16話
その夜、大河は雨夜との電話で雲井さんの容体を聞いた。
「無事なようで良かった。しかし入院は1週間か。思ったより短いな」
「私も驚いた。以外に怪我は浅かったみたい」
「雨夜、変な木の板があったことは黙っておこう。見るからに怪しいし喋ると呪われるかも」
こう言っておくとよいだろう。下手に喋ってあれを仕掛けた魔術師に雨夜たちが襲われたら危険だ。
「そうだね。あれは秘密にしておく」
「それがいい」
電話から微かに遠くで誰かの声が聞こえた。
「あ、いけない。お姉ちゃんが呼んでる。もう切るね」
「うん。また明日」
「また明日、おやすみ」
雨夜は電話を切って自室を出た。階段下から風呂上りの姉に次の風呂に入る番を呼ばれていた。
翌日、大河は登校中に歩道で久遠に会った。
「おはよう久遠」
「あ、おはよう大河くん」
久遠は高くも低くもないテンションで挨拶を返した。
「シンさんのこと、セイさんから聞いたんだよね?」
「ああ。ごめん、あの時は知らなくてあんなことを」
「私が言ってなかったんだから大河くんは悪くないよ」
「そうか…」
「もう元気取り戻したからご心配なく。それに次の日曜日に時雨ちゃんたちと内湾港に遊びに行くんだよ。おしゃれな店いっぱいで超楽しみ」
元気には見えないが、意気消沈というほどではないか。本人がそう言っているのだから、変に気を遣わないでおこう。
内湾港…この島の南側にある港またはそこの港町のこと。会話の流れからして港町のことを指している。北側にある港は工業用で、南側の港はそれ以外を対応している。その港町にはビルがいくつもあり、レストランや喫茶店、雑貨店などが多くあり、あちこちから船で運び込まれた豊富な品々が充実している。
「大河くんはニューメイタワーに行ったことある?」
「無いな、下から見たことは何度もあるけど」
ニューメイタワー…港町にある観光用のタワー。港や海、山、中心街の摩天楼を見渡せる。入場料を払うことで内部に入ることができる。さらに一部の階は会員限定となっていて、ゆったりと過ごせるようになっている。
「ええー勿体ない」
「3年くらい住んでるけど、いつでも行けると思うと行かなくなってしまって…」
「あー、あるよねそういうの」
「まあとにかく楽しんできなよ」
その後、2人は教室に着き、挨拶しながら部屋に入ると遠野時雨の席の周りに人が集まっているのが見えた。
「どうかしたの?」
「あ、おはよう久遠。悪戯だと思うけど…」
遠野は手紙を久遠たちに見せた。
そこには『霊火亜誕高校チア部御中 命が惜しければ今年の大会に出場するな 死神』と書かれていた。ごく普通の紙に印刷されたもので、何ら特殊な雰囲気はなかった。強いて言うなら、普通の紙に普通の文字、模様やマークも無く無機質な雰囲気が特徴と言える。
「これが部室入ってすぐのところにあったの」
「部屋の中に…」
「扉の下に隙間があるからやろうと思えば鍵を開けなくても誰でもできるんだ。私たちを怖がらせる悪戯だと思うんだけど…」
死神がパソコンで文字を打つだろうか。いや、現代の死神ならするかも。こっくりさんなんかも現代ならパソコンでできるんじゃないだろうか。まあそれはともかく、こんなピンポイントな嫌がらせは人の手によるものだろう。
「先生には言った?」
「一応顧問の先生に言った。そしたら先生の方で調べておくって。惑わされては悪戯相手の思う壺だから気にするなとも」
「それもそうね」
もし悪戯だとすればどこかで反応を見ているのだろうか。遠野のような陽気な子が怯える様や苦しむ様を見て楽しもうってか。いい趣味してるぜ。それなら犯人はどこか見える場所にいるかカメラや盗聴器を仕掛けるかしているのだろう。そこに犯人の手掛りがあるかもしれない。まあ、ターゲットが遠野とは限らないが。なにせチア部は確か30人か40人くらいいるのだから。とにかく様子見かな。
「死神か…入冥島の死神は慈悲深いという噂を聞いたけどね」
久遠はそう呟いて自席に着いた。
大河も自席に着き、荷物を取り出していると前の席の赤城が手を合わせて頼み込んできた。
「大船、物理の宿題見せて。今日俺の番なんだよ」
授業では新しいことを学ぶ以外に、学んだことを問題を解いて確かめることもある。その問題は次回までに生徒が問題を解いてきて授業前に黒板に書き、先生が補足説明する。当番は名簿番号で順に回ってくる。今回の出題数は4問で、大河も今日は当番4人の1人である。
「自分でやれよ」
「夕べは色々あって無理だったんだよ」
「色々というなら俺もあったがやってきた」
「そうは言っても内容が違うだろう。それに自分は出来たんだから人もできると思うのは良くないな。個人差があるんだ」
