学院入学へ
―――この世界に転生して、すでに九年がたった。
王都の門をくぐる。
九年ぶりの人間社会だった。
氷原での生活は、孤独そのものだった。創造神と二人きり。会話はするが、相手は神だ。人間らしい交流とは、少し違う。
だから今、こうして人々が行き交う街を見ると、不思議な感覚に襲われた。
「賑やかだな」
小さく呟く。
前世では、人混みが嫌いだった。孤児院でも、街でも、人が多いところは避けていた。
でも今は――何も感じない。
嫌いでもなく、好きでもなく。ただ、そこにあるものとして認識するだけ。
九年間の修行で、感情が更に薄れてしまったのかもしれない。
「結城蒼様ですね?」
声をかけられた。
振り返ると、学院の制服を着た青年が立っている。生徒会の腕章をつけている。
「はい、そうです」
「お待ちしておりました。私は生徒会の者です。特例入学生のご案内を仰せつかっております」
特例入学。
平民が貴族学院に入るための、唯一の方法。
実力を認められた平民だけが、王国の推薦で入学を許される。原作ゲームでも、主人公はこの制度で入学していた。
僕も同じだ。ただし、少しだけ違う。
「創造神との契約のことは?」
「存じ上げておりません。書類上は『実力試験で最高得点を獲得した平民』とだけ記されております」
そうか。創造神が配慮してくれたんだ。
契約のことが知られれば、面倒なことになる。貴族たちは騒ぐだろうし、王国も動くだろう。
でも僕が求めるのは、そんな大きな舞台じゃない。
もっと個人的な、美しい物語だ。
「案内、お願いします」
「かしこまりました」
生徒会の青年に導かれ、学院へ向かう。
王都の中心にそびえる、白亜の建物。尖塔が空に向かって伸びている。
原作ゲームで何度も見た場所。でも実際に見ると、想像以上に荘厳だった。
「立派な学院ですね」
「王国最古にして最高峰の学府ですから。ここを卒業すれば、どんな道も開けます」
どんな道も、か。
僕に開ける道は、一つしかない。
美しく散る道だけだ。
学院の門をくぐる。
広大な中庭、整備された花壇、噴水。
そして――そこにいた。
金髪の少女。
碧眼が、こちらを一瞬見た。
気品に満ちた佇まい。背筋が伸びている。周囲に数人の取り巻きを従えている。
アリシア・ヴァンクレール。
原作ゲームの悪役令嬢。
僕が探していた、完璧な悪役。
「あれは……」
「ああ、アリシア・ヴァンクレール様ですね。ヴァンクレール公爵家のご令嬢です」
「公爵家……」
「王国でも五本の指に入る名門です。アリシア様は次期公爵として期待されている方ですよ」
次期公爵。つまり、将来は国を動かす立場になる。
完璧だ。
こんな高貴な人物に断罪されるなら、それはきっと美しい。
「興味がおありですか?」
「ええ、少し」
「まあ、無理もありません。アリシア様は学院一の美女ですから」
美女、か。
確かに美しい。でも僕が惹かれたのは、外見じゃない。
あの気高さ、あの威厳。
完璧な悪役令嬢としての風格。
彼女こそが、僕を美しく終わらせてくれる存在だ。
アリシアが、こちらに気づいた。
碧眼が、僕を見る。
一瞬の交錯。
彼女の目には、疑問の色があった。「この平民は誰?」とでも思っているのだろう。
僕は軽く会釈をした。
アリシアは、小さく頷いた。
礼儀正しい対応。さすが公爵令嬢だ。
そして彼女は、取り巻きたちを従えて去っていった。
「では、入学手続きを進めましょう」
生徒会の青年が、先を促す。
僕はもう一度、アリシアの背中を見てから、青年についていった。
手続きは滞りなく終わった。
寮の部屋を案内され、制服を受け取り、時間割を確認する。
すべてが原作ゲーム通りだ。いや、一つだけ違う。
僕は創造神の力を隠している。それが最大の違いだ。
寮の部屋は、質素だった。
ベッド、机、椅子、本棚。最低限の家具しかない。
まあ、特例入学の平民だ。こんなものだろう。
氷原での生活を思えば、十分すぎるほど快適だ。
窓の外を見る。
学院の中庭が見える。夕日が、建物をオレンジに染めている。
美しい景色だ。
