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天穹の一矢  作者: みつきあこ
第二章 日の沈む村
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過去のちらつき

 昼間加胡のために用意した姫飯と青菜の残りは冷えて乾いているが、仕方がない。せりやなずな、山菜の入った汁を用意し、その器に玄米と青菜を入れ汁と混ぜてしまう。叢雲は行儀の悪い食べ方で申し訳ない、と謝ってきたが、食べた心地は雑炊に近く、食にうるさくない加胡にとって十分ご馳走と言えるものだった。


「それで、加胡はどうして一人でこんな場所まで?」


 阿南が汁と米を啜りながら加胡を見た。持ち上げていた器を置くと、綺麗に座り直して腹を決める。世話になったからには、事情を説明せねばなるまい。


 加胡は話した。自分は弓の覚えがあること、そして亜麻乃津神の生まれ変わりを許容しない者たちに知られ、襲撃されたこと。加胡だけは命からがら逃げ出してきたが、囚われている知り合いのためにもう一度村へ戻る必要があること。


「そうか……辛い思いを沢山したんだね、頑張った」


「そんな」


 叢雲は瞳にうっすらと涙の膜を張り、鼻を啜った。人情深いのか、加胡の話に聞き入ってすっかり気持ちを落としてしまったようだった。阿南はそんな妻を気遣い肩を抱いた。


「それにしても、李那も弓が上手かった。やはり親子でそういった才能を受け継ぐものなんだな」


「そうだったんですか?」


「なんだ、知らないのか? 李那は集落の中で右に出る者はいないほどの腕前だったんだ。加胡もよく私に自慢していただろう」


 阿南の言葉に、加胡は引っ掛かりを覚える。しかしそれを捕まえる前に、阿南が言葉を重ねた。


「君たち親子はどこかに腰を落ち着けるつもりはなさそうだったから、引っ越すと聞いた時もあまり驚かなかった。物が少なくて、半ば旅暮らしのように見えたよ」


 両親についてはあまりよく覚えていない。新たにもたらされた両親の情報に、わずかに胸が弾む。ほとんど記憶がないとはいえ、加胡にとっては大切な親であり、彼らについて知ることができるのは嬉しい。太月は両親と知り合いだったというのに話をしてくれないので、情報が乏しいのだ。


「ここへは、どうやって? 日ノ入村の場所は知らないが、この辺りの村ではないだろう? 夜の山をさまよって偶然ここに辿り着くというのは、なかなか考えにくいのだが」


「ああ、それは麒麟です」


 加胡は麒麟について話しそびれていたと思い出す。


「麒麟?」


「はい。昔、麒麟を助けたことがあって……その麒麟が山道に突然現れたんです。それで、その子の歩く先を辿っていったらここへ……多分あの子が私たちを引き合わせてくれたんです」


 加胡がそう言うと、空気が凍った。


 叢雲は涙を拭っていた右手を頬に添えたまま硬直しており、阿南もまた唇を引き結び、放心したように加胡を凝視していた。無邪気な子供たちだけが食器を叩いて遊び、歓声を上げている。


 何、この空気。私おかしなことを言った?


 加胡はなんでもない風を装いながら、内心びくついていた。出会った当初から常に優しくはきはきとしていた叢雲が、信じられないものを見るように加胡を見つめているのだ。阿南もまた、柔らかい眼差しを驚愕に染めている。


「いや、その、すまないな」


 阿南が困惑に満ちた声で言いながら顔を擦り、口元を押さえる。


「麒麟と交流する人間など、初めて見たものだから……その話が本当だとすると、君が亜麻乃津神の生まれ変わりだというのもあながち勘違いではないかもしれない」


「私はただの人間です、ありえません」


「分かってはいるんだ、そうだな……しかし、亜麻乃津神を信仰する者にとって、麒麟は神聖で不可侵とされる生き物だ。あまり軽々しく口にしない方がいいかもしれない」


「あ……申し訳ありません……」


 考えが至らず加胡は肩を落とす。信仰の深い者たちがどれだけ繊細な神経をしているのかは、日ノ入村での一件でよく分かっているはずだった。


「私たちはそこまで信心深いわけじゃないから気にしないでくれ。ただ驚いてしまっただけだ。麒麟は非常に気が弱く警戒心の強い生き物だから、人に近づくことは滅多にない。君の優しい気持ちが伝わったんだろう」


 そこまで話すと、彼らはようやく落ち着きを取り戻したようだった。


 加胡は知る由もなかったが、阿南と叢雲が住む周辺の郡では亜麻乃津神信仰が根強かったため、麒麟を神聖視する者も多かった。近くに麒麟が多く住む森があることも理由の一つとしてあげられる。日ノ入村ほどではないものの、信心深い者が多く集まっている。不用意に麒麟の話をするのは得策ではないだろう、と阿南は話した。


「はい……以後気をつけます」


「こちらこそすまなかった。信仰とは押し付けるものではないからな……しかし君たちの村、尾野村では亜麻乃津神信仰はあまり盛んではなかったのだな」


「亜麻乃津神の祭りはありましたが、宇守御霊之命の信仰のほうが強かったように思います。日ノ入村のように排他的な空気でもありませんでしたし……逆に、なぜあの村に亜麻乃津神を祀る烏梅の祭りがあるのかが不思議なくらいで……」


