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天穹の一矢  作者: みつきあこ
第二章 日の沈む村
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日ノ入村

 加胡は拘束され、牛車に押し込まれた。荷台には天井も壁もないため、ただ荷を運ぶための牛車を利用しているようだ。荷台の上には同じく捕まった女が五名ほどおり、その中には小路の姿もあった。


「加胡……」


「小路」


 髪を振り乱し泣き濡れていた小路は、加胡を見るなり再びその目に涙を溢れさせた。


「あの人が……滝波が……」


 その言葉の続きは、聞かずとも察せられた。加胡は自分の無力さが情けなくなり、小路のそばに膝から崩れ落ちる。


「ごめんなさい……薬、持っていくって言ったのに……」


「そんな、加胡はよくやってくれたわ」


 小路の涙が伝染したのか、加胡の視界も歪みはじめる。涙で滲んだ世界は瞬きをしてもなかなか晴れてくれそうもなかった。気を抜いた途端、瞳が濡れて雫をこぼす。


 ──人を殺してしまった。何人も。人が殺されてしまった。何人も。


 肩を落としてさめざめと泣く加胡に、小路が寄り添う。背中を撫でられながら、加胡は自分が恐ろしくてたまらなかった。


 私は、人を殺す時でさえ狩りと同じ感覚だった。狙いをすませて、うまく射抜くことができたら達成感を味わい、安堵して、酷く冷静に何人も殺した。生きるためとはいえ、私は──。


 手の震えはなかなか収まらなかった。加胡は声もあげず、ただ体を痙攣させて俯きながら涙を零していた。自分がためらいなく人を殺せるなどということは、死ぬまで知らずにいたい事実であった。


 加胡たちが連れていかれたのは、遠く離れた山間部の村だ。道中小路がなかなか食事を取らず気を揉んだりもしたが、なんとか励まし合い全員が目的地に着くことが出来た。


 もっとも、道中で脱落していた方がよかったと思う可能性もあるけれど。


 その村は、日ノ入村といった。到着が日暮れ後であったからかもしれないが、尾野村と比較すると暗く排他的な空気が漂っていて、痩せた村人たちは皆一様に薄暗い表情をしていた。時折見える笑顔も薄ら笑いでわざとらしい。よそ者である加胡たちを不躾に観察する目線がちくちくと飛んできていた。


 日ノ入村は随分と貧しく、村民は皆困窮している様子だった。顔を顰めてしまうほどの悪臭が漂い、加胡は思わず鼻を覆った。暗いため目視はできないが、糞尿の臭いだろう。村の家屋はほとんどがぼろ屋で、壁が崩れかかっているものさえある。


 しかし一角だけ、明らかに雰囲気の異なる場所がある。民家の向こう側、立派な屋敷の影が見えるのだ。妙に立派で、話に聞く都の貴族の住居のようだ。もっと近づきたい衝動に駆られ、自分自身に困惑した。どうして私は、こんなにもあの屋敷が気になるのだろう。しかし願いもむなしく、一行は村の更に奥へと進み、屋敷はやがて見えなくなった。


 ここへ来るまでの道すがら、加胡は村が襲われた理由をそれとなく把握した。村を襲った男たちが話しているのを盗み聞いたのだ。


 彼らは亜麻乃津神(あまのつかみ)を強く信仰する者たちのようだった。


 弓の名手である女神、亜麻乃津神。自分たちはその神の子孫であるという思想らしい。彼らは自分たちこそが選ばれし存在だと言い、他に追随するものを許さない。亜麻乃津神の子は津ノ国の神子だというのに、彼らは何を言っているのかと耳を疑ったものだ。


 弓を上手く扱える少女は往々にして「亜麻乃津神の生まれ変わりだ」と言われることがある。なにも本気で皆がそう思っているのではなく、あくまで冗談、弓の腕を褒め称える賞賛の言葉としての例えである。しかし、日ノ入村の者たちはそれを許容しない。神の子は我らだけであるとし、弓を扱える少女を誘拐しては村へ連行しているらしかった。


 村へ連れてこられた他の少女たちがどうなったのかまでは分からない。だが、ろくな目にはあっていないだろう。加胡は気丈に振舞っていたが、腹の底に恐怖が溜まっていくのを止めることは出来なかった。


 祭りの中、月夜に現れた謎の青年の言葉は正しかった。弓を扱える少女がいることがこの村の者たちに知られ、加胡を狙った男たちが尾野村を襲った。彼がせっかく忠告に現れてくれたというのに、それを軽視して、滝波やその他大勢の犠牲者を出してしまった。可児ともはぐれてしまい、安否を知る者はいなかった。無事でいてくれればいいが、そう願うのは楽観的過ぎる。深い悔恨が加胡の心に暗い影を落とし、生来の明るく前向きな彼女はなりを潜めていた。小路や太月を励ましながら、心に大きな穴が開いた気がした。


「弓を使う女、先に降りろ」


 牛車が止まると、加胡だけが名指しで先に降ろされる。どうやら他の人とは別の小屋へ連れていかれるらしい。首領が鋭い目付きで加胡を睨めつけていた。村を襲撃した際に、加胡が反撃してきたことをまだ恨んでいるようだ。


「加胡……」


「大丈夫、おじいちゃんも気をつけて」


 心配そうに加胡を見る太月へ微笑む。心配なのは自分の行く末もだが、他に連れてこられた女たちと太月だった。太月は長い距離を歩かされて疲弊している。逃げ出そうとしたとき、その疲労と年齢は非常に不利となるだろう。この疲労が元となり、骨や関節に不具合が出なければいいが。


「早くしろ」


 刀で脅され、渋々従う。加胡は太月たちを乗せた牛車が行ってしまうまで、後ろ姿を見送っていた。

 



 その後加胡が案内をされたのは、薄暗い地下に造られた牢屋だった。洞穴のような地下室に木の枠が埋め込まれ、格子になっている。加胡はその中へ入るように言われた。


「お前の処遇は追って伝える。ここにいろ」


 加胡は無言で戸をくぐった。いちいち反抗して無駄な体力を消費するのも馬鹿らしい。それよりは、従順なふりをして機会を伺うべきだろう。


「あなたがここの頭領なの?」


 情報収集のつもりで、立ち去ろうとする男の背中へ声をかけた。彼は横目で加胡を見た。


「私は亜麻乃津神の生まれ変わりなんかじゃない。ただ少し弓が得意なだけだよ。それを変に勘違いして、おじいちゃんや村の人達まで巻き込んで……なぜ?」


「お前は、彼女にそっくりだな」


 彼は目じりの皺を深めた。その言葉の真意を測りかね、顔をしかめた。


「どういうこと」


「我々の長きにわたる苦労がようやく終わるということだ」


 彼らは亜麻乃津神の生まれ変わりを許さないからこそ、こうして人さらいを繰り返しているのだと思っていた。しかし、彼の口ぶりではそれ以上の何かがあるように感じられる。


「我らは神の子だ。全ては神の御心である」


 彼はそう言い残すと今度こそその場を後にした。加胡も呼び止めることはせず、ため息をついて暗い牢屋の中にしゃがみ込んだ。


 信仰のために他者を傷つけるなど、本当に神が望んだことなのだろうか。この世界を作りたもうた三柱の神は、三者三葉でありながら同じく世界を愛するものだと思っていた。


 ためいきをつくと、吐息が白く見えた気がした。確かめるためにもう一度大きく息を吐いてみたが、そこに色はもうなかった。

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