41話
「やっば、遅刻だ」
道路を女子生徒が走っていた。名前は井瀬海里。夜月岸渡高校1年。
井瀬は住宅街のある高台から坂道を降りて最寄りのバス停ではなく、快速のバスが出るバス停を目指して走った。
その途中、車道の前に出た。信号がある交差点まで回り込むのが惜しく、横を見るとカーブで先は見えないが、近くには車がないことを確認し、素早く車道を横切ることにした。
井瀬は急いで渡ろうと飛び込み、車道の中心で着地に失敗して足をくじき、バランスを崩してしゃがみ込んだ。次の瞬間、走行音を耳にして血の気が引き、横を見ると車がブレーキ音とクラクションを鳴らしながら突っ込んできた。車と衝突し衝突音が辺りに広がった。
そして血を流して倒れた井瀬と大きく凹んで転覆した車が後に残った。騒ぎを聞きつけた近所の人が通報し、井瀬と運転手は救急車で運ばれていった。
それから数日後、事故現場付近のガードレール下に献花がされていた。夕方にはそこに羽々夢兎高校の女子生徒たちがやって来て手を合わせて死者を偲んでいた。
一方、ある日の霊火亜誕高校。休み時間の大河たちの教室では、前回の数学の授業で指名された人たちが、次の数学の授業で答え合わせをする宿題の答を黒板に書いていた。久遠も担当の一人となっていてノートを見ながら答えを黒板に書いていた。
当番ではない人たちは休み、仲の良い女子生徒たちが机に集まってスマホでSNSの画面を友達に見せてその話をしていた。
「このお笑い芸人、久しぶりに見た」
「あー、確かに。最近見て無かったかも」
「あの報道の後から出番が減ったんだよね」
その芸人は週刊誌によって妻が事故死していたことを報じられた。隠していた情報だが、悲劇的でセンセーショナルな見出しと共に情報は瞬く間に広まった。隠していた理由は負のイメージが付くことを恐れてのもの。しかし隠し通せなかった。
悪いことをしていたから報いを受けたのだ、辛気臭くて笑えなくなるから番組に出るな、暢気にお笑いなんてやるななどの抗議があった。そりゃないだろうと反論する者もおり、言い争いとなってSNSは炎上していた。結局、負のイメージが強くなって番組に呼ばれなくなり、ほとぼりが冷めるまで表舞台から姿を消していた。
「気の毒な事件だったね」
「面白いことしても、でもこの人辛い過去あるんだよね…と思うと元気なのが痛々しく感じたり、素直に笑えなかったりで空気が冷え込んじゃう」
「本人は立ち直った、変に気を遣わないで欲しいと言っててそうしたいけど意識しないようにするのは難しい…」
「分かる。そうは言われても知っちゃうとねー…」
久遠はチョークを落とし、落ちたチョークが真っ二つに折れた。
「大丈夫か?」
大河は自分の足元に転がってきたチョークを拾って黒板に置いた。
「あ、うん…。ちょっと指が疲れて」
「本当か?俺の爺さんは片手が上手く動かないなと思ってたら脳卒中だったということがある」
「本当に大丈夫だから。スマホの弄りすぎかな」
久遠は手を開いて振り、ちゃんと動くことを示した。そしてもう片方の割れたチョークを拾って持ち、答えの続きを書き出した。
「ならいいが…」
神経質になりすぎていたか…。爺さんの時と同じことはそう頻繁には無いか。そういえば久遠はスマホを利き手で操作するのか。普段意識してないから気づかなかった。俺は利き手じゃない方で操作するけど。利き手は空けておきたいからな。メモとかできるし。皆はどっちで持つんだろう。
「心配してくれてありがとう」
「ん?ああ、そんな大げさな」
久遠は大河の不思議そうな反応を見ていつも通りで安堵した。そして手を洗いに教室を出て行った。
どうしたんだ?調子悪くて弱気になってるのか?まあそういう時もあるか。そのうちいつもの調子に戻るだろう。
掃除の時間、大河が箒で廊下を無心で掃いて掃除していると久遠がやってきて声をかけた。
「ねえ大河くん、私、あなたにあまり自分のこと話してないよね?」
