ことり姫とキツネの王子さま
メリークリスマス!
クリスマス特別作品です!
あるところにとても可愛らしいおひめさまがいました。
可愛い彼女のことを人々は、「ことりひめ」と呼び、彼女が窓の外に顔を出すだけでも街の人々はその話でいっぱいになります。
今日も彼女はため息をこぼして憂鬱です。
「自由になりたい……」
後ろにいる召使いにも聴こえないくらい小さな声でぽつり、春風に乗せて気を紛らわせます。
彼女の憂鬱の原因はただ一つ。
―――何も不自由しないこと。
優しいお父様と綺麗なお母様。兄上は民に慕われ、姉上は清く正しく百合の花。
そして彼女は過保護に過保護なかごの鳥。
虐める継母も嫉妬に燃える姉妹も彼女とは無縁。
美しい王子代わりにあてがわれているのは、カエルのように醜いとなりの国のおっ坊っちゃま。
「ああ、困ったものだわ……」
これまた召使いには聞こえないように細心の注意を払って呟きました。
私には逃げ出す理由も逃げ出す意気地もありません―――なんて、自分を慰めます。
「街のみんなに慕われてるのは家族であって、私は見てくれだけ……」
彼女はこの街が大好きでした。
窓から見える賑わいや人々の明るい笑顔を見ると、自慢の家族が誇らしく思えてそれだけが救い。
そんな大好きな居場所もいずれかの春には離れなくてはいけない。
それが彼女を憂鬱にさせてしまうのです。
「あんなヒキガエルのところに行くなんてイヤよ。だけどもお父様達を困らせたくはないわ、どーしましょ?」
このおひめさま、育ちや噂に似合わず奔放なところもありました。
町の少女が夢見るようにごく当たり前におとぎ話なんかも夢に見る。
―――それの、なにが悪いわけ?
なんて、一人で吟遊詩人のように語ってみたりもして。
ヒマな一日をエチュードでやり過ごし、今日もふかふかのベッドで眠りにつきました。
ある朝、お父様がキツネを拾ってきた。
ボサボサで薄汚い赤の髪、明らかにろくな食事もしたことないと見てわかるほどにコケたほほ、カサカサの肌に鋭い眼―――。
敵意をむき出したようなその眼は生まれて初めて見たものだ。
彼女の胸が妙にうるさくザワつきます。
「お父様? これは?」
彼女の辞書に"遠慮"の2文字はありません。
おひめさまは赤髪の男の子を指で差してそう言いました。
「こら! はしたない真似をするんじゃない!」
これは一種の狂言だ。
(そう、人を指差して"これ"って言うことは咎めないのね……)
数瞬だけは目を伏せて、そんな優しいお父様に笑顔を向けた。
「ねぇ? その子、私にくださらない?」
「やめておきなさい。汚れたらどうするんだ?」
「その子、そのままじゃかわいそうだわ」
彼女がじっとお父様の目を見つめると、まっすぐ見つめられた父親は観念したようにため息を吐きます。
「……わかった、好きにしなさい」
「ありがとうございます、お父様」
いつでも優しいお父様はおひめさまがワガママを言うと、いつも必ずこう言うのです。
自己主張する術はこれしか知らない。
お父様の隣にいらっしゃるお母様も優しく笑ってくれている。
キツネのように痩せっぽちな男の子の手を引いて彼女はご機嫌でした。
「アンタ、聞いてた話と違うんだな……」
男の子が廊下を歩く道すがら、大人が居ない時分を見計らってポツリと言います。
彼女は足を止めました。
おひめさまは不機嫌を隠すこともなく、男の子の顔を蔑むように見下した。
「なんで、そう思うわけ?」
冷んやりとした空気が廊下を吹き抜ける。
そう、季節はまだ春なのだ。
キツネのようにつり上がった目をした彼は答えます。
「噂じゃアンタは小鳥のように可愛いらしいって聞いてたもんでさ。
会ってみたら全然違うじゃないか……こんなに可愛いげのないワガママなお嬢様だとは思わなかった……」
「それはどこでの話?」
「町の大人はみんな知ってるさ。アンタの顔を見るだけでこの町の大人達はみんな笑うんだ」
「ふぅーん?」
町のみんなが笑ってくれる。
それは素直に嬉しい。だけども違う。
納得できないように彼女は言いいます。
「いいこと教えてあげる。
レディを相手にする時はね?
