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天穹の一矢  作者: みつきあこ
第二章 日の沈む村
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烏梅の祭り

 どん、どん、と腹に響く太鼓の音がする。


 美しく染め抜かれた紅色の衣が幾つも明かりに照らされ、薄闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。明かりから離れればそこはすぐ緩慢な闇の世界。明かりがついているとはいえ、光源は乏しい。人々は村の中心に集まり、衣や出で立ちだけで相手を判別している。


 三年ぶりの景色。加胡は去年までとは違う緊迫感を感じながら舞の順番を待っていた。舞台の上では、前の手番の舞手が扇をくるりと回していた。


 烏梅の祭りでこんなにも気分が重たくなるのは初めてだ。妙齢の女性のみが紅色の衣を纏い舞を披露するため、この衣を着るのも人生初だ。家で着付けた時は、太月が感極まってしまい、宥めるのに時間を要した。


 加胡は大きく息を吐いた。このまま逃げ出してしまいたい。引いた紅で唇が乾燥し、ひりつく。舐めてはだめだと化粧を施した女たちから言われたので我慢しているが、どうにも違和感が拭えない。


 舞は女と男が一組ずつ行うため、そのほかの者は傍で待機しておくことになっている。事前に相方が定められており、その相手と舞をするのだ。意中の相手がいれば、大抵の場合その相手と組を作り、舞をする。特に希望がない場合は村の女衆が勝手に決める。


 烏梅の祭りの起源は、亜麻乃津神を祀るというものだ。


 加胡は他の村へ出かけたことがないため直接見た事はないが、外には亜麻乃津神のみを強く信仰する者たちや、逆にそれを否定する新しい神を持つ者たちが存在するらしい。恵みをもたらす神々に感謝を、という信仰しか持たない加胡にとっては、自分の信じる神のために他者と争う気が知れなかった。


「なんか緊張するな」


 隣から声をかけられ、加胡の思考は弾けた。


 加胡の相手である可児だ。


 慣れた相手で嬉しいやら、この後に待ち構えている行事を考えると頭が痛いやらで、複雑な心境だった。可児が舞の相手に加胡を希望したのかは知らない。聞いて幻滅するのが嫌だったのだ。


 加胡は隣の可児へ目線を飛ばした。煌々と燃え上がる篝火が、彼の緊張した面持ちを照らし出す。加胡は酷く息が詰まって、一度離れた場所で深呼吸をしようと立ち上がった。


「ごめん、少し休憩してくる」


「付き添うか?」


「大丈夫」


 腰を浮かせた可児をきつめに引き止め、そそくさと逃げ出した。息抜きに行きたいのに、彼に着いてこられては困る。


 前の出番の舞手はまだしばらく終わらないだろう。加胡は祭りの喧騒から離れ、薄暗い森の入口で深いため息をついた。俯くと、額に着けた簪から垂れ下がる飾りたちがしゃらりと音色を奏でる。


 着付けの際、普段くくっている髪はおろされて、何度も櫛を通された。椿の油を塗りたくり光沢を出したあと、髪を大きく結い上げ簪で留める。光沢のある山吹色の袿の上から烏梅の唐衣を羽織る。長袴も袿も裾が長く、舞台以外を歩く際は自分で抱えなければ泥だらけになってしまうのが鬱陶しかった。


 不格好に服を抱えたまま空を見上げる。女衆が見たら卒倒するであろう行儀の悪さだが、加胡の育ちはいいわけではない。太月は優しいが、おおらかで竹を割ったような性格をしている。加胡が泥だらけになって帰ってきても咎めたりはしなかったので、のびのびと育ってしまったのだ。責めるのならば、加胡とともに太月のことも叱ってほしい。


 暗闇の中月を見上げていると、西の空から雲が流れてきている。夜の黒い雲は月明かりを遮るように長くたなびいて、加胡の上空へ手を伸ばしていた。


「加胡」


 後ろから声をかけられ、もう加胡の番が来たのかと振り向く。そこには青年らしき人影が立っており加胡を呼び止めていた。


「もう出番?」


 そういえば、彼は誰だろう。恐らく可児ではない。可児はもっと体格がいいし、隙さえあれば加胡の側へ寄ってくる。目の前に立っている青年は、距離を開けて加胡のことを見ていた。


