7.
始発が出ると、蛍と瑠依は電車に乗った。人のいない車両で三駅ほどの駅で降りると、歩いて瑠依の家へと向かう。瑠依の家を訪れるのも、ずいぶん久しぶりだった。
ボロアパートで狭く、風呂もない。いつ行っても、薄い壁の隣の部屋からラジオの音が聞こえて来た。
「とりあえず仮眠を取ろう」
瑠依はあれほど酔って眠っていないとは思えないほど、きびきびと布団を敷いた。蛍はどうして自分はここにいるのだろうかと疑問に思う。
仕事はない。金もない。しかし、張り切る友となぜか見える幽霊がいる。電車が来た時点で別れてもよかった。すべてにさよならしてもよかった。
それでも、瑠依を自殺した幽霊とふたりきりにすることは心配だった。クオンがこちらについて来るのもまた困る。
結局、三人一緒に行動するしかなく、瑠依はそれが自然だと思っている様子だった。布団に入ると眠くないと思っていても、その暖かさにゆっくりとまぶたが落ちていく。
とても嫌な夢を見た。顔全体が黒塗りされたような人間たちが蛍をとり囲んでいる。誰もが蛍が見えているはずなのに、無視をして話を決め込んでいた。蛍は上手く言葉を話せない。これでは駄目だと思いながら、なんの行動もとれない。冷たい汗が背中を伝う。
黒塗りの人物たちが誰かは見えなくても、誰かはすぐに分かっていた。
嫌な後味で目が覚めた。
「ん。おはよう」
目を覚ますと、クオンが浮かんで床に置いた蛍のスマホをいじっているように見えた。
「また、スコア更新しちゃった。それとあんまり味気なかったから、アプリをたくさん入れておいたから」
蛍はもぞもぞと眼鏡を探す。枕の上に投げ出されていて、掛けるとクオンの姿がはっきりと見えた。
「まあ。課金してなきゃいいけど。……バッテリー」
スマホを手に取ると、十パーセントを切っている。鞄から充電器を取り出して、コンセントに差した。本当にかなりの数のアプリが増えている。呆れて確認する気も起きず電源を落とした。
ふとひたいを拭うと、やはり嫌な汗をかいている。誤魔化すように顔を意味もなく擦りながら、クオンに話しかけた。
「なぁ」
「なに?」
「……やっぱりいい」
死んだときのことを聞きたくなった。けれど、聞いたところで実際に感じるものは人によって違うだろう。自分は楽になるのか、後悔するのか。
クオンと自分は明確に違う。クオンは成功者で、蛍は脱落者だった。
「言いかけるのはやめて、気になるから」
本人も眠ることも出来ず、暇なのだろう。蛍は適当な代わりの質問を考えた。
「歌い手って儲かるのか?」
下世話な質問だ。気にもならないけれど、だからと言って歌のことを聞きたいとは思わない。ただ、あれほど歌が上手いし、ネットニュースにもなるなら人気もあったのだろう。
クオンの返答はあいまいだ。
「儲かる? うーん、私の場合は儲かり始めたところなのかな。でも、歌い手自体は儲かりはしないかな。うん」
「まあ、そうだろうな」
どこも一緒だ。エンタメの世界は頂点こそ派手ではあるものの、他はどんぐりの背比べ。それでもいい方で、陰湿な足の引っ張り合いもあるところにはある。
「歌だけじゃ、やっていけなくて。動画チャンネルでいろいろ企画してさ。あんまり、人気なかったな」
遠い昔話のように話すクオン。下積みをどれだけ積んでも、クオンのように一つの炎上で死に追い込まれることもあるのだ。
「じゃあ、どうして」
――炎上したのか。聞こうとして、口を閉ざす。
どれだけ気丈にしていても、自ら死を選んだ人間なのだ。本人に尋ねるのははばかれる。ネットを調べれば、本人の意見とは違っても、分かることもあるだろう。
「うーん。おはよう」
誤魔化す前に瑠依が目を覚ました。寝ぐせのついた髪をボリボリとかく。よろよろと立ち上がって、トイレに向かう。水を流す音と共にひょっこり顔を出した。
「十時前か。朝飯と昼飯一緒でいい?」
断る理由はない。何でもいいと伝えると、瑠依は冷蔵庫を漁り出す。その間に蛍は布団を押し入れに何とか片手で押し込んだ。
二人の様子をクオンはつまらなそうに眺めているだけだ。何も出来ない幽体なのだからしょうがない。
「出来た。テーブル出して」
布団を敷くために立てかけていた、ちゃぶ台を出す。瑠依が持ってきたのは、皿いっぱいに盛られたチャーハンだ。上に目玉焼きが乗せられている。
醤油をたらして、スプーンで目玉焼きごとチャーハンをかき混ぜる。眼鏡が曇るが、左手はスプーン、利き手の右手はギプスで固定しているので使えない。
スプーンに出来るだけ盛って不器用に口に運ぶ。ウインナーが少ししか入っていないチャーハンだが、こうして食べると美味い。瑠依は中華料理屋でバイトしていた経験があるので、まかないで作っていたチャーハンだけが異常に美味いのだ。
瑠依も長い前髪をかきわけて、がっついていた。
「そんなに美味しいの?」
クオンは無言で食べ続ける二人に興味津々だ。蛍と瑠依は頷くだけで、食べ終わるまで食事に集中し続けた。