見かけや噂話なんてのはアテにならないものよ、小汚い子ギツネさん?」
気怠げな、それでいて全部を見透かすようなその目に心が騒いで止まない彼女は強い言葉で鼻を鳴らす。
彼は少しムスッとしながら低い声で睨み返しました。
「アンタ、早死にしそうだな。そんだけ性格が悪いと……」
「失礼しちゃうわね!」
「西の森にある泉に流れ星が映った時、願いごとを願えば叶えてくれるんだとさ。
俺がそんときに立ち会えたらアンタが死なないように願ってやるよ」
「余計なお世話よ! ばかぁ!!」
怒る彼女をお構いなしに男の子は先を歩き出します。
「それよりも早く風呂にいれてくれ。腹が減って死にそうだ」
「厚かましいわねぇ〜、どこにお風呂があるかも分からないクセしてぇ〜!!」
「こっちの方に向かって歩き始めたんだからこっちなんだろ?」
それからちょっとあと。
むくれたおひめさまは浴場の入口の前で座り込んだまま横に立つ侍女に話しかけました。
「ねえ? 男の人って何を考えてるのかしらね?」
突拍子もないその質問に侍女は少し首を傾げます。
「お父様もお兄様も私を可愛いと言って下さるわ。だけど、それは本心なのかしら?」
「と、言いますと?」
「彼に可愛げがないって言われたわ。
そんなの、初めてよ?」
「なるほど」
侍女はニコニコと笑い、むくれるおひめさまに言いました。
「男性というのは、良くも悪くも素直な人が多いんですよ」
「彼はどー見てもひねくれ者よ!!
まあ、人のことを言えた義理じゃないけれども」
おひめさまが不機嫌そうにくちびるをつんのめらせてると、侍女がまた笑います。
「お父上の仰る"可愛い"と彼の言う"可愛くない"は多分きっと、反対のようで同じような意味だと思いますよ?」
「そうかしら? 」
「ええ、そのうち分かる日が来ますよ」
そんな会話をしてるうち、彼が出てきて言いました。
「アンタ、そんなとこに座り込んでると風邪をひくぞ?」
おひめさまは立ち上がってスカートを払うと、背筋を伸ばして歩き出しました。
「ついてきなさい、この屋敷を案内するわ」
男の子は黙って彼女の後ろを歩きます。
おひめさまは時おり屋敷の人達と話をしては屋敷の自慢を男の子に語ります。
彼は聞いているのか分からない態度で何処か遠くを見つめ、それを見たおひめさまが怒ると、屋敷の人達は優しく笑いました。
「次が最後よ」
おひめさまがそう言うと、男の子はため息を吐き出しながら言いました。
「やっと終わりか……腹が減って死にそうだ……」
「タダでご飯を食べれるんだからちゃんと付き合いなさいよ! もう!」
彼女が庭に出る扉を開けると、よく手入れされた大理石の足場に春の陽射しが反射して男の子は少し目を細めます。
おひめさまに手を引かれて庭に出ると、本当によく手入れされた木々は春風でさざめき、見頃を迎えたバラ達も赤白と左右に別れて庭の小道を彩って春の華やぎを見せてくれています。
「すごいでしょ?」
彼の様子を見たおひめさまが得意げに鼻を鳴らし、男の子の驚いた顔を笑います。
「ああ、びっくりしたよ」
男の子が小道の先を目で追うと、その先には真っ白なテーブルがあり、そのテーブルを覆う緑のカーテンも可愛らしく、赤いバラがちょうどリボンのように咲いています。
男の子がその夢のような光景にぼう然としていると、おひめさまは庭師のおじいさんに声を掛けます。
「あかとしろ、いただいてもよろしいでしょうか?」
おひめさまはおじいさんからバラを受け取ると、また男の子の手を取って小道を歩きます。
「おいおい、そりゃ逆だろ……」
男の子は恥ずかしがるように頭をかいて、その道を手を引く彼女と歩きました。
コツン……コツン……おひめさまの靴底が石畳みを叩き、男の子の黒い影が白い石床の上を流れていきます。
二人はテーブルまでやって来ると、おひめさまは綺麗なガラス瓶に二本のバラを挿し、椅子に腰かけ、にこりと微笑みました。
「あなたはパンとライス、どちらが好みかしら?」
「ライス?」
「最近よく食べられてるものよ。食べてみる?」
「じゃあ、それで……」
おひめさまが目配せをすると、侍女はカップに琥珀色の飲み物を注ぎます。
カップから暖かな湯気が立ち、琥珀色が照り返した春の日差しは白い湯気に当たり、ぼんやりした光が彼の顔に差し込んで男の子は顔をしかめました。
「これは?」