でも、僕の心は何も感じない。
「明日から、始まる」
小さく呟く。
明日から授業が始まる。貴族たちとの交流が始まる。
そして――アリシア・ヴァンクレールとの接触が始まる。
原作ゲームでは、主人公がアリシアに仕える展開がある。
平民でありながら有能な主人公を、アリシアがスカウトするのだ。
そして主人公は、アリシアの「悪事」を手伝わされる。
最終的には、アリシアの悪行が暴かれ、主人公は彼女から離れてヒロインたちと結ばれる――そういうストーリーだ。
でも僕は違う。
僕は、アリシアから離れない。
むしろ、彼女の「悪役」を完璧にする手伝いをする。
そして最後には、彼女に断罪されて美しく散る。
「完璧な計画だ」
自分でそう言いながら、どこか虚しい気持ちになった。
計画は完璧だ。でも、それを実行する僕の心は、空っぽなままだ。
九年間の修行でも、この虚無は消えなかった。
きっと、最期まで消えないんだろう。
それでいい。
感情がないから、冷静に物事を進められる。
目的のためには、最適な状態だ。
ベッドに横になる。
天井を見つめる。
白い天井。何の装飾もない。
前世の部屋の天井も、こんな感じだった。
薄暗くて、狭くて、何もなくて。
「……また、始まるのか」
呟きが、部屋に響く。
また、生きる日々が始まる。
終わりに向かって、歩く日々が。
でも今度は違う。
前世みたいに、無意味な日々じゃない。
目的がある。終わりが見えている。
美しく散るという、明確なゴールがある。
「アリシア・ヴァンクレール」
彼女の名前を呟く。
金髪碧眼の、気高い令嬢。
原作ゲームでは、悪役として敗北する運命。
でも僕が介入すれば、彼女は完璧な悪役になる。
そして、僕を断罪する。
「君が、僕を終わらせてくれる」
小さく笑った。
どこか狂気じみた笑い方だったかもしれない。
でも、僕はもう気にしなかった。
どうせ歪んでいる。自分でも分かっている。
死ぬために生きる。矛盾した生き方。
それでも――
それが、僕が選んだ道だ。
窓の外で、鐘が鳴った。
夕食の時間を知らせる鐘。
僕は立ち上がって、部屋を出た。
食堂は、賑やかだった。
貴族たちが、楽しそうに会話をしている。笑い声が響いている。
その輪の中心に、アリシアがいた。
取り巻きたちが、彼女に話しかけている。彼女は優雅に微笑んで、答えている。
完璧な令嬢だ。
でも――僕には分かる。
あの微笑みは、作られたものだ。
原作ゲームで何度も見た。アリシアは「完璧な令嬢」を演じている。
本当の彼女は、もっと優しくて、もっと人間らしい。
でも今は、それでいい。
完璧な悪役令嬢として、気高くあってほしい。
その方が、断罪されるとき、より美しいから。
僕は隅の席に座った。
平民用の質素な食事を受け取る。貴族たちの豪華な食事とは、明らかに違う。
でも、気にならなかった。
前世では、もっと酷い食事をしていた。孤児院の残飯のような食事。
それに比べれば、これは十分すぎる。
「ねえ、あれが特例入学の平民?」
「そうみたいよ。結城蒼っていうらしい」
「平民のくせに、よく入学できたわね」
「実力試験で満点だったらしいわよ。化け物みたいな才能らしい」
周囲の貴族たちが、僕のことを噂している。
視線を感じる。好奇の目、軽蔑の目、羨望の目。
色々な感情が混じっている。
でも、僕は何も感じない。
彼らがどう思おうと、関係ない。
僕の目的は、一つだけだ。
食事を終えて、部屋に戻る。
明日から、本格的に動き始める。
アリシアに接触して、彼女の補佐役になる。
そして、彼女を完璧な悪役に育て上げる。
「さあ、始めよう」
窓の外には、満月が浮かんでいた。
あの日、五歳の僕が見上げた月と同じ。
あの時決めた。美しく終わると。
その決意は、今も変わらない。
むしろ、九年間の修行で、より強固になった。
結城蒼の物語が、今夜から動き出す。
歪んだ、悲しい、でも彼にとっては「美しい」物語が。
あとがき――――
序章終了です!
明日から第一章です
楽しみにしておいてね☆
星もください☆




