5.
「何にしようかなー」
幽霊のくせにメニューを眺め始める。もちろん食事することは出来ないだろう。二人はドリンクバーだけを注文した。
こそこそと意味もなく、瑠依が耳打ちしてくる。
「ねぇ、蛍くん。この人、なんで俺たちに着いてくるんだろ」
もちろんクオンには聞こえているようで、本人も不服そうに訴えてきた。
「あんた達しか見える人間が居ないんだから、しょうがないでしょ。ずっとあそこで歌っていても埒が明かないし」
確かに理屈は分かる。それでも目の前でふわふわと浮かばれたら、落ち着かなかった。
「本当に、その、自殺したのか?」
アバターの姿ではあるが、自ら命を絶ったにしては表情も声も暗さの欠片もない。クオンはしばらく黙ったままだったが、やがて真剣な顔で頷いた。
「そう。私はレコーディングの合宿所のベランダから転落して、気づいたらあのクリスマスツリーの前に居たの」
「そうか」
それ以上は聞かないことにした。理由は明白であるし、目の前にいられると落ち着かないが、彼女もどこにも行きようがないのだ。すぐに追い払うというのも酷ではある。
三人は黙ったまま、コーヒーを飲む。
「ところで、蛍。その腕どうしたの」
口を開いたのはクオンだ。会って間もないのにいきなり呼び捨てにされたことに、少しばかりムッとした。だが、隠すことでもないので素直に話す。
「ちょっとした事故に遭っただけだ。綺麗に折れているから、特別問題ない」
問題があるのは、別のところだ。眼鏡を折れていない左手で押し上げる。
「何だか、どんくさいのね」
さらに苛立ったが、どんくさいから事故に遭ったので反論はできない。
「あ! ごめん、蛍くん!」
何かを思い出したように瑠依が声を上げる。
「明日も仕事だよね。それなのに朝まで付き合わせちゃって」
「……いや。大丈夫。たまたま、明日は休みだったから」
瑠依に仕事を辞めたと素直に言えなかった。
「蛍と瑠依って、何の仕事してんの?」
空中に頬杖をついたクオンが暇つぶしの為のように聞いて来る。
「俺はお笑い芸人。……売れてないから知らないだろうけど」
ふーんと言って髪をいじっている。クオンは特別、興味なさそうだ。
「蛍は?」
「俺は工事現場の仕事」
そう言うと、クオンはジッと顔を近づけてくる。
「蛍って大工さんって感じじゃないよね。というより、眼鏡だし」
「眼鏡じゃ悪いのか?」
眼鏡の奥からジッと睨み返してみる。けれど、クオンは気にした様子はない。
「別に」
再び沈黙が訪れた。することもないので、瑠依はスマホを取り出して操作し始める。蛍もスマホでゲームでもしようと、左手でポケットから取り出した。
しかし、やはり左手だけでは操作出来ないのでテーブルに置いて、アプリを起動する。
オーソドックスなパズルゲームだ。クルクルとパズルを回して繋げて消していく。
「そこじゃなくて、こっち! もうッ!」
左手の人差し指で操っていると、覗き込んできたクオンが口を出して来た。あまり上手く行かずに、制限時間が終了してしまう。
クオンは両手の平を上に向けて、首を横に振る。
「もー、駄目ね。それ、同じのやっているけど、全然スコア出ないじゃない」
最高記録どころか、スコアは半分も出ていなかった。左腕のギプスを軽く持ち上げる。
「右手が利き手だから。しょうがないだろ」
「私にやらせてよ」
奪い取れるわけはないが、ずいと近づかれると後ろに引いてしまう。クオンの指がスマホの液晶に触れる。幽体なので、触れたところで何も起こらないはずだった。
それなのに、スタートボタンをタップするとゲームが始まる。
「えっ」
蛍だけでなく、操作したクオン本人も驚いた。蛍は息を止めて、スマホを凝視する。空気を感じ取ったのか、瑠依が顔を上げた。
「どうしたの?」
「いや、クオンがスマホを……」
そう言っている間にも、クオンはパズルを小気味よく解いていく。その様子を瑠依も食い入るように見つめた。制限時間が終わると、蛍より少し高いスコアが表示されている。
「ほ、ほら。私の方が上手いじゃない」
威張ってはいるものの、本人も戸惑っているようで声が上ずっている。
「幽体だけど、スマホは使える? どうして」
手にしているスマホをまじまじと眺める蛍。パズル云々よりも、スマホを操作出来ている事実に驚いていた。
「一応こうして見えているわけだし、幽体に電気みたいなものでも走っているのかな」
瑠依が言うことに、心の中で頷くしかない。
原理は分からずとも、クオンは指で簡単に操作していた。勝手に他のアプリも開いて、スマホの中を覗いている。思わず蛍はスマホを取り上げた。
「SNSとか、していないんだ?」
「……まあ、余計な情報も入ってくるし」
「でも、必要な情報も入ってこないでしょ。だから、私のことを見てもピンと来なかったんだ」
尋問されているような蛍を助けるように、瑠依が口を出す。
「ほら、蛍くんは真面目な人だから」
「真面目って言っても」
食い下がるクオンに、蛍は苛立ってくる。歌っているときは美しいと思った少し高めの声も耳について苛立ってしまう。
「どうでもいいことだろ。ほら、スマホなら貸すからさっきのゲームでもしていろよ」
蛍はスマホをクオンの方に寄せた。素直にクオンはゲームを始める。
クオンがスマホに集中している横で、蛍と瑠依は寝るわけでもなく、何杯目かも分からないコーヒーを口に運ぶ。
夜はまだ長い。