世界の危機
北の森から広がる闇が、ついに王都に到達しようとしていた。黒い霧が街の外縁を覆い、触れた建物を徐々に侵食していく。住民たちは恐怖に駆られ、必死に避難を始めていた。荷車に荷物を積み込む者、子供を抱えて走る母親、呆然と立ち尽くす老人。誰もが混乱し、誰もが怯えていた。
「早く逃げろ!」
衛兵たちが叫ぶ。彼らも恐怖に震えながら、それでも職務を果たそうとしていた。でも、どこへ逃げればいい? この闇は、北から来ている。ならば南へ? でも、どこまで逃げれば安全なのか。誰も分からなかった。
空を見上げれば、太陽が見えない。黒い雲が空全体を覆い、まるで深夜のような暗さだった。いや、深夜よりも暗い。月も星もない、ただ絶望だけがある暗闇。街灯が灯されているが、その光も黒い霧に呑み込まれそうになっていた。
商店街では、店主たちが店を畳んでいた。商品を箱に詰め、扉に板を打ち付ける。何十年も続いた店を捨てて、逃げるしかない。ある老人は、自分の店の前で泣いていた。
「もう終わりか――」
その声が、絶望に満ちていた。
*
王宮では、緊急会議が開かれていた。国王を中心に、重臣たちが円卓を囲んでいる。誰もが険しい顔をしていた。テーブルの上には、各地から届いた報告書が山積みになっている。
「北部の村、全滅」
軍務大臣が報告する。
「黒い霧に覆われた地域では、魔力が暴走し、精霊が消滅している。生物は――確認できておりません」
「辺境の都市でも、同様の報告が」
内務大臣が続ける。
「避難が間に合わなかった住民が多数。現在、被害の全容は把握できておりません」
国王が拳を握りしめた。白い髭を蓄えた老王は、長年の統治経験があったが、こんな事態は初めてだった。
「原因は何だ」
国王が問う。
「何者が、これほどの災厄を引き起こしている」
宮廷魔術師長が進み出た。長い杖を持った老魔術師が、震える声で答える。
「陛下――これは、創造神の力です」
その言葉に、部屋が静まり返った。創造神。世界を創造した最高位の存在。その名を口にすることすら畏れ多いとされる、絶対的な神。
「創造神が――何故」
国王が呟く。宮廷魔術師長が首を横に振った。
「神ご自身が動いているのではありません。誰かが――創造神と契約し、その力を行使しているのです」
「そんなことが可能なのか」
軍務大臣が問う。宮廷魔術師長が頷いた。
「理論上は。しかし、実現した例は――記録にありません。創造神は契約を結ばない。それが定説でした」
「では、それを覆した者がいると?」
「はい」
宮廷魔術師長が答える。
「そして、その者は今――神の力を解放し、世界を破壊しようとしています」
重臣たちの顔が青ざめた。神の力。それを持つ者を、どうやって止めるのか。軍隊を送るのか? 魔術師団を派遣するのか? でも、神の力に人間が敵うはずがない。誰もがそう思い、絶望が会議室を支配し始めていた。
「――陛下」
その時、扉が開いた。リディア・フォン・アストレアが入ってくる。彼女の手には、風の精霊との契約の証である緑の紋章が光っていた。彼女は父である国王の前に立ち、深々と頭を下げた。
「リディア――」
国王が娘を見る。リディアが顔を上げた。その目には、強い決意が宿っていた。
「わたくしに、行かせてください」
「何を言っている」
国王が眉をひそめる。
「お前は王女だ。危険な場所へ行くなど――」
「結城蒼を止められるのは、わたくしたちだけです」
リディアがきっぱりと言った。
「彼は――わたくしの、大切な人です」
その言葉に、国王の目が見開かれた。重臣たちもざわめく。王女が、平民の少年を「大切な人」と言った。それだけで、宮廷では大スキャンダルになるだろう。でも、リディアは気にしていなかった。
「わたくしは、風の精霊シルフィードと契約を結びました」
リディアが手を掲げる。緑の光が強く輝いた。
「この力で、彼を止めます。いえ――救います」
国王はしばらく娘を見つめていた。そして、深いため息をついた。
「――分かった」
国王が言う。
「行きなさい。そして――無事に戻ってきなさい」
「はい」
リディアが微笑んだ。それは、彼女が初めて見せた、本当の笑顔だった。
*
学院の生徒会室には、四人の少女が集まっていた。アリシア、エリカ、セレスティア、そしてリディア。精霊との契約を果たした彼女たちが、ついに揃ったのだ。四人の手には、それぞれの精霊との契約の証が光っている。
アリシアは光の精霊ルミナスと。エリカは火の精霊フレイムと。セレスティアは氷の精霊グラシアと。リディアは風の精霊シルフィードと。それぞれが強大な精霊との契約を果たし、今ここに集結していた。
「全員、揃いましたね」
アリシアが言う。他の三人が頷いた。窓の外を見れば、黒い霧が迫ってきているのが見える。北の森から、学院へ向かって。その中心には――結城蒼がいるはずだった。
「始めましょう」
エリカが言う。彼女の手から、赤い炎が立ち上った。
「あたしたちで、蒼を止めるのよ」
「止める――ではなく」
アリシアが訂正する。
「救うのです」
その言葉に、三人が頷いた。そう、彼女たちの目的は蒼を倒すことではない。彼を救うこと。死を望む彼を、生きる道へ引き戻すこと。それが――彼女たちの戦う理由だった。
「でも――」
セレスティアが不安そうに言う。
「本当に、わたしたちで止められるんでしょうか。相手は、創造神の力を持つ蒼さんです」
「止めてみせるわ」
エリカが力強く言った。
