殺与奪権を握られている状況への不満が特に強いのかも知れない。彼らの不満は既に暴発寸前まで内圧を高めているのだ。

 何より、彼らの強い復讐心は、死んだ二人のことを仲間と認めている証拠ではなかろうか。ボブは反論を断念した。

「どう? あんたたちも協力する?」

 問われ、アルバートと顔を見合わせる。彼は困惑顔のボブに軽く頷きかけてきた。ルームメイト同士、通じるものがあるようだ。

 ハンナの質問にはボブが答えた。

「俺たちは……。俺たちに手を差し伸べようとしてくれる人を信じるよ」

「はっ。輸送機ごと落とされて二か月の重症を負った奴を信じるだと? いいか、繰り返しになるが、俺たちの復讐のターゲットにはその賞金稼ぎも含まれている。そいつが近付かなきゃジャックとクレアは生きていたはずなんだ」

「……」

 返事をしないボブに、キムは挑発的な言葉を浴びせてきた。

「知ってると思うが、俺とハンナのタッグは最強だぜ。てめえらごとき三人まとめて相手にしても敵じゃない。それでも俺たちの邪魔をするかい」

 首を横に振るボブとアルバートに侮蔑の視線を投げ、キムとハンナはそれぞれの自室へと歩き去っていく。

「邪魔なんかしないさ。ただ、目の前に生き残るチャンスがあるってのに、わざわざ死に急がないで欲しいだけなんだ」

 ボブは彼らの背に呼び掛けてみたが、キムとハンナは無反応のまま自室に入ってしまった。


     *     *     *


 規則的な電子音がリズムを刻む。

 骨折した同僚に代わって、デイビッド・ジョンソンが一人で端末を操作している。彼の眼鏡は曇り、その黒髪はいつも以上にぼさぼさになっていた。

「システムオールグリーン。脈拍正常。呼吸正常。脳波異常なし」

 八十六番のシリンダーがゆっくりとスライドしていく。基部が部屋の中央に、上部が床に向かって下りていき、床面と平行になったところでシリンダー内部を満たしていた液体が排水ポンプを通じていずこかへと排水されていく。

 わずか二年半の間に急速に成長させられたクローンたちは、十五歳程度の肉体年齢に達している。男女差はあるもののいずれも同じ顔をしているのだが、その中でただ一体、八十六番だけは――

「どことなく、ハンスと顔つきが似てるような気がする……。ま、気のせいだよな、ここんとこずっとハンスと八十六番ばっかり見てたから」

 やがて完全に排水された。一糸纏わぬ少女の濡れそぼった肢体が露わになっていく。百五十五センチ、四十キロ。クローンを急速成長させた成長促進システムの効果によるものか、均整の取れた肉体はモデル並みと言っても過言ではない。

 デイビッドが操作している端末から八十六番のシリンダーまでの距離はわずか二メートルだ。しかし、デイビッドは無感動な研究者の目でクローン八十六番を眺め、黙々と端末を操作し、時折計器をチェックする。

「間もなく十二時、予定通りだ。ハンスのプログラムに間違いがなければ、これで起きるはず」

 デイビッドが手元のボタンを押すと、クローンの口を覆っていた酸素ボンベ状の器具が外れ、ゆっくりとシリンダー上部に格納されていく。

 それを確認し、デイビッドは別のボタンに手を伸ばす。

「さあ、シリンダーを開けるぞ」

 ボタン押下。その瞬間——


 唐突な破裂音がデイビッドの鼓膜を叩く。

 同時に強烈な光に襲われ、彼はたまらず両手で目をかばった。音と光はすぐに止み、おそるおそる手を下ろしてシリンダーを見る。

「なっ!?」

 腰を浮かせたデイビッドの視線の先で、シリンダーの上半分が粉々に吹き飛んでいた。

 砕けたガラス片が部屋の照明を反射してキラキラと舞い散る中、クローン八十六番は上半身を――いや、すでに全身を起こし、二本の足でしっかりと立っている。

 腰に届く黒髪は水分を含んで上半身にはりつき、降りしきるガラス片の光と相俟って幻想的なたたずまいである。寝ているときと同じ無表情のままだが、その目はしっかりと開き、デイビッドを真正面に見据えていた。

「あたしはダフネ。この娘の教育プログラム。緊急事態につき、問題が排除されるまでこの娘の肉体を支配します。死にたくなければ伏せなさい、デイビッド・ジョンソン」

「……え?」

 デイビッドはクローンが催眠学習を受けていることはもちろん知っている。だが、たった今目覚めたばかりで、実際に発声した経験のないクローンが会話によるコミュニケーション能力を得るためには発声訓練が必要なのだ。それだけではない。

「人格を備えた教育プログラムだと。そんなの聞いたことないし、ハンスだってひとことも――」

 どうしても研究者としての疑問が先に立ってしまうデイビッドであった。

「早く」

 デイビッドに向かって片手を伸ばし、掌を向けながらダフネが促す。そのダフネに、背後から黒い人型をしたものが抱きついてきた。

 ダフネは視線をデイビッドに向けたまま冷静に呟く。

「できれば助けたかったのですが、見ての通りです。そちらの問題は自力でなんとかしなさい、デイビッド・ジョンソン」

「……」

 予想外の事態に呆けたままのデイビッドの背で、黒い影が蠢いた。




 地下六階、クローン研究フロアで白光が炸裂した。

 それに続く破裂音、そして爆風。

 ある意味美しいとさえ言えるその光景を、デイビッドが知覚することはなかった。永遠に。


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