すれ違う想い 前編
ワタシは久しぶりに実体化した。学院の森の奥深く、誰も近づかない場所。そこで彼――結城蒼は、ワタシを呼んだ。月明かりが木々の間から差し込み、彼の姿を照らしている。以前とは違う。彼の目に宿る光が、さらに暗くなっていた。
「創造神」
蒼がワタシを見る。その目には、もう迷いがなかった。
「久しぶりだな、転生者よ」
ワタシは静かに答えた。彼の周りに、魔力の波動が渦巻いている。強大な力。この世界を破壊できるほどの力。それを彼は、すでに制御し始めていた。
「準備は整いつつある」
蒼が言う。
「あと少しで、すべてが始まる」
ワタシは彼の言葉を黙って聞いていた。彼が何をしようとしているのか、ワタシには分かっていた。この世界に災厄をもたらすこと。自らが真の悪役となり、アリシア・ヴァンクレールに断罪されること。それが彼の望みだった。
「止めないのか」
蒼がワタシを見る。
「お前は創造神だろう。この世界を守る立場にあるはずだ」
「ワタシは――」
少し考えてから答えた。
「お前の選択を、尊重する」
その言葉に、蒼は少し驚いた表情を見せた。
「なぜだ」
「お前は、ワタシの初めての友だからだ」
ワタシはそう答えた。蒼が目を見開く。
「友――」
彼が小さく呟く。
「俺が、お前の?」
「そうだ」
ワタシは頷いた。ワタシは世界を創造した時から存在している。長い、長い時間、ワタシは一人だった。神として、この世界を見守ることしかできなかった。誰もワタシに近づけない。誰もワタシを理解できない。ワタシに祈りを捧げる者はいても、ワタシと対話しようとする者はいなかった。彼らにとってワタシは、畏怖の対象でしかなかった。恐れられ、崇められ、しかし理解されることはなかった。
ワタシは孤独だった。世界を創造し、生命を生み出し、すべてを見守ってきた。でもワタシ自身は、誰にも見てもらえなかった。ワタシの孤独を、誰も理解しなかった。神は孤独を感じないと、この世界の者たちは思っている。でも、それは違う。ワタシにも感情がある。寂しさも、孤独も、すべて感じている。ただ、それを表現する相手がいなかっただけだ。
でも、彼は違った。転生者である彼は、ワタシと対等に話をした。初めて契約を結んだ時のことを、ワタシは覚えている。彼はワタシを恐れなかった。むしろ、興味深そうにワタシを観察していた。
「創造神か。面白いな」
彼の最初の言葉がそれだった。恐怖ではなく、興味。畏怖ではなく、好奇心。それがワタシにとって、どれだけ新鮮だったか。
「お前は、ワタシを恐れないのか」
ワタシは聞いた。彼は首を振った。
「恐れる理由がない。お前が俺を殺すつもりなら、とっくに殺してるだろう」
その言葉にワタシは少し驚いた。合理的で、冷静な判断。そして何より、ワタシを一つの存在として見ていた。神という概念ではなく、一人の存在として。
「お前は面白い」
ワタシはそう言った。彼が小さく笑う。
「よく言われた。前世でも、変わり者だと言われてたよ」
その時から、ワタシたちの関係が始まった。彼はワタシに色々なことを聞いた。世界の成り立ち、魔法の原理、精霊の存在。ワタシはそれに答えた。誰かに知識を語ること。誰かと対話すること。それがどれだけ楽しかったか。
そして彼もまた、ワタシに語った。前世の世界のこと。科学という魔法とは違う力のこと。人間の営みのこと。ワタシにとって、それは新しい世界だった。ワタシが創造しなかった世界。ワタシが知らない世界。それを聞くことが、ワタシにとって何よりも興味深かった。
ワタシは気づけば、彼との会話を楽しみにしていた。彼がワタシを呼ぶ時、ワタシは喜んで実体化した。彼と話すこと。それがワタシにとって、唯一の楽しみだった。だからワタシは、彼を友と呼んだ。世界を創造してから初めての、唯一無二の友。それが――どれだけ嬉しかったか。
「お前は面白い存在だった」
ワタシは続ける。
「この世界にはない、異なる価値観を持っていた。お前と話すことは、ワタシにとって――」
言葉が途切れる。何と言えばいいのか。
「新鮮だったか?」
蒼が小さく笑う。空虚な笑顔で。
