真実の告白
扉が開く音がした。わたくしは凍りつきました。手には結城さんの日記、目には涙。振り返ると、そこに彼が立っていました。結城蒼。彼はわたくしを見ています。そして床に落ちているノートを見ています。わたくしが彼の日記を読んだことに、気づいて。
「アリシア様」
彼の声が静かに響きました。
「それは――」
言葉が途切れます。わたくしは何も言えませんでした。ただ涙が止まりません。
「読んだのですね」
彼が小さく言います。その声は驚いているようでもなく、怒っているようでもなく、ただ諦めているような。
「結城、さん――」
わたくしは震える声で言います。
「これは――」
言葉が出てきません。何を言えばいいのでしょう。彼の部屋に無断で入ったこと、彼の日記を読んだこと、すべて間違っていることは分かっています。でもそれ以上に、日記の内容がわたくしの心を押し潰していました。
「すみません」
結城さんが静かに言いました。
「見られたくないものを、見せてしまって」
その言葉にわたくしは顔を上げました。
「謝るのは――わたくしの方ですわ」
涙を拭います。
「勝手に、あなたの部屋に――」
「いえ」
結城さんが首を振ります。
「アリシア様は、何も悪くありません」
彼が部屋に入ってきます。そしてわたくしの前に立ちました。
「心配を、かけてすみません」
その言葉が胸に突き刺さります。
「心配、ですって――?」
わたくしは声を荒げてしまいました。
「あなたは――」
涙が溢れます。
「あなたは、死にたかったのですか?」
その問いに結城さんは何も答えませんでした。ただ静かにわたくしを見ています。
「わたくしに――」
わたくしは続けます。
「断罪されることを、望んでいたのですか?」
その言葉に結城さんは小さく頷きました。
「はい」
静かな肯定。その一言がわたくしの心を砕きました。
「どうして――」
膝が崩れます。
「どうして、そんなこと――」
結城さんがわたくしを支えてくれました。その手が冷たくて。
「すみません」
彼が小さく言います。
「アリシア様を、利用しようとして」
その言葉にわたくしは首を振りました。
「利用、ではありませんわ」
涙を拭いながら言います。
「あなたは――ずっと、わたくしを支えてくれました」
結城さんがわたくしを見下ろします。
「それは――」
彼の声が震えます。
「アリシア様を、悪役にするためでした」
その告白にわたくしは息を呑みました。でもわたくしは知っていました。日記に書いてありました。
「わたくしを――」
小さく言います。
「悪役に、育てるために?」
結城さんが頷きました。
「はい」
その言葉が痛くて。でもわたくしは立ち上がります。結城さんの手を振り払って。
「結城さん」
わたくしは彼を見ます。真っ直ぐに。
「わたくしは――」
涙が止まりません。でも言わなければなりません。
「わたくしは、あなたを断罪しません」
*
アリシアの言葉が僕の耳に届いた。
「わたくしは、あなたを断罪しません」
その言葉が何を意味するのか、僕には分かっていた。彼女は僕を拒絶した。僕の願いを、僕の望みを、僕の唯一の救いを。
「アリシア様」
僕は静かに言った。
「それは、困ります」
アリシアが顔を上げた。
「困る、ですって?」
彼女の声が震えている。
「あなたは――」
涙を流しながら言う。
「死にたいと、言うのですか?」
その問いに僕は頷いた。
「はい」
短く肯定する。アリシアが息を呑んだ。
「どうして――」
彼女が小さく呟く。
「どうして、生きていたくないのですか?」
その問いに僕は少し考えた。どう答えればいいのか。
「生きる意味が、ないからです」
僕は静かに答えた。アリシアが目を見開いた。
「生きる意味が、ない?」
「はい」
僕は続ける。
「僕は――転生者です」
「転生者――」
アリシアが呟く。
「前世の記憶がある、ということですか?」
「ええ」
僕は頷いた。
「前世で――僕は、孤独に死にました」
アリシアがじっと僕を見ている。
「誰にも看取られず、誰にも惜しまれず、ただ――消えていきました」
その言葉が口から溢れる。
「それは――醜い死でした」
アリシアが何か言おうとして、止めた。
「だから、今度は」
僕は続ける。
「美しく、終わりたかったんです」
その言葉にアリシアが首を振った。
「それが――」
彼女の声が震える。
「わたくしに、断罪されることなのですか?」
僕は頷いた。
「はい」
「どうして――」
アリシアが泣いている。
「どうして、わたくしなのですか?」
その問いに僕は静かに答えた。
「アリシア様は――完璧だからです」
彼女が目を見開く。
「気高く、誇り高く、正義を貫く」
僕は続ける。
「そんなアリシア様に断罪されるなら、僕の死にも意味が生まれる」
その言葉にアリシアが激しく首を振った。
「違います!」
彼女が叫ぶ。
「わたくしは、完璧ではありません!」
涙が溢れている。
「わたくしは――」
彼女の声が震える。
「ただの、人間です」
その言葉に僕は何も言えなかった。
「結城さん」
アリシアが僕を見る。涙を流しながら。
「お願いです」
彼女が小さく言う。
「生きてください」
その言葉が胸に響いた。
「わたくしは――」
アリシアが続ける。
「あなたを、断罪しません。あなたを、殺しません」
涙が止まらない。
「だから――」
彼女が僕の手を握る。
「生きてください」
その手が温かくて。
「アリシア様」
僕は静かに言った。
「でも、僕は――」
言葉が続かない。アリシアの目が真っ直ぐに僕を見ている。
「あなたには――」
彼女が言う。
「生きる価値があります」
