補佐役として 前編
翌日、授業が終わった後。
アリシアから呼び出しを受けた。
場所は、学院の中庭にある東屋。人目につきにくい場所だ。
「お待たせしました、アリシア様」
僕が近づくと、アリシアは本を閉じて立ち上がった。
「いいえ、私も今来たところですわ。結城様」
またその嘘だ。彼女は少なくとも三十分前から待っていたはずだ。本のページが進んでいる。
でも、指摘はしない。それが彼女の「完璧な令嬢」としての演技なら、尊重すべきだ。
「それで、お話とは?」
アリシアは僕を見つめた。
碧眼が、真っ直ぐに僕を見る。
「昨日、あなたは私の野望を手伝うと言いましたわね」
「はい」
「では、まず証明していただきたいのです。あなたが本当に有能かどうか」
当然の要求だ。
口だけなら誰でも言える。実力を示さなければ、信用されない。
「どのような証明を?」
「学院には、派閥があります」
アリシアは、周囲を見渡してから続けた。
「ヴァンクレール派、グレイヴス派、ローゼンバーグ派。主にこの三つです」
「存じております」
原作ゲームでも、この三派閥が学院の権力を握っていた。
ヴァンクレール派は、アリシアを中心とした最大派閥。
グレイヴス派は、侯爵家の嫡男ダミアン・グレイヴスを中心とした、武闘派の集団。
ローゼンバーグ派は、伯爵家の令嬢シルヴィア・ローゼンバーグを中心とした、中立的な派閥。
「では、問題です」
アリシアが、鋭い視線を向けてくる。
「今週末に開かれる生徒会主催の茶会。そこで、私はグレイヴス派の貴族たちを、こちら側に引き込みたいと考えています」
「しかし、グレイヴス派は独自の結束が強い。簡単には動きません」
「あなたなら、どう攻略しますか?」
試験だ。
僕の実力を測るための、具体的な課題。
面白い。アリシアは、本当に有能な人材を求めている。
「まず、グレイヴス派の構造を分析しましょう」
僕は、用意していた答えを口にする。
「グレイヴス派の中心は、ダミアン・グレイヴス。彼は武勲を重んじる武闘派です」
「しかし、派閥内には穏健派もいる。特に、エドワード・ブレイクとルシアン・フォスターの二人」
「この二人は、ダミアンの幼馴染ですが、考え方は異なります」
アリシアの目が、少し輝いた。
興味を持ってくれている。
「続けて」
「エドワードは商家出身の準男爵。実利を重視するタイプです」
「ルシアンは学者肌で、政治的な駆け引きを嫌います」
「この二人を、まず味方につけるんです」
「どうやって?」
アリシアが身を乗り出した。
完全に、僕の話に集中している。
「エドワードには、商取引の情報を提供します」
「ヴァンクレール公爵家は、広大な領地と貿易ルートを持っている。その一部を、ブレイク家に開放すると約束すれば、彼は動きます」
「ルシアンには、学院図書館の特別閲覧権を提供します」
「アリシア様の推薦状があれば、彼は貴重な古文書にアクセスできる。これは学者にとって、何よりの報酬です」
アリシアは、しばらく黙っていた。
考えている。僕の提案を、精査している。
「……見事ですわ」
ようやく、アリシアが口を開いた。
「エドワードとルシアンの性格を、完璧に把握している」
「しかも、提案内容が現実的。実行可能な範囲です」
「結城様、あなたは本当に――有能な方ですわね」
アリシアの目に、信頼の色が浮かんだ。
第一段階、クリアだ。
「ありがとうございます」
「では、早速動いていただけますか?」
「もちろんです」
僕は深く頭を下げた。
心の中で、冷静に分析する。
今のは、原作ゲームの知識と、創造神から学んだ政治学の応用だ。
エドワードとルシアンの性格は、ゲームで何度も見た。
彼らを味方につける方法も、すでに頭に入っている。
「ただし、一つだけ」
アリシアが、真剣な表情で言った。
「誰も傷つけないでくださいね」
「……傷つける?」
「ええ。政治的な駆け引きは必要です。でも、誰かの人生を壊すようなことは、避けたいのです」
僕は、少し驚いた。
アリシアは、本当に優しい。
原作ゲームでも、彼女は最終的に「悪役」として描かれるが、その本質は善人だった。
だからこそ、プレイヤーたちは彼女に同情した。
「承知しました。誰も傷つけません」
僕は約束した。
でも、心の中では思う。
「誰も傷つけない悪役」なんて、存在するのか?
