あっ、そういうの間に合ってますので
モーデル・テンプルェイは恋人を抱きしめながら仰々しくため息をついた。
(ああ、俺はなんて不幸なんだろう)
本当にそう思わずにはいられない。静かな校舎裏にモーデルのため息が再び響いた。
「モーデル様、わたくしはこれ以上耐えられませんわ。こんな風に人目を避けて会うことにはもう疲れてしまいました」
「そんなことを言わないでくれアルテマ。俺は君に会えなければ息もできないというのに」
切なげに声を掠らせながら、モーデルはアルテマを撫でる。二人がこんな風に隠れて逢瀬を重ねているのには理由がある。モーデルには他に婚約者がいるからだ。
モーデルは侯爵家の長男として生まれた。テンプルェイ家は国内有数の名家であり、将来爵位を継ぐために由緒ある家柄の配偶者が必要だった。
そこで選ばれたのがモーデルの現婚約者であるゾーイだ。
ゾーイは先代将軍の孫娘であり、母親が王族の血縁者という高貴な女性だ。けれど、彼女の魅力は身分だけ――少なくともモーデルはそう思っている。
真っ黒で光沢もなく、眉のあたりで切りそろえられた重たい前髪は野暮ったいし、常に気だるげに細められた瞳はこちらを値踏みしているかのようで気味が悪い。手足はひょろ長く女性らしい凹凸もないし、声までもが無愛想でこちらを馬鹿にしているように感じられた。社交性がなくクラスでも虐められていると聞くし、洒落っ気もない。これで名家の娘か?と尋ねたくなってしまう有様だ。
「だけど、わたくしたちの関係に未来はないでしょう?」
アルテマはモーデルの胸に顔を埋めながら、そう尋ねてきた。
三年前からクラスメイトとして交流を重ね、一年前に恋人へ昇格したアルテマは平民出身の女性だ。彼女は成績が優秀だったことから、特待生として王立学園への入学が認められた。
けれど、家は貧乏だし、父親は男爵位や騎士爵位すら持っておらず、過去にも貴族との血縁はない。つまり、モーデルの結婚相手にはなりえない女性だった。しかし――。
「そんなことはない」
と、モーデルは首を横に振る。今にも泣き出しそうな表情のアルテマの頭を撫でながら、彼はゆっくりと目を瞑った。
「俺は君がいなければ生きていけない。だから――決めたよ。ゾーイとの婚約は破棄する」
「本当ですか?」
アルテマが瞳を輝かせながらモーデルを見上げる。モーデルは少しだけ躊躇いを見せたものの、やがて大きく頷いた。
「俺は馬鹿だ。もっと早くに決断するべきだった。……待たせてしまってすまなかった、アルテマ。ずっと一緒にいよう」
「モーデル様!」
二人は互いをたっぷりと見つめた後、強く抱きしめ合う。先程までとは打って変わり、モーデルはとても良い気分だった。
「それで、ゾーイ様との婚約はいつ破棄なさるおつもりですか?」
「そうだな……」
モーデルは静かに首を傾げる。
普通に考えたら、まずは互いの両親に話を通し、円満に事を運ぶべき案件だろう。
けれど、テンプルェイ侯爵家は名家の出身であるゾーイを逃したくないと考える可能性が高いし、アルテマの身分では結婚が認めてもらえない。
(やはり正攻法ではダメだ。ゾーイとの婚約を『破棄しなければならない』理由が必要だし、アルテマに同情を集めて株を上げておきたい。加えて、俺とアルテマの婚約について、侯爵家が後戻りできないような状況を作るとなると……)
モーデルはほんの少しだけ頭を悩ませた後、アルテマへと向き直る。
「数日後に開かれる卒業パーティーのタイミングで皆に発表しようと思う。ずっと前からどうすればいいか考えていたんだが、やはりそれが最善だ。そうすれば――」
「その必要はありませんよ」
と、誰かがモーデルの言葉を遮った。声がした方を振り向くと、そこにはジトッとした目で二人を見つめているゾーイがいるではないか。
「ど、どうしてここに……」
「どうしてもなにも、こんなに頻繁に逢瀬を重ねていらっしゃれば当然私の耳にも入ります。教室を抜け出す際にも、クラスメイトにわざわざ毎回同じ言い訳をしていらっしゃるそうですし。お二人ともコソコソする素振りを見せていらっしゃいますが、本当は皆に関係をバラしたいのだろうともっぱらの噂でしたよ。卒業前に変な行動を起こされては皆さんに迷惑がかかるので、こうして後をつけてきたんです」
「なっ……」
モーデルの顔が真っ赤に染まる。
ゾーイが小馬鹿にしたような態度を取ってくるのは今に始まったことではないが、恥ずかしさと屈辱感でモーデルは胸がムカムカした。