 暗くて顔がよく見えない。一体誰だろう。


「加胡……ここは危ない」


「え?」


 青年の静かな声は、どうしてかすっと空気を裂くように加胡の耳に届いた。その声は村人の誰にも該当しない。加胡は謎の人物を警戒しながら目を凝らした。


「あなた……誰ですか?」


「ぼくは何者でもない」


 眉を顰める。この様子では、いよいよ村人ではないだろう。祭りの騒ぎと宵闇に乗じて不審者が入り込んでいたことに誰も気がついていない。ここに弓があれば戦えるのに、と唇を噛み締める。


「そんなことはいいんだ。加胡、君のことを狙っている者がいる。君を亜麻乃津神の生まれ変わりだと信じている者たちだ」


「なぜ? 私はそんなにすごい人じゃないよ」


「村人が、君の弓の腕を麓の村で話したろう。そこから情報を掴まれた」


 青年は焦っていた。ところどころ言葉に詰まりながらも、真摯に訴えかけてくる。それがなんだか必死に見えて、加胡は警戒心が薄れていくのを感じていた。胡散臭い話だし村の人ではないが、悪い人でもなさそうだ。


「とにかく、奴らは君を狙っている。もうすぐこの村へやってくる」


 現実味が薄く、はあ、と空気が抜けたような返事を返すと、青年はより一層焦りを募らせたように一歩二歩と歩み寄ってくる。


「本当なんだ……」


「加胡?」


 会話は突然打ち切られた。帰りの遅い加胡を心配して、可児が様子を見に来たのだ。彼は周辺を見渡して首を傾げた。


「誰かと話してたのか?」


 探せば、青年の姿はない。可児と入れ替わりでどこかへ消えたようだった。


「ううん、独り言」


 謎めいた出会いについて、胸の奥にしまっておきたい思いに駆られ、咄嗟に誤魔化す。可児は納得していない顔をしていたが、加胡が微笑むと何も追求してこなかった。


「もうすぐだから、戻ろう」


 可児は自然な仕草で手を差し伸べてきた。加胡は強ばった微笑みを浮かべたまま頷き、その手を素通りして舞台へ向かった。




 木の板を組み合わせて簡易的に作られた舞台の上へ登る。袿の裾は邪魔だが、先程のように大きく捲りあげでもすれば大目玉を食うことは間違いない。転びそうになりつつ楚々とした淑女を装い、ゆっくりと舞台へ上がる。向かい側の階段からは、可児が上がってきていた。


 加胡は目を伏せて、先程の青年について考えていた。彼は加胡に危険が迫っていると言った。しかしそんな心当たりはない。なんだったのだろうか……。


 そこで現実逃避は中断した。もうすぐ舞の音楽が始まる。楽の音が聞こえたら嫌でも舞に集中せざるをえない。加胡は深呼吸をして、扇を構えた。音楽が始まるのを待つ。


 しかし、音楽が始まることはなかった。


 突然、乱入してきた者たちがいた。


 武装した狩衣姿の男たちが十数名、唐突に草木の中から現れて舞台の周辺を取り囲む。無言の彼らは刀を構えて広場に集まった村人たちを囲った。


 何事かと沸き立った村人の中、動揺した滝波が怒鳴りつける。


「何事だ。今は神聖な祭りの最中だぞ!」


 それに対する返答は、言葉ではなく刃だった。素早い動きで滝波の前に躍り出た侵入者は、分厚い彼の上半身を袈裟斬りにした。刀の軌跡を追うように血が地面に飛び散り、赤く染まった。


 先ほど舞っていた少女が絹を裂くような悲鳴をあげたのを皮切りに、あたりは混乱状態に陥った。逃げ惑う女子供、滝波に縋り付く女、武器を取れと叫ぶ男たち。


「男は殺して構わない。女と子供はどれが正解か分からない、連れてこい!」


 侵入者の首領らしき男が怒号をあげた。村の男衆は鍬や斧を持ち出して応戦しようとしたが、既に抜刀している相手の方に分がある。背中や胸を切り裂かれ、男たちは地面に倒れ伏した。


「滝波!」


 加胡は扇を放り捨てて倒れた巨体に駆け寄った。滝波の女房である小路(こみち)が傷を止血しようと胸の傷を必死で押さえていた。見れば、滝波はまだ息をしている。生きていた。


「加胡、滝波が……!」


「分かってる、止血しよう」


 加胡は急いで唐衣を脱ぐと、それを滝波の体に巻き付けて強く結んだ。しかし、こんなもので血が止まるほど傷は浅くない。元々赤く染められていた唐衣は、滝波の血を吸い込みどす黒く変色した。口の中で小さく悪態をつくと、加胡は袿まで脱ぎ去り小袖と長袴のみになった。


「家から薬を取ってくる!」


 長袴の裾を大きく持ち上げて走り出す。加胡の家は広場から離れた郊外にある。騒ぎに乗じて現場から抜け出すと、途端に喧騒が遠のいた。


 なんで。なんなの、あいつらは。これがあの人の言っていた「私のことを狙っている者」なの?