「あたしたち、精霊と契約したじゃない。この力は、蒼を救うためにある」
「エリカさんの言う通りです」
リディアが続ける。
「わたくしたちは諦めません。どれだけ困難でも、必ず彼を救ってみせます」
アリシアが三人を見回した。みんなの目に、同じ決意が宿っている。迷いはない。恐怖もない。ただ、蒼を救いたいという強い想いだけがあった。
「ありがとうございます」
アリシアが深々と頭を下げる。
「わたくし一人では、きっと何もできなかった。でも――みなさんがいてくださるから」
「顔を上げてよ、アリシア様」
エリカが笑う。
「あたしたちは仲間でしょ? 蒼のために、一緒に戦うんだから」
「そうです」
セレスティアが続ける。
「わたしたちは――蒼さんに救われました。だから今度は、わたしたちが彼を救う番です」
リディアも頷いた。
「みんなで力を合わせれば、きっとできます」
四人が手を重ねた。それぞれの手から、精霊の力が輝く。赤、青、緑、そして白。四色の光が混ざり合い、強い輝きを放った。
その時、扉が開いた。ダミアンとシルヴィアが入ってくる。
「俺たちも行く」
ダミアンが言う。
「蒼は親友だ。見捨てるわけにはいかない」
「わたしも」
シルヴィアが続ける。
「結城さんには、お世話になりました。せめて――この恩を返さなければ」
アリシアが涙を浮かべた。一人じゃない。こんなにも、蒼を想ってくれる人たちがいる。みんなで力を合わせれば、きっと――
「行きましょう」
アリシアが立ち上がった。
「結城さんを、救いに」
全員が頷いた。そして、生徒会室を出る。廊下には、学院長オズワルドが待っていた。
「学院長――」
「準備はいいかね」
オズワルドが杖を構える。
「私も同行する。これは、学院の問題でもあるからな」
「ありがとうございます」
アリシアが頭を下げた。こうして、結城蒼を救うための戦いが――本当に始まろうとしていた。
*
北の森へ向かう道は、すでに闇に覆われ始めていた。黒い霧が地面を這い、木々を枯らしていく。アリシアたちは魔法で身を守りながら、慎重に進んでいた。
「魔力の流れが、おかしい――」
オズワルドが呟く。
「これほどの乱れは、見たことがない」
「創造神の力が、世界そのものを歪めているのです」
宮廷魔術師が同行していた。彼は震える手で杖を握りしめながら、説明を続ける。
「このまま放置すれば、世界は崩壊します」
「そんな――」
セレスティアが声を上げる。
「世界が、崩壊?」
「ああ」
宮廷魔術師が頷いた。
「創造神の力は、世界を創造する力だ。しかし、それは同時に――世界を破壊する力でもある」
その言葉に、全員が息を呑んだ。つまり、蒼が持つ力は――世界そのものを終わらせることができる、ということだ。
「だから――」
アリシアが拳を握りしめた。
「絶対に、止めなければなりません」
全員が頷いた。もう、後戻りはできない。進むしかない。蒼のもとへ。彼を救うために。
黒い霧が濃くなっていく。視界が悪くなり、足元も見えにくい。でも、アリシアたちは止まらなかった。光の魔法で道を照らし、一歩ずつ進んでいく。
そして――ついに、彼らは森の奥深くに辿り着いた。そこには、古い遺跡の残骸があった。そして、その中央に――一人の青年が立っていた。
結城蒼。彼の周りには、黒い魔力が渦巻いている。その姿は、まるで闇そのもののようだった。でも、アリシアには分かった。あれは、まだ蒼だと。まだ、救える。
「結城さん!」
アリシアが叫んだ。蒼がゆっくりと振り返る。その目には――何の感情も映っていなかった。空虚な目。まるで、すべてを諦めたような目。
「来たのか」
蒼が静かに言う。
「アリシア。そして――みんな」
彼の視線が、エリカ、セレスティア、リディアへと移る。そして、ダミアンとシルヴィアにも。彼は小さく笑った。
「全員揃ったね。これで――」
「結城さん、やめてください!」
アリシアが叫ぶ。
「これ以上、力を使えば――世界が終わってしまいます!」
「それが、僕の目的だから」
蒼が答えた。その声に、感情はなかった。ただ淡々と、事実を述べるように。
「僕は悪役になる。世界を脅かす存在になる。そして――誰かに倒されて、終わる。それが、僕の望みだ」
「そんなの――」
エリカが叫ぶ。
「そんなの、おかしいわ! あんたは悪役なんかじゃない!」
「あなたは――わたしたちを救ってくれた人です」
セレスティアが続ける。
「どうして、そんなことを」
「わたくしたちは――あなたを失いたくありません」
リディアが言う。
「お願いです。力を、解いてください」
でも、蒼は首を横に振った。
「無理だよ。もう、止められない」
彼が手を上げる。その瞬間、黒い魔力が爆発的に膨れ上がった。地面が揺れ、空がさらに暗くなる。圧倒的な力。それが、彼の中にあった。
「さあ――」
蒼が言う。
「僕を止めてくれ。全力で。そうしなければ――世界が終わる」
その言葉が、宣戦布告だった。アリシアたちは、戦うしかなかった。彼を止めるために。いや――彼を救うために。
「行きます!」
アリシアが叫び、光の魔法を放つ。エリカが炎を、セレスティアが氷を、リディアが風を操る。四人の精霊契約者が、一斉に蒼へ向かって攻撃を仕掛けた。
世界の命運をかけた戦いが――ついに、始まったのだった。
あとがき――――
現実はこううまくいかないよね
ご都合主義前回
普通王様が会議してる部屋に乱入したら殺されちゃうよ()