「それで、先程のお話の続きですが、婚約破棄をなさるなら私から両親に話を通します。わざわざ卒業パーティーで阿呆なことをなさる必要はございません。――というか、本当にそういうの間に合ってますから。迷惑なのでどうぞお止めください」
「阿呆とはなんだ! 大体、俺がなにをしようと思っているのか、おまえにはわからないだろう?」
ゾーイはモーデルをじーっと見た後、深く大きなため息をつく。
「モーデル様がなさることなど、たかが知れているでしょう? 色々と型通りすぎますし」
「たかが知れているだと!? 本当は俺のことなどなにもわからないくせに」
「……では、当ててみせましょう」
ゲンナリと呆れたような表情を浮かべ、ゾーイは一呼吸置いてから話し始めた。
「先程モーデル様は卒業パーティーで私との婚約破棄を『発表する』とおっしゃいました。しかし、そもそも婚約破棄はわざわざ発表するようなものではございませんよね。というか、パーティーは卒業生全員のものであって、特定の誰かが、そこでなにかをしでかすことは想定されておりません」
「……」
だからなんだと噛みついてやりたいところだが、ゾーイの言うとおりなのでなにも言えない。モーデルの心臓がドクンドクンと大きく鳴る。
「しかし、あなたは卒業パーティーをご自分の独壇場に変えようとしているのです。わざわざ参加者たちの視線を集め、パーティーの進行を止め『ゾーイとの婚約を破棄する!』と高らかに宣言をしようとなさっている――違いますか?」
ゾーイから視線を逸らしつつ、モーデルは眉間にシワを寄せた。
(違わない)
けれど、そうと認めたくはない。モーデルは沈黙を貫いた。
「最近、そういうひな型が流行っていますものね。数年前に隣国の王太子が先陣を切ってから、毎年のように各国の貴族が真似していると聞いています。我が国でも今年だけで数件、似たような事案が起こっているのだとか。少し無理筋な恋の行方も、イベントの特別感と仰々しい演出により上手くいくことがある、というのが理由の一つなのでしょう。あとは単純に優越感に浸れるから『やってみたい』と思うのかもしれません。夜会を支配したり、婚約者に屈辱を与えたり――モーデル様が好みそうなことです」
手のひらに爪が食い込むが、モーデルは我慢した。
「とはいえ、夜会での婚約破棄は成功談もありますが、失敗談のほうが圧倒的に多いです。モーデル様の場合は間違いなく失敗するので、止めたほうが良いと思いますよ」
「どうしてそういい切れるんだ! やってみないとわからないだろう!」
あまりにも淡々と断言をされたため、モーデルはついつい言い返してしまう。
「――不敬罪で捕まりたいなら止めませんけど」
「不敬罪? そんなこと、あるはずないだろう」
フンと鼻で笑いつつ、モーデルは大きくふんぞり返った。
彼らの学年にモーデルよりも身分の高い人間はいない。いれば卒業パーティーを台無しにされたとして罪に問われても仕方がないが、今回はそういった心配はないため、婚約破棄が成功すると踏んでいた。それなのに、ゾーイは全くおかしなことを言う。先程までの苛立ちはどこへやら、モーデルはニヤリと口角を上げた。
「負け惜しみは見苦しいぞ、ゾーイ」
「別にそんなんじゃありませんが――まあ、いいです。途中で話が逸れましたが、モーデル様の型通りの行動についての説明でしたね」
「ゾーイ! おまえ!」
と、モーデルがゾーイに掴みかかったところで横から誰かがその手を掴む。ゾーイと同じクラスの田舎貴族リュナスだ。
腰まで届く長い銀の髪に金色の瞳、女性と見まごうような中性的な美しさを誇る男性であり、モーデルも存在だけは知っている。何故かといえば、二年前に彼が学園へやってきた際、あまりの美しさに学園中が大騒ぎになったからだ。
確かに、リュナスは男性の自分でも惑わされそうになるほどの美形だし、ひと目拝みたい、あわよくばお近づきになりたいと思うのも無理はない。
(まあ、アルテマは俺に夢中だったがな)
どれだけ美しくとも、位の低い田舎貴族よりも自分のほうが上だ。優越感にニヤリと笑いながら、モーデルはリュナスを睨み返した。
「その手を放せ。俺が誰だかわかっているのか?」
リュナスは細くナヨナヨして見えるというのに、ものすごい馬鹿力だ。噛みつかんばかりの勢いでリュナスに向かって怒鳴りつけながら、モーデルは痛みをグッと堪える。