 目の前で起きた惨劇が信じられず、膝を震わせた。何人も切られた。中には本当に死んでしまった人たちもいるだろう。それを思うと、腹の底からやるせなさと怒りが込み上げる。


 勢いよく家に飛び込み、土足のまま戸棚を漁ろうとするが、袴の裾が囲炉裏に引っかかり、大きく転んで顔をうつ。痛みに涙が出るが、今は悶えている猶予すらなかった。引っ張られて脱げかけた長袴を蹴り飛ばすと、代わりに放置されていた狩り用の括り袴へ足を通した。


 暗闇のなか目を凝らして止血の薬と弓、矢筒を引っつかむと、外の様子を伺う。むやみに飛び出してすぐに見つかるようなことは避けなければならない。加胡に刀の心得はないが、弓と刀では近距離に持ち込まれた瞬間終わりだということだけは理解出来た。遠くから慎重に狙わなければならないが、のんびりしていれば滝波やほかの村人たちは死んでしまうだろう。判断の難しい場面だった。


 加胡は呼吸を整えると、戸の隙間から外を覗いた。どうやら、奴らはまだ広場に固まっているようだ。武器を手にした男たちがなんとか堪えている。


 加胡は音を立てないよう戸を開き、部屋の中から矢を番える。向こうは篝火で照らされており、目標物が見やすい。対して加胡は闇の中だ。簡単には見つからないだろう。


 大きく弓を引き絞り、狙いをつける。滝波を庇う小路に、男が刀を振り上げた、その瞬間指を離す。


 びん、と弦が弾ける音がして、矢が空を切った。加胡が息を吐き出した時には、刀を持った男の胸に矢が深々と突き刺さっていた。男は驚愕に顔を歪めた後、地面に体を投げ出した。まずは一人。


 これで加胡の位置はばれてしまった。矢継ぎ早に次を構える。


 倒れた仲間に駆け寄ってきた他の男を狙う。弓を構え、放つ。慌てたせいでやや目標からずれたが、矢は男の鎖骨の辺りを打ち抜いた。時に猪さえ仕留める加胡の矢は特別製だ。重たい矢尻で骨を砕かれた男もまた、息絶える。


 加胡は家から出て木々の隙間へ駆け込んだ。がさりとざわめいた葉の音に気がついた首領が加胡を見咎める。


「いたぞ、弓使いの女だ!」


 加胡の思惑通り、男たちはつられて森へ足を踏み込んだ。何人仕留められるかは分からないが、加胡は覚悟を決めて振り向き様に矢を放つ。


 流石に照準がぶれた。矢は追いかけてきた男の足にあたり、彼を転ばせた。それでも上出来だと思いつつ、森の中へ走っていく。


 やがて一人の襲撃者が加胡へ迫る。加胡は目印を横目で見つけると、ある地点をまたぐようにして走り抜けた。


 襲撃者である男が疑問に思う間もなく、彼は落ち葉で隠されたくくり罠を踏み抜き、縄で縛り上げられる。足を取られたその隙に、加胡は弓を引いた。


「そこまでだ」


 矢を放つ直前、後ろから鋭い声が飛んできて、加胡を制止する。加胡は弓を構えたままそろそろと振り向いた。


「加胡……!」


 そこにいたのは、先程司令を出していた首領と、太月だった。


 男は太月の首に刀を押し当てながら叫んだ。


「この爺さんを殺されたくなければ、俺たちと来てもらうぞ」


「加胡、従わなくていい。どうせ老い先短い身だ。お前だけでも逃げろ……!」


 加胡に選択肢などなかった。太月は加胡の愛する、たった一人の家族だ。弓をそっとおろし、地面に投げ捨てる。


「散々殺しやがって、こいつ……」


 首領は加胡を憎々しげに睨んで唾を吐いた。無表情で乱れた髪をそのままに、静かに目をつぶった。簪はいつのまにかどこかに落としたらしく、髪のどこにも引っかかっていない。

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