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悪役令嬢の処刑を見届けた七人が、一人ずつ壊れていく話  作者: 秋月 もみじ
番外編

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第3話 名もなき歯車


 フローラ・ローゼンベルクの処刑は、私の計画の第七項目だった。


 第一から第六は退屈な手順の積み重ねだ。人事の根回し。情報の整理。予算の付け替え。裁判日程の調整。記録の管理。どれも目立たない仕事で、どれも私にしかできない仕事だった。王太子の右腕として二十年。筆頭侍従官ディートリヒ・ヘルツォークの名は、宮廷の公文書のすべてに署名として刻まれている。

 記録に残る男。それが私だ。


 正確に言えば、処刑は「計画」ではなかった。処理だ。業務上の処理。


◇◇◇


 五年前から、北方の商人ハインリヒを通じて希少鉱物の取引を行っていた。銀鉄鉱——北方の山岳地帯でしか採れない、魔術触媒に用いる鉱物だ。王国の正規ルートでは年間二百キロの輸入枠。私はハインリヒを通じて、枠外の百キロを王都の魔術師ギルドに流していた。差益は年間で金貨三千枚。宰相府の予算管理の隙間に紛れ込ませるのは、念のために言えば、それほど難しくなかった。帳簿の数字を操作するのは私の仕事であり、帳簿を検査するのも私の仕事だった。


 フローラ・ローゼンベルクは、この取引の障害になり始めた。


 あの令嬢が北方との暗号通信を一手に握っていることは知っていた。宮廷で北方語を解する者は少なく、暗号体系に至っては独自のものだと聞いていた。問題は、その暗号体系を変更しようとしていたことだ。

 処刑の半年前。通訳室の書類棚を確認した際に、暗号の改訂草案を見つけた。新しい体系が導入されれば、過去の通信記録も新しい鍵で復号される可能性がある。私がハインリヒと交わした北方語の私信は、正規の外交通信とは別の暗号で書いていた——が、旧体系の一部を流用していた。フローラが暗号を改訂すれば、私の通信も解読されるリスクが生じる。


 念のための処理だった。リスクが顕在化する前に、排除する。


◇◇◇


 聖女リリアーナへの情報提供は、直接的ではない。私はそういう仕事の仕方をしない。


 夕食の席でリリアーナの隣になった日、こう切り出した。


「聖女様、最近フローラ様が深夜に温室へ出向かれているようですが、ご存知ですか」


「……いいえ。毎晩ですか?」


「念のために申し上げるだけです。お気になさらず」


 気にするように言ったのだ。気にしないはずがない。リリアーナは生真面目な女だ。聖女の責務として「不審な行動」を見過ごせない。あとは待つだけだった。

 一週間後、リリアーナが殿下に報告した。「フローラ様が夜な夜な精霊と密談しています」。密談という言葉を選んだのはリリアーナ自身だ。私が教えたわけではない。

 念のために言えば、私は嘘をついていない。フローラが深夜に温室へ行っていたのは事実だ。解釈を誘導しただけだ。


 神官長オスカーの「禁術」鑑定は、予想通りだった。あの老学者は精霊に関する研究を三十五年放置していた。禁書庫の文献を確認する手間を惜しむ人間だと、私は知っていた。鑑定に三ヶ月かかるなら裁判は延期される。だが一週間で結審させれば、鑑定の精度を問われることもない。


 殿下には「早期結審が王家の権威のために必要です」と進言した。南部紛争を鎮圧した直後の殿下は、迷わない判断を美徳としていた。迷わせなければいい。判断材料を制限すれば、人間は速く決断する。


◇◇◇


 手帳の件。


 フローラの侍女マリーを呼び出したのは裁判の三日前だ。脅迫——と言えばそうなるが、これも業務処理だ。マリーの妹二人の情報は人事記録から引いた。東街区のパン屋。簡単に調べがつく。

 マリーは手帳を渡した。予想通り。彼女にとってフローラと妹では、妹が重い。合理的判断だ。


 手帳を開いた。革表紙の、手のひらに収まる小さなもの。中身は三部構成だった。第一部は薬草茶の調合。第二部は北方との暗号体系。第三部は精霊契約の維持手順。

 第二部の暗号体系の核心——暗号鍵の生成規則が記された三ページを破り取った。これがあれば過去の通信をすべて解読できる。なければ、体系の断片から復元するのに数年かかる。

 残りは宰相府の証拠保管庫に紛れ込ませた。「フローラ・ローゼンベルクの裁判関連資料」として。私の管轄だ。誰も中身を精査しない。


 処刑の日。南庭の処刑場で立ち会った。灰色の花崗岩の石畳。秋の朝日が冷たかった。フローラが連行された時、白い囚衣の裾が石畳を擦る音がした。あの令嬢は——背筋が伸びていた。

 窓辺の鉢植えが邪魔だと思ったことがある。通訳室を訪ねた時に。あの程度の装飾に何の意味があるのか、と。


 処刑が終わった後、執務室に戻って帳簿を開いた。処刑に伴う人員補填の見積もりを作成する必要があった。業務が一つ終わった。次の業務に移る。それだけだ。


◇◇◇


 計算が狂い始めたのは、二ヶ月後だ。


 薬草園が枯れた。正確に言えば、精霊の加護がなくなり、温室の植物が半数以上枯死した。これは想定外だった。フローラが精霊契約で薬草園を維持していたことを、私は知らなかった。帳簿に載っていなかったのだ。

 北方からの暗号書簡が解読不能になった。これは想定内だったが、同盟そのものが揺らぐとは思わなかった。フローラ個人が北方との外交の要石だったとは。

 殿下の体調が崩れた。薬草茶の調合がフローラだったとは。


 帳簿に載っていなかった。載っていなかった。あの令嬢の仕事は、予算も官職も付かない「ついでの仕事」だった。私は宮廷の全業務を帳簿で管理していた。帳簿に載っていないものは、存在しないに等しい。

 ——師匠がかつて言っていた。「帳簿に載らぬものを見落とすぞ」と。バルドゥール宰相。私の師。あの老人と同じ警告を、同じ過ちで証明することになるとは。


 十ヶ月が経った。七人が動き始めた。リリアーナが薬草園に通い始めた。バルドゥールが北方に書簡を送った。レオナルドが北方に発った。


 念のために計算した。七人が後悔し、贖罪に動くことは予想していた。だが七人の行動が「証拠の発掘」に繋がることは計算していなかった。後悔する人間は動けなくなると踏んでいた。動く人間は後悔を行動に変える人間だ。


 手帳がバルドゥールの手に渡った。第二部の欠損に、あの老人が気づかないはずがない。帳簿の矛盾を嗅ぎ分ける鼻は、三十年の宰相歴で磨かれている。


 北方にレオナルドが到着した。あの男の片言の北方語でも、辺境伯は協力するだろう。フローラの名前は北方では「友人」として記憶されている。


 計算が狂った。——いや、計算の前提が間違っていた。フローラ・ローゼンベルクを「帳簿上の一項目」として処理した時点で、私の計算はすべて狂っていた。


 あの令嬢は、帳簿に載らない人間だった。帳簿に載らないからこそ、帳簿では測れない影響を残した。


 記録に残る男が、記録に残らない女を消した。——その結末が、今、私に追いつこうとしている。

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