「おまえこそ、愚かにもほどがあるだろう」
対するリュナスは淡々とそう言い放った。けれど、その凍てつくような表情や眼差しから彼が激怒していることがひと目でわかる。モーデルの体がゾクッと震えた。
「話を続けてもよろしいでしょうか?」
暴力を振るわれかかったというのに、ゾーイは何事もなかったかのような顔つきでこちらを見ている。リュナスが「そうしろ」と返事をすると、ゾーイは小さく頷いた。
「そもそも、モーデル様は私との婚約解消がご両親に認められないと思っていますよね? このため、卒業パーティーで婚約破棄を発表するにあたり、私に非があるとアピールするに違いありません。でなければ、ただのバカ――いえ、どちらにしても愚かな行為ですが――周囲の人間を巻き込む意味がありませんから」
ゾーイの言葉にモーデルがグッと歯噛みする。リュナスはモーデルを睨みつけつつ、腕にグッと力を込めた。
「おそらくはアルテマ様との関係を正当化するため、私が彼女をイジメていたとでっち上げるつもりだったのでしょう。そうすれば、侯爵家から婚約破棄が認められる可能性がグンと高くなります。まあ、アルテマ様と結婚できるかどうかは別の話ですが、同情票も集まり悲劇のヒーローぶれるので都合がいいのでしょう」
図星を突かれ、モーデルの表情が険しくなる。反論しなければと思うが、考えが上手くまとまらないし、言い負かされる未来しか見えない。それでも、なんとかしてゾーイを貶めてやろうとモーデルは口を開いた。
「うるさい! おまえなんてクラスで孤立している上、虐めまで受けているという話だろう! 名家の人間が情けない!」
「それ、今回の件に全く関係ないじゃありませんか。ですが、まあいいでしょう。モーデル様――それ、情報が古すぎます」
「は?」
モーデルが聞き返すと、ゾーイはジト目をさらに細める。
「確かに、クラスで浮いていたことは認めます。そもそも、溶け込もうという気がありませんでしたし、高貴なご令嬢とは話も合いませんから。そんな中、教科書を隠されたり手が滑って水をかけられたことがあったのも事実です。が、私がそのままやり返さないはずがないじゃありませんか」
ニタァと口角を上げ、ゾーイはモーデルではなくアルテマの方を向いた。
「別に放っておいても良かったんですけど、彼女たちの行動がバレたら私を溺愛している祖父が騎士を率いて報復に来かねませんからね。さっさと犯人を突き止めて、嫌がらせを止めるべきだと判断したんです。お陰様で、現在では『大変良好な』関係を築かせていただいていますよ」
「――ちょっと待ってよ、騎士を率いて報復ですって……?」
ゾーイの祖父が将軍だったことを思い出しながら、アルテマがガタガタと震える。しかし、モーデルは「どうせこけおどしだろう?」と鼻で笑った。
「だったら良かったんですけどね。祖父は少々ぶっ飛んだところがあり、私になにかあれば世界を滅ぼしかねない男性です。モーデル様にはお伝えしないようにしていましたが、あなたとの婚約が決まったときもそれはそれは荒れ、侯爵家に乗り込もうとするのを阻止するのに苦労をしました」
あまりにも淡々としたゾーイの説明に、モーデルはゴクリと唾を飲んだ。できることなら誇張された話だと思いたい。が、万が一本当なら、自分に待ち受けている未来は相当過酷なものになるだろう。
「まあ、そういうわけなので、夜会での婚約破棄は全くおすすめできません。普通に円満に婚約を解消すべきだということがご理解いただけましたでしょうか?」
ゾーイはそう言ってニコリと微笑んだ。笑顔を浮かべてもなおふてぶてしいことに、モーデルは強く苛立ってしまう。
「いや、俺は――やる。アルテマとの未来を守るためには、やはりこれが一番なんだ。だから……」
「ですから、アルテマ様との未来を守る前に、あなたの未来がなくなってしまいますよ?」
ゲンナリとため息をつきつつ、ゾーイはやれやれと両手を広げる。怒りのあまりモーデルの全身がカッと熱くなった。
「おまえに俺の未来を語られたくなどない! そもそも、先程からどうしてそんな風に言い切れるんだ? どうなるかなんて、やってみなければ誰にもわからないだろう!」
「――そうですね。でしたら、試してみてください。まあ、そちらの高貴な男性が『そのようなことをしたらただじゃおかない』と言っていたので結果は見えておりますが」
「……は?」
