エリカ編 後編
「俺たちは、お前を比べていたわけじゃないんだ」
父親の声が、震えていた。
「ただ――お前を応援したかったんだ」
「兄たちの話を書いたのは、お前に負担をかけるためじゃない」
「お前も頑張ってるって、知っているからだ」
エリカが、父の胸で泣いている。
「お前は、お前のペースで頑張ればいい」
「誰かと比べる必要はない」
「お前は――お前だけでいいんだ」
その言葉に――
エリカは、声を上げて泣いた。
「父さん……!」
長兄が、そっとエリカの頭を撫でた。
「エリカ、俺たちはお前のことを誇りに思ってるんだ」
「女の身で騎士を目指す勇気。その努力」
「誰にでもできることじゃない」
次兄も、優しく微笑んだ。
「俺は、お前を尊敬してるよ」
「自分の道を、貫いているんだから」
母が、エリカを抱きしめた。
「エリカ、ごめんなさい」
「私たち、気づいてあげられなくて」
「あなたが、どんなに辛かったか……」
家族の言葉が――
エリカの心を、温かく包んでいた。
僕は、その光景を少し離れた場所から見ていた。
原作通り。
家族の誤解は解けた。
エリカは、救われた。
でも――
胸の奥が、苦しかった。
これは、計画のためだ。
エリカを僕に依存させるための、第一歩だ。
そう、自分に言い聞かせる。
でも――
本当は、違う。
エリカの笑顔を見たかった。
彼女の涙を、止めたかった。
それが――本心だった。
「結城さん」
エリカが、僕を呼んだ。
涙と笑顔が混じった顔で。
「ありがとうございます」
「あたし、結城さんのおかげで――」
「家族と、本当の話ができました」
その言葉が、重かった。
温かくて、でも――重かった。
学院に戻ってから。
エリカは、さらに僕に懐くようになった。
「結城さん! 今日も訓練、お願いします!」
「結城さん、昨日教えてもらった技、できるようになりました!」
「結城さん、あの……」
エリカは、いつも僕を探している。
依存している。
計画通りだ。
でも――
次のステップに進めない。
原作では、ここでヒロインと悪役令嬢を対立させる。
嫉妬、誤解、すれ違い。
そして――ヒロインが、悪役令嬢を排除する。
でも――
僕は、それをする気になれなかった。
アリシアの顔が、浮かぶ。
彼女の笑顔が、浮かぶ。
「そばにいてくださいね」という言葉が、響く。
「できない」
小さく呟く。
アリシアを傷つけることは、できない。
でも――それでは、計画が進まない。
ある日、エリカが生徒会室を訪ねてきた。
「結城さん、いますか?」
エリカの声が聞こえる。
僕が顔を出すと――
エリカと、アリシアが向かい合っていた。
「あ、結城さん!」
エリカが、嬉しそうに僕を見る。
でも、アリシアは――
少し寂しそうな顔をしていた。
「エリカさん、ですわね」
アリシアが、優雅に微笑んだ。
「結城様から、お話は伺っています」
「騎士を目指していらっしゃるとか」
「あ、はい! あたし、エリカ・フォルテシアです!」
エリカは、明るく答えた。
でも、少し緊張している。
「結城さんには、すごくお世話になってるんです」
「剣の指導をしてもらって、家族のことも助けてもらって」
「あたし、結城さんには感謝してもしきれないくらいで――」
エリカの言葉を聞いて――
アリシアの表情が、少し曇った。
「そうですか」
「結城様は、とても優しい方ですものね」
アリシアの声が――
少し、寂しそうだった。
その瞬間――
僕は、気づいた。
アリシアは、気づいている。
僕が、エリカに時間を使っていることに。
生徒会の仕事よりも、エリカの訓練を優先していることに。
「アリシア様……」
僕が声をかけようとした時――
エリカが、言った。
「あの、アリシア様」
「あたし、お話があるんです」
エリカは、真剣な顔でアリシアを見た。
「あたし、結城さんのことが――」
「好きなんです」
その言葉に――
時が、止まった。
アリシアが、驚いた顔をする。
僕も、固まった。
「でも、アリシア様も――」
エリカが、続けた。
「アリシア様も、結城さんのこと、好きなんですよね」
その言葉に――
アリシアの顔が、真っ赤になった。
「な、何を……」
「分かります。女の勘って言うか」
「アリシア様が結城さんを見る目、すごく優しいんです」
エリカは、少し寂しそうに笑った。
「だから、あたし――」
「アリシア様に、勝てないって思います」
その言葉に――
アリシアが、驚いた顔をした。
「勝てない? 何を言って――」
「だって、アリシア様は完璧ですから」
エリカは、真っ直ぐにアリシアを見た。
「綺麗で、優しくて、頭も良くて」
「生徒会長として、みんなを助けてる」
