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わんこ王子に懐かれましたが、私は侍女です

作者: 佐久間 凛

少し修正しました

第五王子レオン殿下は、王宮一の“問題児”である。

金糸のような髪と碧眼を持ち、天使のように微笑む姿に、誰もが一度は心を奪われる。


けれどその本性は、甘え上手で腹黒い“わんこ系男子”。


「エリナ~、今日も添い寝してくれる?」


「しません。殿下は子犬ではありません。夜は一人で眠ってください」


「えぇ~……じゃあせめて、寝る前にナデナデだけでも」


「……誰が王子を撫でる侍女ですか。立場を考えてください」


「うぅ……僕だけには甘くしてくれるって信じてたのに……」


彼の“甘え”は日を追うごとに巧妙になり、私の忍耐もそれに比例して鍛えられていく。

けれど周囲の侍女たちは「殿下ってほんとに可愛いですよね!」と目を輝かせるばかりで、誰も真の姿を知らない。


 


私はエリナ・ローレット。

地方の小さな男爵家の三女として生まれ、十七で王宮に奉公へ出た。

当初は書記官付きの侍女として文書整理をしていたが、一年前、ある“偶然”から第五王子付きへと異動になった。


その日も、ただの仕事のつもりだった。



「……殿下? なぜそんなところに……?」


書庫の隅、ひと気のない読書机の下。

そこで私は、雨に濡れたまま蹲る金髪の少年を見つけた。


彼は顔を伏せたまま、ぽつりとつぶやいた。


「兄上たちと顔を合わせたくなくて。逃げてきたんだ」


濡れた衣を絞るように抱え込んだ姿は、まるで捨てられた子犬のようだった。

私はそっと、自分のマントを彼の肩にかけた。


そのとき、彼は初めて私を見た。


「君……やさしいね。でも顔に出さないところが、ずるくて好き」


それからだった。

彼が毎日のように私の元を訪れるようになったのは。


 


「お茶はエリナが淹れて。昼寝もエリナのブランケットがいい」


「そのわがまま、通じるのは私だけですよ」


「うん。だから君がいい」


侍女仲間からは「なんでそんなに懐かれてるの?」と驚かれるけれど、私自身にも理由は分からなかった。


ただ、彼の目に浮かぶ孤独と、どこか子どもらしさの残る甘えに、心が動いたのは事実だ。



「でも君って、本当はすごく冷たいよね」


「……突然なんですか」


「僕にだけしか甘くないっていうか。他の誰にも、そういう顔しないじゃん」


「……それは殿下が甘えすぎているだけです」


「甘えてるんじゃないよ。好きだから、触れていたいだけ」


「っ――なにをさらっと……!」


「ほら、そうやって照れてるところが、また好き」


何度こうして言葉を交わしても、彼は一歩ずつ距離を詰めてくる。

それに気づいていながら、私は拒めない。


 

「……もうすぐ、殿下の誕生日ですね」


「うん。今年はエリナからのプレゼントが欲しいな」


「気が早すぎます」


「でも楽しみにしてる。君のことだから、きっと実用的な何かなんだろうな~」


「予想するなら、自分で用意してください」


笑いながら、彼は何も言わずにこちらを見つめてきた。


私の言葉の奥を、じっと探るように――。



それは、ほんの些細な噂から始まった。


「第五王子に、隣国の王女との縁談があるらしいわよ」


「えっ、あの天使みたいな王子に? それってつまり、政略結婚……?」


「でも、それってつまり侍女のエリナさんとは……もう……?」


 


いつものように廊下を歩いていたとき、耳に入ってきたささやき声。

わざとらしく話すつもりもないのだろう。彼女たちにとって、私はただの噂の“対象”でしかない。


(……政略結婚。そうよね。私は侍女、王子とは釣り合わない)


レオン殿下と話すときは、つい対等のように会話してしまう。

でも――思い出すべきだった。私と彼との間には、どうしようもない“差”があることを。


 


「……おめでとうございます、殿下」


「……それだけ?」


「私は侍女です。それ以上の言葉は、立場を弁えなければなりません」


その瞬間、レオンの表情が揺らいだ。

言葉を返さない彼を見て、胸の奥がきゅっと締めつけられる。


けれど私はその場から、そっと距離を取った。

このままでは、本当に彼の隣にいたくなってしまう。

それだけは――許されない。


 


***


 


「エリナさん、異動願いを?」


「……はい。元の部署のほうで人手が足りないと聞きまして」


「でもあなた、王子付きとして信頼も厚いし……それに」


「それに?」


「……第五王子殿下が、あなたの異動を許すとは思えません」


直属の上司は、書類を手に困ったように眉を下げる。

私の気持ちを察してくれているのだろう。でも。


「お願いです。今だけでも、少し離れる時間をください」


 


 