ゾーイが指し示したのはリュナスだった。彼は未だにモーデルの腕を掴んでいるし、今にも刺し殺さんばかりの表情でこちらを睨んでいる。しかし、モーデルはわざと声を上げて笑うと、勝ち誇ったかのような表情を浮かべた。
「バカめ! ただの田舎貴族にできることなどなにもないだろう! 今ここで俺に危害を加えていることも、俺は不問にする気はない。後から存分に後悔することになるというのに」
「言っときますけど、リュナス様は隣国の王弟ですよ?」
「「え?」」
モーデルとアルテマが大きく目を見開く。
「嘘だろう! そんなこと、あるはずが……」
「最初は普通に隣国の王立学園に通われていたらしいのですが、身分とその美しすぎる見た目のせいで令嬢が押し寄せ、全く授業にならなかったそうです。このため、おばあさまのご生家に協力を仰いで二年前からうちの学園に留学をしていらっしゃいます。まあ、偽名を使っていらっしゃいますし、気づかないのも無理はありませんが……」
「だが、おまえは気づいただろう」
リュナスはそう言ってゾーイを見つめた。
「他にも何人か、薄っすらと気づいている生徒はいる。特に高位貴族ならば、あらゆる情報をつなぎ合わせて予測を立て、行動するのが当たり前だ。それなのに、おまえの婚約者ときたら……」
ヒッとモーデルが悲鳴を上げる。
(俺はこれまでなにをした?)
リュナスに対する言動を思い返しながら、モーデルから血の気が引いていく。ゾーイの言うことが本当なら、彼は確かに命拾いをしたのだろう。身分を明らかにしていなかったとはいえ、リュナスが『不敬だ』と判断すれば、モーデルの貴族としての未来はなくなりかねなかった。
「とはいえ、ゾーイとの婚約を解消するという決断をしたことについては評価をしよう。これで私が正式に求婚できるからな」
「――受け入れるつもり、ありませんけどね。ようやく厄介な婚約者と縁が切れるというのに、更に厄介な男性を選ぶ女はおりませんから」
「私のほうが厄介だと言いたいのか?」
「ご自覚がないんですか?」
ゾーイとリュナスが軽口を叩き合っている様子を呆然と見ながら、モーデルは肩を落とす。
アルテマと結ばれるためには、やはり正攻法で努力するしかないのだろう。しかし――。
「あの……リュナス様、よろしければこの後、わたくしと二人きりでお話をする時間をいただけませんか?」
「は? あ、アルテマ?」
ふと見れば、アルテマが頬を染めながら、リュナスにすり寄っているではないか。
「おまえはなにを言っている」
「わたくし以前からリュナス様のことを、本当に素敵な男性だと思っていたのです。いつか、お話してみたいとも。こうして近くでお会いする機会をいただけて、その気持ちが抑えきれなくなってしまって……ゾーイ様はリュナス様の求婚を受けるつもりはないご様子ですし」
大きな瞳を何度も瞬かせ、アルテマはリュナスを見つめている。その表情は恋する女性そのもので、モーデルはショックのあまり愕然と膝から崩れ落ちてしまう。
「――身分を明らかにする前は見向きもしなかったくせに」
「まあつまり、アルテマ様はモーデル様自身ではなく、その身分に惹かれていたということですね」
「違う!」
勢いよくそう否定したものの、本当はモーデルだってゾーイが正しいと思っている。けれど、それではあまりにも惨めだし辛すぎる。
「アルテマ、違うよな? 俺という恋人がいながら、リュナス様とお近づきになりたいだなんて思わないよな? 単純に、少し話してみたいだけなんだよな?」
「恋人? わたくしにそんな存在はおりませんわ。モーデル様が勝手にそう思っているだけです」
アルテマがピシャリと言い放つ。まるでこれまでのやり取りがまるで存在しなかったかのように。
アルテマも自分を愛してくれているのではないか――そんなモーデルの想いはあっさりと打ち砕かれてしまった。まるで心臓が粉々になったかのような絶望感に、モーデルは静かに涙を流す。
ゾーイはモーデルの肩をポンと叩いた。リュナスが「俺以外の男に触れるな」と咎めたが、流石に気の毒なのだとゾーイは言う。
「ゾーイ……」
モーデルはゾーイを見上げた。ぶっきらぼうな手つきだし、無愛想ではあるものの、そこには自分への愛情が含まれているように感じられる。
「色々すまなかった。……やり直そう」
「あっ、そういうの間に合ってますので」
にべもないゾーイの返事に、モーデルは放心し、そのままバタリと倒れるのだった。