「紅茶よ。これも最近よく飲まれてる香りのよい嗜好品よ」
「そうですか、お嬢様……」
のんびりとした時間が流れ、しばらくすると食事がテーブルの白を彩っていきました。
「さあ、いただきましょう!」
「やっとか……」
二人の「いただきます」が揃い、カチャカチャと音が流れます。
「なぁ?」
「なに?」
「自慢はこれが最後か?」
男の子は静かにフォークを置くと、大きく息を吐きました。
「……ごちそうさまでした。
アンタがこのお屋敷や家の人達のことが大好きってことだけはよく分かったよ」
「むぅ、なによ! それ!! ほんとイヤな人ね、アナタって!」
男の子はほほを膨らませて拗ねるおひめさまを見て、くすりと笑います。
それが恥ずかしかったのか、彼女は話を逸らすようにこの国のこと、大人達から聞いた屋敷の外の話をしては男の子に本当かどうかを尋ね、彼はおひめさまの催促に付き合うようにして答えます。
二人がそんな雑談を交わしていると、遠くから誰かがやって来ました。
「おや? この小汚いガキはなんですか?」
ヒキガエルのように太った男がおひめさまに声をかけます。
「あら? いらしてらしたのですね。
お越し下さるなら前もってご連絡いただければ私の方からお出迎え致しましたのに」
「少し様子を見に来ただけですのでお構いなく。
それよりもこの者は?」
「これは今朝方、父上が拾ってこられたのです。
我が家のしきたりなどを教育していたところですわ」
おひめさまが愛想のいい笑顔を向けると、ヒキガエルは満足げにゲコゲコと笑いました。
「さすがですな。所有物をいちいちと躾するなどお優しいことり姫らしい趣向だ」
「我が家に連なるからには、私の手ずから教育するのは至極当然のことですわ。
不手際があっては恥ずかしいですもの」
「なるほど……」
ヒキガエルのような男が男の子をジロリと睨み、こう言いました。
「では、この小汚い野良犬が姫を守るに相応しい番犬となるか、私が見定めてあげましょう!」
男は彼を無理やりに立たせると従者に持たせていた木剣を手に取り、彼に木剣を握らせます。
「何をするつもりなんだ?」
男の子がそう尋ねると男は言います。
「ちょっとした模擬戦だよ。
安心したまえ、君が打ち返して来たとしても僕は怒りはしない。
遠慮する必要はない! 正々堂々、フェアに戦おうじゃないかっ!」
男の子は木剣を握りながら彼に聞こえない声で呟きます。
「なに言ってんだこいつ……こっちがやり返せる訳ないだろ……ふざけやがって…………」
青ざめるおひめさまの顔をチラリと見やって男の子はため息を吐き出します。
「殿下、お戯れはお良しなさって!
剣の腕に覚えのあるあなた様とこんな貧相な子供、比べるまでも――……っ!?」
おひめさまが止めようとすると、男の子は手を突き出してその言葉をせき止めます。
「問題ない、やるだけやる」
「そう来なくてはな。僕からも教育をしてやろうじゃないか、野良犬君」
「本当にやり返してもいいんだな?」
「無論さ。これは模擬戦なんだ、相手がカカシでは意味はないだろう?」
「……わかった」
にらみ合った二人は合図することもなく、打ち合いを始めます。
カンコンと木の叩く音が庭に響き渡り、ヒキガエルのような男が言います。
「どうした? 先ほどから受けてばかりではないか?」
その言葉聞いた男の子は彼の剣を受け流すと木剣を振りかぶります。
そのひどく緩い剣筋が届くより先にヒキガエルの木剣が彼の頭を叩きました。
「隙ありぃ!!」
「―――がぁ!!?」
男の子が痛そうな声を出すと、ヒキガエルは嬉しそうに笑い転げます。
「腕の差だ、悪く思うなよ?」
男の子が片膝を地面に着けて頭を押さえると指の隙間から赤い血がたらりと流れ、青々とした芝に落ちます。
「……参りました」
おひめさまは生まれて初めて見る血に足がすくみ、血の気のない顔色で心配そうにただ男の子を見つめていると、何が面白くなかったのか、ヒキガエルは彼の顔に唾を吐きかけて何度も木剣で彼を叩き始めました。
「おい、お前!! なんだ、その生意気な目はっ!!」
「――ぐぅ!!」
「下民の分際で、ずい分と反抗的じゃないか! この! この!」
「いや、お願いよ……もうやめてぇ…、勝負は着いたじゃない……」
「黙れっ!この目が気に入らないんだ!! 偉そうに僕のことを見やがって!