そして翌日、レオンがそれを知った。


「異動? エリナが? 僕のそばから、いなくなるってこと?」


「……ご不満でしたか?」


「当たり前だろ。なんで黙ってそんなことするの?」


「私がいると、誤解が生まれるからです」


「誤解なんてどうでもいい! 君がそばにいないほうがずっと困る!」


「――それは、私個人が、という意味ですか? それとも、侍女として?」


レオンは言葉に詰まった。

その沈黙が、私の胸に鋭く突き刺さる。


「……私は、ただの侍女です。身の程をわきまえないと」


「やめろよ、そうやって自分の価値を下げるの。僕にとって、エリナは“ただの侍女”じゃない」


「……」


「好きなんだ。君が、誰よりも」


言葉が、凍った時間を溶かすように届いてくる。

それでも私は、すぐには信じられなかった。


 


「ご冗談は、お控えください」


そう言って、その場を離れた。


背中に向けて、彼が静かに呟いた。


「君がどれだけ逃げても、僕は……君を手放さない」


 



 


すれ違いは、止まらないまま続いた。

顔を合わせる時間を減らしても、胸の痛みは強くなるばかりだった。


レオンは追ってこない。

それが、ますます私の迷いを濃くする。


(やっぱり、これは……終わったほうがよかったのかもしれない)


そう思った、ちょうどその日の夜。

私は静まり返った庭園で、再び“彼”と向き合うことになる。


夜の庭園は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。


噴水の音だけが微かに響く。

月明かりが白く石畳を照らし、薄い雲が夜空をゆっくりと流れていく。


そんな中、私はいつもの場所に腰掛けていた。

誰にも見つからないように。誰の声も聞こえないように。


……なのに。


 


「やっぱり、ここにいたんだね」


振り向かずとも、誰の声か分かった。


「……レオン殿下」


「“レオン”って呼んで。今日は特別だから」


「何が“特別”ですか。あなたにとって、私は“ただの侍女”です」


「違うって、何度言えば……」


彼の足音が、すっと近づいてくる。

あと一歩で触れられそうな距離に立たれて、私は肩をすくめた。


「君が出した異動願、僕が止めたよ」


「……っ」


「君が僕のそばからいなくなるなんて、許せない」


「でも、私は……殿下にとって……」


「君は、僕にとって唯一なんだ」


 


私が否定の言葉を探す前に、彼の指先が私の頬に触れた。


それは、思っていたよりもずっと熱くて、やさしかった。


「君がどれだけ距離を置いても、君のことを忘れた日はなかった」


「……レオン」


「噂も嘘だった。嫉妬してほしかっただけ。僕がバカだった。全部、本気にされるなんて……」


彼の声が震えていた。


笑っているようで、泣きそうな声。

腹黒でずるくて、甘えん坊な王子が、今はただ一人の少年に見える。


「エリナ。君が僕を“王子”としてじゃなく、“レオン”として見てくれるから――だから僕は、君がいい」


「……」


「お願い。もう逃げないで。僕を、ちゃんと見て」


 


私はゆっくりと、彼の顔を見つめ返す。

泣きそうに笑うその瞳に、心がとろけていくようだった。


「……撫でて、いいですか?」


「え?」


「殿下がずっと甘えてきたように。私も、あなたに甘えていいですか?」


「……もちろん」


手を伸ばして、金髪をそっと撫でる。

彼は目を閉じて、私の膝に額を寄せてきた。


 


「……触れてもいい?」


その問いに、小さく頷いた。


彼の唇が触れたのは、私の額。

それから頬、そして――口づけは、やさしく、甘く、でも離れたくないと願うような、熱を孕んでいた。


 


しばらくして唇を離すと、彼は目を細めて、こう囁いた。


「君を妃にしたい。ずっと一緒にいてほしい」


「……冗談ですよね」


「本気だよ。明日、王に報告する。僕は、君以外いらない」


「……ほんとに、あなたはずるい人」


「うん。でも君が好き。ずっと前から」


胸の奥で、何かがほどけていくのを感じた。


もう逃げない。


この人が、私を“選んでくれた”なら――


私も、彼のすべてを受け入れよう。  


そして翌日、王宮には正式な告知が掲げられた。


「第五王子レオン殿下、男爵令嬢エリナ・ローレットとの婚約を発表」


ざわめきが広がる中、私は、彼の隣に静かに立っていた。


「第五王子が、侍女と婚約――!?」


エリナ・ローレットの名が宮廷中に広まるのに、時間はかからなかった。

もとより男爵家の三女である私は、華やかな舞台とは無縁の存在だった。

その私が、“王子の婚約者”となったのだから、注目されて当然だ。

けれど驚いたのは、何よりも家族だった。


 


「エリナ、お前……本当に、あの殿下と……」


手紙越しに届いた父の筆跡は、震えていた。

信じられないというより、信じたくて仕方ない――そんな文字だった。


姉たちはそれぞれ、


「妹が王子妃になるなんて、夢にも思ってなかったわ」


「でもまあ、あの真面目な性格なら安心ね。王子様にもったいないくらいかも」


と、意外にも肯定的だった。


彼女たちにしてみれば、私はずっと“真面目で地味な末っ子”だったのだろう。

それが今や、王子の婚約者。


「信じられない」は、きっと私自身の感想でもある。


 