「えっ、そうか?」
正体が魔術師であることも、ここに来た理由が超能力犯罪対策の応援だということも聞いたわけだし、緑茶が好きとか落ち込んだ時はノスタルジックで泣ける作品見るとか聞いた。結構話したと思うけど、そういえば生まれや育ちを聞いたことはない。別に話さなきゃいけないことでも無いと思ってるけど…。
「危険な仕事もあるけどよく付き合ってくれるね。隠し事してる私を本当に信頼できる?」
「どうしたんだ今日は?調子狂うな」
「ちょっと気になってしまって…」
久遠は箒を強く握り、抱えるように胸に押し付けて体を丸めた。
「俺だって自分のことあまり話してないけど、信頼関係はあると思っているしそれでいいかなと」
「でもこのままでいいのかなって…」
「俺はいいけど、久遠は駄目なのか?」
「どう…なんだろう…分からなくなってきた」
「少なくとも俺は今まで久遠を見てきて信頼できると思っているよ。信頼を得るためにさらに自分のことを話す必要はないと思う」
張戸さんは何となく怪しいけど久遠は信頼できると思う。
「まあちょっと話を聞いてくれ」
「なに?」
大河は箒を動かす手を止め、窓を開けた。ぼんやりとした館内の空気に冷たい空気が差し込まれてキリッとした。
「俺は友達と遊ぶのも好きだけど一人でいるのもそれと同じかそれ以上に好きだ。だからといって、そうなった理由は過去に寂しい幼少期を過ごして慣れてしまった可哀想な人だからと想像する必要はない。ただ俺は一人が好きな性格だったというだけだ。理由なんてそれで十分。今の俺を見て欲しいし、人のこともそう見たい」
「……」
「君が明るいのも真面目なのも、君がそういう性格だから、それで十分だと思う。不十分と思うならどうぞ話してくれ。それから…今はちょっと暗くなっているがそういう日もあるだろう」
久遠は箒を握る手を解いて顔を上げた。
「…寛容ね。変な女が寄ってこないように気を付けてね」
「ご心配どうも。それより塵取り持つから入れてくれ」
「はいはい、ただいま」
久遠は左手で箒を持ち、腕を曲げて肩を後ろに回して胸を張った後、ごみを塵取りに向けて箒を掃いた。
「ありがと。ついでにそこの窓閉めといて」
大河は立ち上がって箒と塵取りを持って教室に入って行った。久遠は窓を閉め、そこに明るい表情を取り戻した姿が映っていた。箒を手に教室に戻っていった。
放課後、大河が家に帰るためバスを降りて歩いているとスマホを片手に周囲を見回している綾瀬一介を見つけた。地図を見ながら確認しているようだった。
「あ、綾瀬君、寮以外で会うのは久しぶり」
「げっ…」
綾瀬は大河に気づいて渋い顔をした。
「何だよ失礼な奴だな。仕事中だったか?」
「いえ、そういうわけではありませんが…。また犯人を見つけたから至急来てくれと仕事が入って来るんじゃないかと」
「そのことについてはいつも世話になってる。ありがとう」
「面と向かって言われると恥ずかしいです」
綾瀬は慣れない様子で目を逸らした。
「事件じゃないならなぜここに?」
「ただの帰り道」
「そうでしたか。それなら良かった」
綾瀬は安心して肩を下ろした。
「綾瀬君は?」
「クラスメイトが交通事故に遭ったのですよ。それでこれからちょっと行くところがあって…」
それで行くところというと病院か事故現場くらいだろうか。何かの集まりもありうるが、なんにせよ邪魔しちゃ悪いな。
「そうか。じゃ頑張って」
「先輩も来ませんか?時間もかからないと思います」
「俺が?」
「一人では心細いのです…」
世話になっているし、特に用事もないし手伝うのもいいが…。
「無関係の俺が行ったら邪魔にならないか?」
「そんなことありませんよ、大丈夫です」
「じゃあいいか…。行くよ」
「では行きましょう…クラスメイトのもとへ」
「え?」
それは事故現場だよな?あの世じゃないよな?
綾瀬は歩き出し、大河は置いて行かれないようについて行った。




