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悪役令嬢の処刑を見届けた七人が、一人ずつ壊れていく話  作者: 秋月 もみじ
番外編

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第5話 声なき声


 わしらの畑は、お嬢様が歩いた後に一番よう実った。——もう、お嬢様は来ない。


 名前はトマス。ローゼンベルク領で五十年、畑を耕してきた。爺さんの代からだ。領主の顔は三代見た。今の殿さまはクラウス様。その前が先代。その前がわしの爺さんが仕えた大殿さま。

 お嬢様——フローラ様を初めて見たのは、あの方が七つか八つの頃だ。領主の畑の視察に、殿さまの後ろをちょこちょこ歩いてついてきた。麦わら帽子が大きすぎて、目まで隠れとった。足元の冬薔薇を踏まないように、一歩ずつ。


「おじいさん、この花は何ていうの」


「冬薔薇ですよ、お嬢様」


「冬に咲くの?」


「へえ。寒いほどようけ咲きます」


 お嬢様は冬薔薇の前にしゃがんで、何かを呟いた。花に話しかけとるんだ、と思った。子どものごっこ遊びだと。

 翌年、お嬢様が歩いた畝だけ、麦の穂が二割多く実った。偶然だと思った。次の年も、その次の年も同じだった。偶然が三年続けば、それは偶然じゃない。


 精霊の加護だった。わしらは知っとった。お嬢様が精霊と話せることを。領民は皆知っとった。怖がる者もおったが、畑が実る以上、文句を言う者はおらん。


 あのお嬢様を、王都の偉い方々が殺した。


◇◇◇


 処刑から一年と一ヶ月。秋の収穫が終わった。


 数字を言おう。わしは百姓だ。数字で生きとる。

 去年の秋、収穫は例年の七割だった。春の作付けは土が痩せて種が根を張らず、夏の収穫は五割を切った。冬麦の仕込みも三割減。二年続けて凶作なら、来年の種籾が足りん。若い衆が三家族、領地を出た。出て行く時、嫁が泣いとった。赤ん坊を背負って、荷車に家財を積んで。あれを見ると腹の底が冷える。

 残った者は歯を食いしばっとるが、井戸の水が鉄臭くなった。精霊の加護が消えた土地は、水脈まで濁る。朝一番に汲んだ水を口に含むと、錆びた鉄の味がする。以前はそんなことなかった。以前——お嬢様が領地にいた頃は。


 殿さまが精霊の資料を公開したと聞いた。お嬢様の名誉のためだと。遅い。遅いが——。

 遅いで済むか。


 わしの倅は十年前の飢饉で死んだ。あの年も収穫が落ちた。精霊の加護が薄れた年だった——お嬢様が王都に嫁いだ年だ。お嬢様が領地を離れたから加護が弱まり、畑が痩せ、倅が飢えた。そう因果を繋げるのは乱暴かもしれん。でもわしの腹の底には、そういう繋がりが根を張っとる。


 王都の偉い方々が「後悔している」と聞いた。後悔。


 反省で人が生き返るなら、わしの倅にも反省させてやりたい。


◇◇◇


 領民を十二人集めて、王都に向かった。陳情団だ。馬車はない。歩きだ。三日かかった。


 同じ頃、別の方角からも声が上がっていたと、後で知った。


 北方ヴィンテル王国から、国王陛下宛ての正式な抗議文が届いた。辺境伯の署名入り。


「貴国が処刑したフローラ・ローゼンベルク殿は、我が国の外交窓口であり、友人であった。同殿が祝福契約の精霊使いであったことは我が国でも認知されていた。禁術使いとして処刑した貴国の判断に対し、正式な説明と名誉の回復を求める」


 外からの声だ。王国の中で黙殺されていた声が、国境の向こうから届いた。

 わしは字が読めん。この抗議文の内容は、後から殿さまの家臣が教えてくれた。北方の人間がお嬢様を「友人」と呼んだと聞いた時、涙は出なかったが、喉の奥が詰まった。お嬢様は王都でも北方でも友人だったのに、自分の国では罪人として死んだ。


 貴族社会でも動きがあった。お嬢様の冤罪が社交界に広まると、令嬢を持つ貴族が震え上がった。「自分の娘が同じ目に遭ったら」。王太子への信頼が崩れ、婚約を申し込む家が消えた。

 ある伯爵夫人が夜会で言ったそうだ。「フローラ嬢は弁明の機会すら与えられなかった。法の下の保護がないなら、我々の娘も同じ運命を辿りうる」。社交界の言葉は剣より鋭い。


◇◇◇


 王宮の門前に着いた。十二人の百姓が、泥のついた靴で石畳を踏んだ。衛兵が止めに来た。


「ローゼンベルク領の者です。王太子殿下にお目通り願いたい」


「農民が殿下に直訴だと? 手続きを——」


「手続きは踏んだ。陳情書はとうに出しとる。返事がないから来た」


 衛兵が困った顔をした。押し問答が続いた。日が傾き始めた頃——門が開いた。


 殿下が出てきた。


 護衛も連れず、一人で。痩せた顔。こめかみに白いものが混じっている。二十六歳の顔じゃない。だがその目は——逃げてはいなかった。


 わしらの前に立った。十二人の百姓と、一人の王太子。石畳の上で向き合った。


 殿下が口を開いた。用意された言葉があったんだろう。公式の表明。丁寧な弁明。王太子にふさわしい言い回し。

 だが——わしと目が合った。


 わしの目に何が映っていたか、自分ではわからん。五十年分の土の記憶。十年前に死んだ倅。お嬢様が麦わら帽子をかぶって歩いた畝。枯れた冬薔薇。鉄臭い井戸水。


 殿下の口が一度閉じて、もう一度開いた。


「……申し訳なかった」


 それだけだった。王太子の言葉遣いではなかった。公式の表明でもなかった。若い男が、年老いた百姓に頭を下げた。深くはない。でも目を逸らさなかった。


 わしの隣にいたヨハンが鼻を鳴らした。「それで畑が戻るのか」と。正しい。正しいが——。


「遅い」


 わしは言った。


「遅いですよ、殿下。何もかも」


 殿下が黙って頷いた。


「でも——言うてくれた。直に。わしらの目を見て」


 言葉で畑は戻らん。でもお嬢様も、きっとこういう人だった。偉い人の理屈は知らん。ただ目の前の土に水をやる。目の前の人間に、目を見て話す。

 殿下がそれをできたのは——お嬢様が三年間、そうしていたからかもしれん。あるいは、そうしなかったことへの後悔が、殿下をここに立たせたのかもしれん。


 どちらでもいい。わしらは土の上に立っとる。言葉じゃなく行動を見る。偉い人の口約束は風に飛ぶ。でも水を撒けば土は応える。お嬢様はそれを知っとった。だから毎朝五時に温室に通った。言葉じゃなく、水をやった。


「殿下。お嬢様の名誉を回復してください。それから——畑に、水をください」


 殿下が二度目に頷いた。今度は深く。


 門前から去る時、振り返った。殿下がまだ立っていた。秋の夕日が石畳を染めて、若い王太子の影が長く伸びていた。


 お嬢様。あんたの殿さまは、一年遅れで門の外に出てきたよ。——遅いけどな。

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