「エリナ~……こっち来て」


「ベッドの上で寝そべりながら呼ばないでください。まったく……」


寝室に入るなり、両手を広げて甘えた声を出す第五王子――もとい、私の婚約者レオン。

付き合っても、婚約しても、態度が変わるどころか、わんこ度はむしろ増している。


「ちょっとだけ。ね、腕の中……ほら、ここ」


「……甘えすぎですよ、殿下」


「“殿下”って呼ばないで。“レオン”でいい。僕の恋人なんだから」


「……はいはい、レオン」


私はため息混じりに彼の隣へ腰を下ろす。すると、待ってましたとばかりに腕を絡められた。


「ん~……やっぱ落ち着く。エリナの匂い、好き」


「犬ですか、あなたは」


「そうだよ? 君専用の、愛玩用わんこだもん」


耳元で囁かれて、びくりと肩が跳ねる。

そのまま、そっと頬を寄せられ、髪に口づけが落ちる。


「……もう、ほんとに。どこで覚えてくるんですか、そういうの」


「本能だよ。本能。君に触れたくて、くっつきたくて、キスしたくて、ずっと仕方なかった」


「……レオン」


彼の目は、いつかより少しだけ大人びていて、けれど私に向ける眼差しだけは――変わらない。


「僕さ、本当はちょっと怖かったんだ。君に触れて、拒まれたらどうしようって」


「……拒みませんよ」


「じゃあ……キス、してもいい?」


問いかける声は、切ないくらい優しかった。

私はゆっくりと頷いた。


「いいですよ。……あなたなら」


次の瞬間、唇が重なる。

静かな夜、ふたりだけの時間に、心と心が優しく溶け合っていく――。


「君が僕を“王子”としてじゃなく、“レオン”として見てくれたから、僕は君に恋をしたんだ」


「……そう見えてましたか?」


「うん。君の目はいつも、僕を特別扱いしなかった。だからこそ、君に選ばれたくて、ずっと頑張ってきたんだ」


「……ほんとに、ずるい人ですね。あなたは」


「君が、僕の全部を好きって言ってくれるまで、何度でも抱きしめるよ」


「……だったら私は、あなたのすべてを受け入れます」


「じゃあ、これからもずっと、君に甘えてもいい?」


「……いいですよ。けれど、最低限の礼儀と節度は守ってくださいね?」


「はーい、心に留めておきまーす」


「……心に留めるだけで実行しない顔ですね、それ」


「バレた?」


ふたりで笑って、また見つめ合う。


これから先、何があってもこの人となら大丈夫――そんな確信が、胸の奥に灯っていた。


 


――翌朝。


「エリナぁ……もう朝?」


「はい。殿下、起きてください」


「ん~……もうちょっと……抱き枕になってて……」


「あなたが私の膝を抱いてるんです。どっちが抱き枕なんですか」


「どっちでもいいよ。君がそばにいれば」


ぼさぼさの金髪のまま甘えてくるレオンに、私は額に手を当てた。


「いつまでこんな調子なんですか、婚約者としての威厳は――」


「エリナにだけは、ずっとわんこのままでいたいの」


「……そういうところが、甘やかしたくなるんですよ。わかってます?」


「やった、デレた!」


「……バカ」


「好き!」


「うるさいです」


「もっと言って~」


私は枕を彼の顔に押し当てながらも、どこか顔が緩むのを止められなかった。


この人は、きっとずっと私を困らせ続けるのだろう。

でも、それでいい。

私もきっと、ずっと彼を甘やかし続けるのだから。



「……不安、じゃない?」


「少しくらいは。でも、意外と平気です」


「どうして?」


「あなたが堂々としているから。私も、ちゃんと立たなきゃって思えるんです」


ふと漏らした私の言葉に、彼はやさしく笑った。


「君はそのままでいいよ。無理に“妃らしく”なんて思わなくていい」


「でも、世間はそう思わないかと……」


「世間がなんだ。僕が選んだのは、あのとき書庫でマントをかけてくれた君だよ」


彼の目はまっすぐだった。

嘘のない、ひとりの男のまなざし。


「君が僕を支えてくれるなら、妃としての器なんてあとからでいい。僕が全部教える」


「……ほんとに、甘やかしすぎです」


「ツンデレな君を甘やかすのが、僕の生きがいだからね」


「やれやれ……先が思いやられます」


「君を妃にする。それは、もう決めたこと」


「……責任、取ってくださいよ?」


「一生かけて取るよ」


甘えて、笑って、すれ違って、それでもまた惹かれて。

この関係は、きっとこれからも変わらない。


でも私は、彼のすべてを――この、愛おしいわんこ王子を、まるごと好きになった。


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