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悪役令嬢の処刑を見届けた七人が、一人ずつ壊れていく話  作者: 秋月 もみじ
番外編

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第2話 最後の庭


 シルヴァが怒っている。——わたしより、ずっと。


 銀色の光がわたしの膝の上で激しく明滅している。言葉は通じない。でも光の強さで感情はわかる。ずっと一緒にいれば、そのくらいは。

 逃げよう、と言っている。お前を連れて森へ行ける、と。


「シルヴァ」


 名前を呼ぶと、光が少しだけ落ち着く。この子はいつもそうだ。名前を呼ばれると安心する。人見知りで、臆病で、でも怒ると手がつけられない。


「お願いがあるの」


 懐から小さな麻袋を出した。月下草の種。温室から持ち出しておいた最後の一袋。乾燥させた種は、振ると砂粒みたいに小さな音がする。


「春になったら、庭の東側の土を掘り返してほしい。ここに種を埋めておくから」


 シルヴァの光が不規則に瞬いた。意味がわからない、というよりは、わかりたくない、という光り方だった。


「水をやってくれる人がいるはず。たぶん不器用だけど」


 誰を想定しているわけでもなかった。リリアーナ様かもしれない。マリーかもしれない。ハインツかもしれない。あるいは——。

 想定しているわけでもない、と言ったのは嘘だ。一人だけ、顔が浮かんでいる。でもあの人に頼むのは。あの人にこれ以上負担をかけるのは。


 シルヴァの光が赤みを帯びた。怒りの色だ。

 なぜ、と光が問うている。なぜ、あいつらのために。お前を殺す人間のために、なぜ種を残す。


「あの人たちのためじゃない」


 声が自分でも硬かった。


「月下草のためよ。シルヴァ、あなたのお母さんがわたしに教えてくれた花でしょう。枯らしたくないの」


 シルヴァが黙った。光が白に戻る。お母さん——先代の精霊の話をすると、この子はいつも静かになる。


◇◇◇


 手帳は完成している。衣装棚の冬物のショールの間に挟んである。マリーが見つけてくれることを祈るしかない。

 手紙がまだ終わっていない。三枚目の便箋。引き継ぎの手紙は書き終えた。残りは——七人への言葉と、最後の一文。


 七人への言葉は、手帳の最後のページに書いた。短く。


 セリオス殿下へ。朝のお茶を美味しいと言ってくださったこと、嬉しかったです。

 ——一度だけ。三年で一度だけ、殿下が「今日の茶はいい」と言った日がある。あの日、わたしは嬉しくて、帰りに温室で月下草に報告した。花に報告するわたしを、レオナルドさんが見ていた。何も言わなかった。ただ口元が少し動いた。


 リリアーナ様へ。あなたの治癒魔法は本当にすごいです。わたしにはできないことです。

 ——嘘じゃない。あの力はわたしにはない。精霊の加護が治癒魔法を底上げしていたとしても、基礎の力はリリアーナ様のものだ。それだけは本当。


 バルドゥール閣下へ。通訳室に来てくださった日、条約の話が楽しかったです。

 ——北方語の語義の差を指摘した時、あの老人が目を丸くした顔。三十年の外交経験を持つ人が驚いてくれた。あれは——あれだけは、わたしの実力だった。


 マリーへ。林檎のコンポート、砂糖は少なめの方がいいのね。覚えました。

 ——覚えたけれど、もう作れない。マリーの妹の黒パン、今度お取り寄せしたかった。


 お父様へ。冬薔薇が好きです。お母様が好きだった花だから。

 ——お父様はこれを読まないだろう。手紙を読まずに返す人だ。でも書かなければ、わたしの中にある「お父様の娘でいたい」という気持ちが、嘘になる。


 オスカー猊下へ。聖典の第七章をよく読みます。「赦しは弱さではない」という箇所が好きです。

 ——あなたが法廷で「禁術です」と断定した時、わたしは聖典のこの箇所を思い出していた。赦すのは弱さではない。でも赦さないのも弱さではないはずだ。


 そして最後の一人。ペンが止まる。さっきから何度も止まる。


 レオナルドさんへ。


 一度、長い文を書いた。あなたが辞書に花の名前を書いてくれたことも、巻き舌を教えてくれたことも、寒い朝にマントを椅子にかけて黙って去っていったことも、全部書いた。わたしはあのマントを「風で飛んできたのかしら」と本気で首を傾げたけれど、嘘だ。わかっていた。あなただと。わかっていて、気づかないふりをした。

 気づいたら——あなたに迷惑がかかるから。護衛騎士が婚約者の令嬢に個人的な感情を持てば、処罰される。わたしのせいで、あなたの騎士としての道を閉ざしたくなかった。


 長い文を消した。インクがまだ乾いていなくて、指で擦ると黒い筋が便箋に残った。


 書き直した。短く。


「護衛は不要と言いましたが、嘘でした。あなたがいてくれて、よかった。」


 これでいい。これ以上書いたら、わたしは明日立っていられなくなる。


◇◇◇


 便箋の最後。引き継ぎの手紙の末尾。


「私のことは忘れてください。」


 ——忘れてほしいわけじゃない。覚えていたら苦しいだろうから。わたしを殺した記憶を抱えて生きるのは、重いだろうから。

 これは優しさじゃない。たぶん。「忘れてください」と書かれたら、人は忘れられない。忘れようとすればするほど思い出す。わたしはそれを——知っていて書いた。

 ずるい。わたしは最後までずるい人間だ。聖人でも善人でもない。


「でも薬草園の水やりだけは」


 ペンが止まった。


 ——あなたにお願いしたかった。


 書けない。レオナルドさんに。これ以上。これ以上あの人に何かを頼むのは。あの人はもう十分すぎるほど。三年間、毎日、わたしの三歩後ろに立ってくれた。その重さを、最後の最後にまた押しつけるのか。


 書けなかった。涙が便箋に落ちた。丸い染みが「は」の字を滲ませた。


 ペンを置いた。


 蝋燭が短くなっている。芯の先で炎が揺れて、牢の壁に影を作った。わたしの影。膝を抱えた、小さな影。


 シルヴァがわたしの肩に留まっている。光が穏やかになっていた。怒りが諦めに変わったのではない。この子なりの覚悟だ。


「ねえ、シルヴァ」


 光がわずかに傾いた。


「わたしね、誰かが裏で糸を引いている気がするの。でも証拠がない。——あなたは覚えていて。いつか、わかる日が来るかもしれないから」


 シルヴァの光が一度だけ強く輝いた。約束の光だ。


 窓の外で、空の色が変わり始めていた。深い藍色の東の端が、ほんの少し白んでいる。

 夜明けが来る。


 シルヴァが窓の格子から外を見た。そして——わたしには見えない速さで、光が一瞬消えた。何かをした。何をしたのかは、わからない。


 戻ってきた光は、前より少し弱かった。


「シルヴァ?」


 精霊は答えなかった。ただ、わたしの手のひらの上で、かすかに震えていた。


 朝が来た。

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