「はいはい」
「競争に勝ち、上に立つ人たちからすれば自分と同じようにできない人たちは怠け者に見えるかもしれない。しかし逆だ。彼らがすごいのであって俺たちは普通なのだ。お互いに勝ち組めとか怠け者めとか、対立しても損しかない」
「そうだね」
「なあ見せてくれよ、ジュース奢るからさ」
「最初からそう言えばいいんだ」
「こいつぅ」
「はは、冗談だよ。ほら」
大河は問題を解いたノートを渡した。
「サンキュー、すぐに返す」
赤城はノートを受け取って手に自分のノートに書き写した。そこに青木がやってきた。
「おはよう。あ、赤城、宿題し忘れ?」
「色々あったんだよ」
「ふーん。ところで大船のノートは何で無地なの?罫線は?」
「何か…罫線あると不自由で嫌じゃないか?英語や国語ならいいけど、数学や物理だと邪魔に感じる」
「罫線無いと書いていて傾かない?」
「そんなことない。無地のキャンバスに絵を描くときに傾くか?習字の時に文字が傾くか?」
「言われてみれば…案外何とかなるかもね」
「だろ?」
「でも僕は罫線ありの方がいいな。慣れてるから」
青木はそう言って自席に着いた。
あまり賛同を得られない。無地ノートが売られている以上、俺が変なわけではないだろう。家の兄貴はともかく姉貴は俺と同じく無地ノート派だし。
その後、大河は授業を受けて午前最後の授業の体育の道具の片づけ中に遠野と話をした。
「遠野、初歩的なことですまんが、チア部の大会って何やるんだ?野球やサッカーみたいな試合は無いよな。陸上や水泳みたいに速さを競うのか?」
「違うよ。実際にチアリーディングして得点を競うんだよ。そういう意味では、野球や水泳より絵や歌のコンテストが近いかな。あるいはスキーやスケート、体操やダンス?」
「採点競技ってやつか」
「そうそれ」
採点競技か…採点者のような差が分かる人には分かるんだろうけど、俺には解説されても置いてけぼりな気分で見てもあんま面白くない。
「うちの高校は強豪なのに知らないの?」
「ごめん…」
「まあ大船は興味無さそうだもんね。この島の高校の夜月岸渡高校も、羽々夢兎高校もレベル高いけど、いつも私たちが1位なんだよ」
「へえ、すごかったんだな…」
「部長たちはやる気満々だけど、正直私は大会そんなに好きじゃないな…。出られないならそれはそれで…」
遠野は三角コーンを置いてポツリと呟いた。
「あ、これは言っちゃ駄目だよ。皆のやる気を削いじゃうから」
「ああ、わざわざ言わない。でも理由は気になる」
「技術レベルを上げるのは大事、大会で競うことで高め合っているのだと分かってる。だけど応援じゃなくて自分たちの実力の見せあいだから私の求めるものと違うなって」
「遠野の求めるものと違う…?」
「他のことで例えるなら、手品で人を喜ばせるのが好きでも手品の大会で技量比べするのだとあまり気が乗らないみたいな。もちろん、腕を磨くのは大切だと分かってるけど」
「なんとなく分かった」
部活じゃなく同好会ならそれでいいかもしれないな。
「それにその技量が本当に意味があるのかとふと思う時がある。例えばスケートは空中で一回転だろうと三回転だろうと私にはどっちでもいいと思うけど、やってる人たちは三回転の方が多分上なんだよね。私たちの技も応援を受ける人たちからすれば高度なことやってても別にもっと簡単な技でもいいと思われているかもしれない。むしろ、難しいことをするせいで応援する気持ちが伝わらなくなっているのかも…」
「成程ね。喜びのあまりに踊り出すのを見たら不格好でも本当に嬉しそうなのが伝わるけど、高度な踊りをしていると感情が分からないってことあるもんな。分かる人には分かるのかもしれないけど少なくとも俺には分からない」
「それよ。でも歌は伸びがあった方が迫力あるし、ビブラート効いてた方が綺麗だし、高度な方が良く思える。でもそう思うのは私がライブ好きで歌に詳しいから?いや、知らなくても何となく感じられるはず。ああもう分かんなくなってきた」
遠野はふうと息を吐き、肩の力が抜けて穏やかな表情で微笑んだ。
「あーあ、ついペラペラ喋っちゃった。大船、余計なこと言っちゃだめだからね」
「ああ」
2人は倉庫から出て扉を閉め、それぞれの更衣室へ別れた。
そうか、大会出場に乗り気じゃない人もいるのか。そりゃ全員が全員乗り気とは限らないか。遠野が乗り気じゃないのは意外だった。もし同じ思いの人が多くいるのならあの悪戯の手紙を名目として大会に出ないこともありうるか。現状ではただの悪戯だが何か不幸が起きたらそれと結びつけることもありうる。それにしても一体誰があの手紙を…?