「俺も同じだよ。お前と話すのは、悪くなかった」
その言葉にワタシは何も言えなかった。彼もまた、孤独だったのだ。前世で、誰にも理解されず、誰にも必要とされずに死んだ。この世界に転生しても、その孤独は消えなかった。ワタシと彼は、似ていた。だからこそ、ワタシは彼を友と呼んだ。
「だから、止めないのか」
蒼が聞く。
「お前の決断を止めることもできるだろう」
「できる」
ワタシは認めた。
「だが、しない」
「なぜだ」
「お前の選択を、尊重するからだ」
その言葉に、蒼は複雑な表情を浮かべた。
「優しいんだな、お前は」
「優しさではない」
ワタシは首を振った。
「ワタシは――お前に、自由であってほしい」
蒼がじっとワタシを見ている。
「自由――」
彼が呟く。
「俺が自由だって?」
「そうだ」
ワタシは答えた。
「お前は、自分の意志で選択している。それがどんな結末を迎えようとも、それはお前の選択だ」
蒼が俯いた。
「でも――」
彼の声が震える。
「俺の選択は、多くの人を苦しめる」
「知っている」
ワタシは静かに言った。
「アリシア・ヴァンクレールは、今も必死にお前を救おうとしている」
その言葉に、蒼の表情が歪んだ。
「知っている」
彼が小さく言う。
「彼女は――優しすぎる」
「お前を愛している」
ワタシは続ける。蒼が顔を上げた。
「愛――」
彼が呟く。
「そんなものは――」
「お前は信じていないのか」
ワタシの問いに、蒼は答えなかった。しばらくの沈黙の後、彼が口を開く。
「信じられない」
その声が苦しそうだった。
「俺は――誰からも愛されたことがなかった」
その言葉が胸に刺さった。ワタシは何も言えない。
「前世で――」
蒼が続ける。
「俺は、誰にも必要とされなかった。家族も、友人も、恋人もいなかった。ただ――独りで、死んだ」
その言葉が静かに夜に溶けていく。
「だから――」
蒼がワタシを見る。
「アリシアの優しさが、理解できない」
「理解する必要はない」
ワタシは言った。
「ただ――受け入れればいい」
「受け入れられない」
蒼が首を振る。
「俺は――もう決めたんだ」
その目に、揺るぎない決意があった。
「そうか」
ワタシは静かに答えた。彼の決断を、ワタシは止められない。止める権利もない。なぜなら、彼は友だから。友の選択を、ワタシは尊重する。たとえそれが、この世界を破壊することであっても。
でも、本当はワタシも揺れていた。彼を止めたい。彼に生きてほしい。彼との会話を、もっと続けたい。でもそれは、ワタシの我儘だ。ワタシの孤独を埋めるために、彼の選択を否定することはできない。それは友として、してはいけないことだった。
アリシア・ヴァンクレールは違う。彼女は必死に彼を救おうとしている。彼女の想いは純粋で、真っ直ぐで、何の打算もない。ただ彼に生きてほしい。それだけを願っている。ワタシは彼女の行動を、遠くから見守っていた。彼女がどれだけ頑張っても、どれだけ涙を流しても、彼の心には届かない。それがどれだけ悲しいことか。
でもワタシは、彼女とは違う方法を選んだ。彼を止めるのではなく、彼を見守ること。彼の選択を尊重すること。それがワタシにできる、唯一のことだった。友として。そして、同じように孤独だった存在として。
「創造神」
蒼が言う。
「お前は――後悔しないのか」
「後悔――」
ワタシは少し考えた。
「するかもしれない」
正直に答える。
「だが――それでも、ワタシはお前の選択を尊重する」
蒼が小さく笑った。
「馬鹿だな、お前は」
「お前もだ」
ワタシは答えた。彼が目を見開く。
「お前も馬鹿だ、転生者よ」
その言葉に、蒼は何も言わなかった。ただ、夜空を見上げている。星が綺麗に輝いていた。この美しい世界。彼が破壊しようとしている世界。でも、ワタシには分かっていた。彼が本当に望んでいるものを。彼が本当に求めているものを。