「そんなアリシア様に、あたしが勝てるわけない」
アリシアは――
困ったような、悲しいような顔をした。
「エリカさん、私は――」
アリシアが、何か言おうとした時――
エリカが、首を横に振った。
「でも、いいんです」
エリカは、笑顔を作った。
少し泣きそうな笑顔で。
「あたし、結城さんに助けてもらって」
「家族とも和解できて」
「自分の道を、見つけられました」
エリカが、僕を見た。
「だから、もういいんです」
「結城さんには、感謝してます」
「でも――これ以上、迷惑はかけられません」
その言葉が――
胸に、突き刺さった。
「迷惑なんて――」
僕が言いかけると、エリカが微笑んだ。
「結城さん、ありがとうございました」
「あたし、もっと強くなります」
「自分の力で、騎士になります」
そして――
エリカは、アリシアを見た。
「アリシア様、結城さんをよろしくお願いします」
「結城さんは、時々すごく寂しそうな顔をするんです」
「そんな時、そばにいてあげてください」
アリシアが、優しく微笑んだ。
「ええ。約束します」
二人が微笑み合う。
そこには――対立ではなく、理解があった。
計画は、完全に崩壊していた。
数日後。
エリカが、学院を去ることになった。
「家で、もっと修行します」
「そして、騎士試験を受けるんです」
エリカは、明るく言った。
もう、迷いはない。
彼女は、自分の道を見つけた。
訓練場で、最後の別れを告げる時。
エリカが、僕に言った。
「結城さん、一つだけ聞いていいですか?」
「はい」
「結城さんは――何を求めているんですか?」
その質問に、僕は答えられなかった。
「あたし、気づいたんです」
エリカが、真剣な目で僕を見た。
「結城さんは、何かを諦めようとしている」
「生きることを、諦めようとしている」
その言葉に――
僕の心臓が、大きく跳ねた。
「違います」
「いえ、違わない」
エリカは、首を横に振った。
「あたし、結城さんの目を見てきました」
「すごく優しい目をしてるのに」
「時々、すごく悲しい目になるんです」
エリカが、一歩近づく。
「まるで、自分の存在を否定しているような」
「生きることを、拒否しているような」
「エリカさん――」
「結城さん、あたしは言います」
エリカが、強い口調で言った。
「それは、間違ってます」
その言葉が――
胸に、深く突き刺さった。
「結城さんは、あたしを助けてくれました」
「家族との問題も、解決してくれました」
「あたしにとって、結城さんは大切な人なんです」
エリカの目から、涙が溢れた。
「そんな結城さんが、自分を否定するなんて――」
「許せません」
エリカは、泣きながら笑った。
「それに、アリシア様も同じことを思ってます」
「あたし、アリシア様と話したんです」
「アリシア様は、結城さんのことをすごく心配してる」
エリカが、僕の手を握った。
「結城さん、間違わないでください」
「アリシア様は、道具なんかじゃありません」
「すごく優しくて、誰よりも人を思いやる方です」
その言葉に――
僕は、何も言えなかった。
「もし結城さんが、アリシア様を何かの計画に使おうとしているなら――」
「やめてください」
エリカの声が、震えていた。
「アリシア様を、傷つけないでください」
「お願いします」
その言葉が――
最後の一撃だった。
エリカは、すべて見抜いていた。
僕の計画を。
僕の願望を。
僕の――歪みを。
「エリカさん……」
「あたし、行きます」
エリカは、涙を拭って微笑んだ。
「でも、いつか――」
「結城さんが本当に笑える日が来ることを、祈ってます」
そして、エリカは去っていった。
自分の道を歩むために。
僕は――
一人、訓練場に残された。
計画は、失敗した。
エリカは、悪役にならなかった。
アリシアと対立することもなかった。
むしろ――二人は、理解し合った。
「なぜだ」
小さく呟く。
なぜ、計画通りにいかないんだ。
なぜ、みんな――優しいんだ。
エリカの最後の言葉が、響く。
『アリシア様は、道具なんかじゃありません』
分かっている。
僕も、それは分かっている。
でも――認められない。
認めてしまったら――
僕の計画は、完全に崩壊する。
美しく終わる方法が、なくなる。
「次だ」
小さく呟く。
エリカが駄目なら、次のヒロインだ。
セレスティア・ノワール。
図書館の優等生。
彼女なら――
計画通りにいくかもしれない。
でも――
胸の奥の違和感は、消えなかった。
エリカの笑顔が、浮かぶ。
アリシアの笑顔が、浮かぶ。
二人が理解し合った、あの瞬間が浮かぶ。
「これでいいのか?」
自問する。
でも、答えは出ない。
ただ――
罪悪感だけが、重くなっていった。