 尾野村では、天の恵みに感謝する者がほとんどだったが、亜麻乃津神のみを崇める空気はあまりなかった。亜麻乃津神はあくまで国の祖であり、実際に恵みをもたらすのは宇守御霊之命であるという見方が多くを占めていた。それは農耕と狩りによってなんとか生計を立てていた村の厳しい生活による変化だったのかもしれない。


「信仰とは場所が変わればその色を変えるものだな」


 弥生が阿南に抱えるようせがんでいる。彼は娘の頭を撫でると一息に彼女を抱き上げ、ふうと息をついた。


「そういう事情なら、助けに戻るのは早い方がいいんじゃないのかい。あんたのおじいちゃんやほかの村娘の子達が危ないよ」


「はい。きっともう、私が逃げたことは奴らにばれてしまっていますから……」


 加胡はしゃんと背筋を伸ばし、深く座礼する。


「数日だけ、泊めていただけませんか。足首がよくなり次第出立します。それまでの間、どうか床で構いません、場所だけでも……」


「やめとくれ、顔を上げなさい、加胡」


 叢雲は慌てて加胡に駆け寄り、頭をあげさせた。


「何日だって泊まっていきなさいな。私も阿南も子供たちも、嫌な顔なんてしないし、させない。出来ることがあればなんだって手伝うから」


「ありがとうございます」


 叢雲の優しさに胸がじんと温かくなる。村を襲撃されてから、人の優しさに触れる機会が多い気がする。牢屋から逃がしてくれたあの青年もそうだ。


 それにしても、彼は本当に何者なのだろうか。加胡は麒麟だけではなく、もっと重要なことを忘れているのかもしれなかった。


「ともかく、このことは追捕使に相談しよう。日ノ入村の者たちが人さらいを繰り返しているとしたら、追捕使も動いてくれるはずだ」


 阿南の言葉に、叢雲も頷く。彼らは加胡が知り合いの娘だというだけでよくしてくれるのではない。彼らの本質が世話焼きなのだ。その優しい心根は、尾野村の仲間たちと通じるものがあった。加胡は何度もお礼を繰り返し、頭を下げ続けた。




「加胡、お母さんにも聞かせて」

 夢の中で母が言う。朧気な記憶の中、ぼんやりとした声だけが響く。

「加胡、強く生きなさい。あなたには道を切り開く力があるわ」




 加胡は目を覚ました。


 そうだ、なぜ忘れていたのか。加胡は昔この集落に暮らしていた。父と母、それに朧気だが阿南の記憶もある。布団を足元へ避けながら加胡は自分の膝を抱き込む。


 それは恐らく、母がかけた暗示に関係するのだろう。母は加胡に何かを忘れるよう暗示をかけ、その通りすっかり記憶を失っていたのだ。そして、まだ取り戻せていない記憶がある。


 母が見せたあの札。そうだ、あれは尾野村に越した際加胡の荷物の中に入れた。つまり、太月と暮らしていた家に残っているはずだ。


 全身に興奮が走る。加胡が思い出すべき「時」とは、恐らく今だ。母の言葉に従い、全てを思い出す時が来た。


 加胡が次に向かうべきは日ノ入村ではなく、尾野村だ。自らの住まいへ戻り、記憶を探さなければ。どちらにせよ今の加胡には弓がなかった。使い慣れた自前の弓を取りに行くのは、太月たちを助けるためにも必要なことだ。


 早速、朝餉を食べようと起きてきた阿南たちへその話をする。忘れていた記憶が重要なものだと感じていた加胡は、朝餉の後すぐに出立することにした。


「せめてもう何日か体を休めたらどうだい?」


「ありがたいお話ですが……おじいちゃんたちも心配です。少しでも早く助けに行かないと」


 叢雲は加胡を心配して、いつでもうちに寄っていいと声をかけてくれた。帰る村をなくした加胡にとっては涙が出るほどありがたく、実際に涙が浮いてこないよう堪えるのに必死だった。


「追捕使には私たちから相談しておく。加胡は先に尾野村へ行きなさい」


「ありがとうございます……阿南」


 幼き日のように阿南を呼ぶと、彼は目を瞬いてから笑顔をうかべた。そして彼もまた、小さかった加胡にしたようにその頭を力強く撫でる。


「大丈夫だ、加胡。私も追捕使たちと共に日ノ入村へ向かうつもりだ。君はひとりじゃない」


「はい」


「あれ……加胡、行っちゃうの?」


 阿南たちと別れの挨拶をしていると、弥生が目を擦りながら顔を出した。まだ眠りが醒めきらない足取りのまま、加胡のそばまでやってくる。数日の滞在の中で、弥生はすっかり加胡に懐き、朝から晩まで遊んでくれとせがむようになっていた。


「ごめんね、今はやらなきゃいけないことがあって……」


 先日と同じく、目線の高さを合わせようとしゃがみこむ。今度は、プロフェを差し出してくることはなかった。弥生はどんぐりのような目を加胡へ向けた。


「また来てくれる?」


「……うん、約束」


「嘘ついたら、亜麻乃津神の矢で撃ち抜かれちゃうんだからねー」


 少女はきゃらきゃらと楽しそうに笑い声を上げた。そのまま家の中を走り回る弥生を、「走らないの」と叢雲が追いかける。どたばたと騒がしい朝は、加胡にとって随分と久しいものだった。

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