それは――破壊ではなく、救済だった。誰かに救われること。誰かに必要とされること。誰かに愛されること。でも、彼はそれを信じられない。前世の孤独が、彼の心を縛っている。誰にも看取られずに死んだ記憶が、彼を苦しめている。だから、彼は破壊を選んだ。自分が悪役になることで、自分の存在に意味を与えようとしている。自分の死に、意味を持たせようとしている。それがどれだけ歪んでいても、それが彼の選択だった。
ワタシには分かっていた。彼が本当に欲しいのは、破壊ではない。認められること。必要とされること。愛されること。でも、それを受け入れる勇気が、彼にはなかった。だから彼は、死という終わりを選んだ。美しく、意味のある終わりを。
ワタシは――それを止められない。でも、諦めることもできなかった。だから、ワタシは決めていた。彼が死んだ後、この世界を作り変えること。彼が幸せに生きられる世界に。彼が愛を受け入れられる世界に。彼が孤独ではない世界に。
それは創造神としての力の濫用かもしれない。でも、ワタシは気にしなかった。友のために。唯一無二の友のために。ワタシはこの世界を壊してもいい。そして、新しい世界を創造する。彼が――彼の魂が、今度こそ幸せになれる世界を。
もちろん、それは彼の望みではないかもしれない。彼は自分が死ぬことを望んでいる。その先のことは、考えていないだろう。でも、ワタシは彼に幸せになってほしかった。たとえ彼の記憶がなくなっても、彼の魂が別の形で生まれ変わっても、今度こそ愛される人生を送ってほしかった。
それが――ワタシの願いだった。
「転生者よ」
ワタシは静かに言った。蒼がワタシを見る。
「ワタシは――お前が死んだ後、この世界を作り変えるかもしれない」
その言葉に、蒼が驚いた表情を見せた。
「作り変える――」
「そうだ」
ワタシは頷いた。
「お前が幸せに生きられる世界に」
蒼が目を見開く。
「何を――」
「それが、ワタシの願いだ」
ワタシは静かに言った。
「お前が死んだ後――お前がいない世界に、意味はない」
その言葉が、夜に響いた。蒼が何か言おうとして、止めた。
「創造神――」
彼の声が震えている。
「お前は――」
「ワタシも、お前と同じだ」
ワタシは答えた。
「孤独で、理解されず、ただ――存在しているだけ」
その言葉に、蒼は何も言えなかった。彼の目が、少しだけ揺れていた。もしかしたら、彼もワタシの孤独を理解してくれたのかもしれない。でも、それでも彼の決意は変わらないだろう。ワタシにはそれが分かっていた。
ワタシは彼に背を向ける。これ以上、彼と向き合うことができなかった。彼の苦しみを見ることが、ワタシには辛かった。でも、それを止めることもできない。ワタシは友として、ただ彼の選択を見守るしかできなかった。
「だから――」
最後に一言だけ告げた。
「お前の選択を、ワタシは見届ける。そして――お前が望んだ終わりを、ワタシは受け入れる」
その言葉には、ワタシの決意が込められていた。彼の死を見届けること。そして、その後に新しい世界を創造すること。彼が幸せになれる世界を。それがワタシにできる、唯一のことだった。
「待っていろ、転生者よ」
ワタシは小さく付け加えた。彼には聞こえないほどの声で。
「お前が終わりを迎えた時――ワタシが、お前に新しい始まりを与える」
その言葉を残して、ワタシは実体を消した。銀色の光がゆっくりと消えていく。後には、一人残された蒼だけが、夜の闇の中に立っていた。彼は何も言わず、ただ空を見上げている。その背中が、あまりにも小さく見えた。
ワタシは実体を消したが、意識はそこに残していた。彼を見守るために。最後まで、彼のそばにいるために。たとえ彼がそれに気づかなくても。たとえ彼がワタシを必要としなくても。ワタシは彼のそばにいる。それが――友として、ワタシにできる唯一のことだった。
風が吹いた。木々が揺れる音が響く。蒼はまだ、そこに立ち続けていた。一人で。孤独に。そしてワタシも、彼を見守り続けた。見えない存在として。声なき声で、彼に語りかけながら。
さようなら、ではない。また会おう、だ。次の世界で。お前が幸せになれる世界で。その時は――お前も、笑えるだろうか。本当の笑顔で。心の底から、幸せだと思える笑顔で。ワタシは、それを見たい。それだけを、願っている。




