第6話 王の裁き
余の息子が、人を殺した。——これが報告書の要約だ。
冬至の朝。書斎の窓から、凍った中庭が見える。十年前に妻を亡くしてから、冬至の朝はいつもこの窓の前で過ごす。妻が好きだった庭を眺めて。
今年は庭を眺める余裕がない。
机の上に積まれた書類。報告書。陳情書。北方からの抗議文。禁書庫から出てきた精霊に関する文献。ディートリヒの裁判記録。フローラ・ローゼンベルクの手帳の写し。そして——手紙の写し。
手紙を読んだ。処刑前夜に書かれた、三枚の便箋の写しを。
「これを読んでいる方へ。薬草園のことをお願いします」
死ぬ前夜に、花の世話の引き継ぎを書いている。水の温度。土の深さ。精霊の性格。丁寧に。一つずつ。自分が死ぬことよりも、花が枯れることを心配している。
最後の一行。「私のことは忘れてください。でも薬草園の水やりだけは」——途切れている。涙の跡がある、と報告書に記されていた。
妻が死ぬ前日も、庭の冬薔薇の世話を気にしていた。「あの子に水をやってちょうだい」と。あの子、は花のことだ。妻は花を「あの子」と呼んだ。
フローラ。花の名前。この令嬢の母親——つまりクラウスの妻も、花を愛した人間だったと聞いている。母から娘へ。花を愛し、花に話しかけ、花のために死ぬ前夜まで心を砕く。
二十二歳の令嬢が、余の息子に殺された。弁明の機会すら与えられず。禁術ではない祝福契約を「禁術」と断定されて。裏で糸を引いた男に利用されて。
余は王だ。王の名において、この過ちを正さねばならない。
◇◇◇
まずディートリヒ。
裁判は三日前に結審した。北方との不正取引、証拠の改竄、裁判の誘導、侍女への脅迫。すべてが立証された。
永久追放刑。全財産没収。官職剥奪。宮廷記録からの抹消。
記録からの抹消——これが最も重い処分だ。ディートリヒという名前は、宮廷の二十年分の公文書から削除される。署名は塗りつぶされ、功績は無名の「前任者」として処理される。法的には死んでいないが、歴史の上では存在しなかった人間になる。
余がこの処分を選んだのは、ディートリヒ自身が「記録に残る男」を自認していたからだ。剣で斬るより、存在を消す方が効く人間がいる。
◇◇◇
七人への処分。
これが——王として最も苦しい判断だ。
息子への処分を決めなければならない。セリオス。余の唯一の子。妻の忘れ形見。南部紛争を鎮圧した英雄。王太子。
王位継承権の一時停止。五年間。摂政補佐に降格し、実権を大幅に制限する。
王として正しい処分だ。国民に示しがつく。冤罪で人を殺した王太子が無罰であれば、王家への信頼は回復しない。
父として——。ペンが止まる。
妻がいたら何と言っただろう。あの人は余より厳しかった。セリオスが子どもの頃、嘘をついた時に一週間口をきかなかったのは妻だ。「嘘をつく子は一人で考えなさい」と。余は三日で折れた。妻は七日間通した。
今、余が七人に処分を下すのは、妻の代わりでもある。あの人が生きていたら、余より先に息子を叱っていただろう。
聖女リリアーナ。王宮付き聖女から地方神殿への転任。一年間の贖罪奉仕。ただし薬草園の管理を継続するため、王都近郊に限定する。
この令嬢は「密談」と報告した責任がある。だが情報操作の被害者でもある。処分は軽くする。
宰相バルドゥール。辞任を受理。ただし北方同盟の修復が完了するまで顧問として残留。
三十年の功績がある。だが三十年の功績をもってしても、一人の令嬢の命は償えない。本人がそれを一番わかっている。
侍女マリー。処分なし。脅迫の被害者として認定。
余の判断でこの娘を罰することはできない。ただし——マリー自身が「無罪放免」を受け入れられるかどうかは、余の判断の外にある。
公爵クラウス。領地への王家の支援。引き換えに精霊資料の全面公開と記念施設の設立。
実の娘を勘当した父親に、余が与える処分は何だ。領主としての判断は間違っていなかったのかもしれない。父親としては——余も父親だ。余がセリオスを勘当できるか。できない。だからクラウスの苦しみがわかる。わかるからこそ、甘くはしない。
神官長オスカー。辞任。精霊研究の専任学者に転身。
三十五年の怠惰が人を殺した。本人の言葉だ。辞任は本人の申し出であり、余が命じたのではない。だが受理する。
騎士レオナルド。処分なし。護衛騎士として権限外だったと認定。北方駐在武官として正式赴任。
この男は何もしなかったことを罪だと言った。法的には罪ではない。だが本人が罪だと思っている。それで十分だ。
◇◇◇
冬至の正午。王宮の大広間。
七人が一列に並んでいる。ディートリヒが衛兵に挟まれて末席にいる。貴族の代表が傍聴席を埋めている。北方からの使節が一席を占めている。
余は玉座に着いた。冬の日差しが大広間のステンドグラスを通って、石畳に色を落としている。赤と青と金。妻が好きだった色だ。
勅令を読み上げる。
「フローラ・ローゼンベルクの精霊契約は祝福契約であり、禁術には該当しない。同人の処刑は冤罪であり、王国はこの過ちを公式に認める。ローゼンベルク公爵家の勘当を無効とし、フローラ・ローゼンベルクの公爵令嬢としての身分を死後回復する。処刑場跡に記念碑を建立し、同人の名誉を永く伝えるものとする」
広間が静まった。七人の顔を見た。
セリオスが目を閉じていた。顎の線が強張っている。泣いているのではない。堪えている。
リリアーナの頬に光る筋が一本走って、そのまま顎先から落ちた。拭わなかった。
バルドゥールが両手を膝に置いて、深く頭を垂れていた。三十年間、誰にも頭を下げなかった老人が。
マリーが唇を噛んで、エプロンの裾を握りしめていた。
クラウスは微動だにしない。だが握った拳の甲の血管が、浮き上がっては消えた。
オスカーの唇が動いていた。聖典の一節だろうか。声にはなっていない。
レオナルドは壁際に立っていた。鎧の内側に手を当てている。封書の上に。
余は王だ。王の名において裁き、王の名において過ちを認める。
——だが。フローラ・ローゼンベルクは戻らない。名誉は回復できる。記録は正せる。碑は建てられる。だが花の名を持つ令嬢は、もうどこにもいない。
余にできるのは、二度と同じことが起きない仕組みを作ることだけだ。精霊研究の解禁。禁書庫の開放。裁判手続きの改革。弁明の機会の保障。
遅い。すべてが遅い。——だが、遅いからやらないとは、もう誰も言わない。