悪役とは、誰かを傷つける存在だ。
それが役割だ。
でも、今はまだ言わない。
アリシアが、自分で気づくまで待つ。
完璧な悪役になるためには、優しさを捨てなければならないと。
その日の夕方、僕はエドワード・ブレイクに接触した。
彼は図書館で、商業関係の本を読んでいた。
「失礼します。エドワード・ブレイク様ですね?」
「ん? ああ、君は特例入学の平民か」
エドワードは、気さくな笑顔を見せた。
彼は貴族の中では珍しく、階級に拘らない性格だ。
商人の血が流れているからだろう。
「結城蒼と申します。少しお時間をいただけますか?」
「構わないよ。何の用だい?」
僕は、用意していた話を始めた。
ヴァンクレール公爵家の貿易ルート、ブレイク家の商業展開、互いの利益について。
エドワードの目が、徐々に輝き始める。
「つまり、ヴァンクレール家の東方貿易ルートを、うちに開放してくれると?」
「アリシア様の推薦があれば、可能です」
「その代わり、俺はヴァンクレール派に協力する、と」
「正確には、グレイヴス派とヴァンクレール派の架け橋になっていただきたいのです」
「なるほどね」
エドワードは、腕を組んで考え込んだ。
「確かに魅力的な話だ。でも、ダミアンを裏切ることになる」
「裏切りではありません。両派閥の協力関係を築くんです」
「ダミアン様も、学院全体の安定を望んでいるはず。それに貢献することになります」
「うまいこと言うね、君」
エドワードが、笑った。
「分かった。アリシア様に会わせてくれ。直接話がしたい」
「承知しました」
第一目標、達成だ。
次の日、僕はルシアン・フォスターを訪ねた。
彼は研究室で、古文書と格闘していた。
「失礼します」
「ん? 誰だ、こんな時間に――」
ルシアンは、苛立った様子で振り返った。
でも、僕を見て、少し表情を和らげた。
「ああ、君は確か特例入学の。何か用か?」
「ルシアン様にお願いがあります」
僕は、図書館の特別閲覧権について説明した。
アリシア様の推薦状があれば、王家が所蔵する古文書にアクセスできると。
「本当か? あの『失われた魔法陣の書』も?」
「はい。アリシア様は、王家と深い繋がりがあります」
ルシアンの目が、輝いた。
学者特有の、知識への渇望が溢れている。
「それは……素晴らしい」
「その代わり、アリシア様の活動に協力していただきたいのです」
「政治的な駆け引きは苦手なんだが」
「大丈夫です。ルシアン様には、学術的な助言をいただくだけで十分です」
「なら、問題ない」
ルシアンは、すぐに頷いた。
「アリシア様に会わせてくれ。詳しく話を聞きたい」
「承知しました」
第二目標も、達成だ。
週末の茶会。
学院の大広間に、貴族たちが集まっている。
華やかな衣装、優雅な会話、社交界の縮図。
アリシアは、会場の中心にいた。
金髪が光を反射して輝いている。完璧な令嬢として、周囲に微笑みかけている。
そして、エドワードとルシアンが、アリシアのもとに近づいた。
二人は、アリシアと親しげに会話している。
他の貴族たちが、驚きの表情を浮かべている。
グレイヴス派の重要人物が、ヴァンクレール派の中心人物と親しくしている。
これは、大きな変化の兆しだ。
「結城様」
アリシアが、僕を呼んだ。
彼女の隣に立つ。
「見事ですわ。エドワード様もルシアン様も、完全に心を開いてくださいました」
「お役に立てて光栄です」
「あなたは本当に……頼りになる方ですわね」
アリシアが、優しく微笑んだ。
その笑顔は――演技じゃなかった。
本心からの、感謝の笑顔だった。
僕の心が、少しだけ揺れた。
いや、駄目だ。
感情移入してはいけない。
彼女は「役割」だ。僕を断罪するための「完璧な悪役」だ。
「アリシア様の信頼に応えられるよう、これからも尽力します」
僕は、冷静に答えた。
感情を押し殺して、役割を演じる。
それが、僕の仕事だ。
「ええ、期待していますわ」
アリシアは、また微笑んだ。
その笑顔が、少しだけ――心に残った。
茶会が終わった後、僕は一人で廊下を歩いていた。
成功だ。エドワードとルシアンを味方につけた。
アリシアの信頼も得た。
計画は順調に進んでいる。
でも――
心のどこかで、違和感があった。
「誰も傷つけないでくださいね」
アリシアの言葉が、脳裏に蘇る。
彼女は、優しい。
本当に、人を思いやる優しさを持っている。
「こんな人が、悪役になれるのか?」
小さく呟く。
でも、すぐに首を横に振る。
いや、ならなければならない。
そうでなければ、僕の計画が崩れる。
「彼女は、変わらなければならない」
「完璧な悪役に、ならなければならない」
自分に言い聞かせる。
でも、心の奥底で――
小さな疑問が、芽生え始めていた。