その言葉に僕は首を振った。
「ありません」
「あります!」
アリシアが強く言った。
「あなたは――」
彼女の声が震える。
「わたくしを支えてくれました。生徒会の仕事を助けてくれました。いつもそばにいてくれました」
涙が溢れる。
「それは――」
僕は言った。
「アリシア様を、悪役にするためでした」
「違います!」
アリシアが叫ぶ。
「あなたの優しさは、本物でした」
その言葉に僕は何も言えなかった。
「エリカさんも、セレスティアさんも、リディア様も」
アリシアが続ける。
「みんな――あなたに救われました」
その言葉が嘘のように聞こえた。
「僕は――」
小さく言う。
「誰も、救っていません」
アリシアが首を振った。
「救いました」
彼女が僕の目を見る。
「あなたは、みんなを救ったんです」
その言葉が理解できなかった。
「でも――」
「結城さん」
アリシアが僕の手を強く握る。
「お願いです」
涙が落ちる。
「生きてください。わたくしは――」
彼女の声が震える。
「あなたに、生きていてほしいんです」
その言葉が胸に響いた。初めて誰かが、僕の命を必死に守ろうとしてくれた。でも僕は。
「すみません」
僕は静かに言った。
「僕には――」
アリシアの手を外す。
「生きる理由が、ありません」
その言葉にアリシアが崩れ落ちた。
「どうして――」
彼女が泣いている。
「どうして、わたくしの言葉では――」
その言葉が僕の心を締め付けた。でも僕には無理だった。生きること、希望を持つこと、誰かの優しさを受け入れること。それがどうしてもできなかった。前世で誰も僕を見てくれなかった。孤独なアパートの一室で、誰にも気づかれずに死んだ時も、誰も僕の命を惜しんでくれなかった。でも今、目の前にいる彼女は。アリシア・ヴァンクレールは涙を流しながら、僕の命を守ろうとしている。その温かさが痛い。その優しさが苦しい。なぜなら、僕はそれに応えられないから。
「すみません、アリシア様」
僕は背を向けた。彼女の嗚咽が背中に聞こえる。
「でも、もう決めたことなんです」
足を動かす。一歩、また一歩。扉に近づいていく。その時――
「待ってください!」
アリシアの声が響いた。強い声だった。涙を押し殺した、強い声。振り返ると、彼女が立ち上がっていた。涙で濡れた顔。でも、その目には強い光があった。
「わたくしは――」
彼女が宣言する。
「諦めません」
涙を流しながらも、その声は揺るがない。
「あなたを――」
アリシアが一歩、近づく。
「絶対に、救ってみせます」
その目が揺るがない意志を宿している。
「たとえ――」
アリシアが続ける。
「あなたが拒んでも」
また一歩、近づく。
「あなたが逃げても」
また一歩。
「あなたが――」
彼女が僕の目の前に立つ。
「死にたいと願っても」
その目が僕を射抜く。
「わたくしは、諦めません」
その宣言が部屋に響いた。僕は何も言えなかった。アリシアの目に映っているもの。それは僕への決意。僕を救うという確固たる意志。
「結城さん」
アリシアが静かに言う。
「わたくしは――」
涙がまた溢れる。
「あなたに、生きていてほしいんです」
その言葉が胸に突き刺さった。でも、僕は首を振った。
「無理です」
小さく答える。アリシアが首を振る。
「遅くなんて、ありません」
「遅いんです」
僕は言った。
「僕は――もう、決めてしまったから」
その言葉の意味を、アリシアは理解しただろうか。僕がもう引き返せないところまで来ていることを。
「結城さん――」
アリシアの声が震えている。でも、僕はもう聞けない。
扉を開けた。廊下の冷たい空気が部屋に流れ込む。
「結城さん!」
アリシアの声が響く。でも僕は部屋を出た。扉を閉める。アリシアの声が遠ざかっていく。
僕は廊下を歩き始めた。月明かりが窓から差し込んでいる。静かな夜だった。誰もいない廊下に、僕の足音だけが響いている。心が空っぽだった。アリシアの優しさは本物だった。彼女の涙も、彼女の言葉も、彼女の想いも、すべて本物だった。でも、それは僕には届かない。なぜなら、僕はもう壊れているから。
廊下の先に階段が見える。僕はそこを降りていく。一段、また一段。アリシアの声がまだ耳に残っている。
「わたくしは、諦めません」
その言葉が頭の中で繰り返される。僕は小さく笑った。空っぽな笑顔で。
「無駄なのに」
小さく呟く。アリシアがどれだけ頑張っても、どれだけ僕を救おうとしても、僕はもう救われない。なぜなら、僕自身がそれを拒んでいるから。
外に出ると夜風が頬を撫でた。冷たい風。でも心地よくない。何も感じられない。空を見上げる。星が綺麗に輝いていた。でもその光も僕には届かない。すべてが遠くて、すべてが空虚だった。僕はただ歩き続けた。どこへ行くのかも分からないまま。ただアリシアから遠ざかるために。彼女の優しさから逃げるために。なぜなら、それを受け入れてしまえば、僕の決意が崩れてしまうから。
月が僕を照らしていた。冷たい光で。その光が僕の影を伸ばしている。長く、暗い影。それが僕の心を表しているようだった。僕は夜の学院をさまよい続けた。アリシアの言葉がずっと頭の中で響いている。
「わたくしは、諦めません」
その言葉が僕を苦しめる。なぜなら、僕はそれに応えられないから。彼女の想いを受け入れられないから。
風がまた吹いた。冷たい夜風。僕はその風に吹かれながら、ただ歩き続けた。暗い夜の中を。一人で。そして心の中で呟いた。
ごめんなさい、アリシア様。僕はあなたの優しさに応えられない。あなたの想いを受け入れられない。なぜなら、僕はもう決めてしまったから。自分の終わり方を。