反抗的な態度を改めて地面を舐めながら謝るまで躾てやる!!」
たちまち彼の腕にいくつものアザができ、それでもじっと堪えて耐える男の子をヒキガエルは叩き続けます。
鈍い音が何度も何度も、バラ園に響きました。
男の子は怯えるおひめさまを庇うようにしてヒキガエルが力任せに振るう木剣を受け続け、声を上げることもなく、ただヒキガエルの目を見据えて歯を食いしばります。
「―――もう、やめてっ!!」
おひめさまは勇気を振り絞って二人の間に身を投げ出し、ヒキガエルを止めようと彼の前で両手を広げました。
しかし勢いよく振られた木剣は止まらず、彼女の顔に迫ります。
「―――きゃあああああああああああああああぁぁぁあああああぁぁっっ!!?」
おひめさまが強く目を閉じると軋むような鈍い音が辺りを駆け、侍女と執事の焦燥とした声にならない声が静かなバラ園によく響きました。
彼女がゆっくりと目を開けると、キツネのようなつり目の男の子は彼女を庇って後頭部を思いっきりに剣で叩かれて痛みを堪えるようにつり目を見開いていました。
「だい……じょうぶ……か……?」
「ええ、私はなんともないわ」
その様子を見て慌てたのはヒキガエルです。
「ぼ、僕は悪くないぞ!? ひめが急に飛び出して来るから……」
彼は血だらけの顔を姫のハンカチで拭ってもらい、ヒキガエルの方に向き直ると言いました。
「殿下、申し訳ありませんでした。自分の不手際であります、どうぞご容赦を……」
謝罪の言葉を口にする彼の目から放たれる圧力にヒキガエルは口をパクパクさせながら何とか言葉を絞り出して言い返します。
「ふ、ふん! そうだぞ、ひめが止めてければお前なぞどうなっていたことか。
貧民風情が反抗的な態度を取るから危うく外交問題になるところだったじゃないか!」
「ちょっとなに言って――」
ひめが抗議しようと一歩前に出たところを少年は手で制止し、黙って頭を下げます。
「今日のところはひめに免じて許してやる!
次に会った時に同じような態度を取ったら二度と表通りを歩けないようにしてやるからな!
覚えておけよ!!」
ヒキガエルは去り際に彼の肩にわざと体をぶつけながら去っていき、おひめさまがキッとその背中を睨むと少年は小さな声で言いました。
「気にするなよ、これくらいのケガは慣れてる」
「―――でも!!」
「これ以上の騒ぎになれば家同士の問題になるぞ、家族を困らせたいのか?」
「そ、それは……」
彼はおひめさまの頭に軽く触れて優しく笑います。その笑顔に彼女の胸はなぜだかきゅうっと痛みました。
「ありがとうな、心配してくれて……俺の為に怒ってくれ――て――…」
彼女の頭からするりと手が滑り落ちると、少年は膝から崩れ落ちるようにして地面に倒れました。
「いやあああああああぁああああぁぁぁあああああああああああ――っっ!!」
***
それから三日三晩、おひめさまの部屋のカーテンはずっと閉まったまま。
街のみんなもとても心配そうに今日もおひめさまの部屋の窓を見上げます。
見上げるみんなの顔に雨粒が降り注ぎ、まるで涙のよう――。
「ご病気かしら?」「おひめさまの笑顔がないと寂しいわ」「いつまで振り続けるんだろうな、この雨は……」
ざぁざぁと雨音の聴こえる部屋の中でおひめさまが熱にうなされる男の子の顔を濡れたタオルで拭いて侍女に拭き終えたタオルを渡します。
「今日で四日目ね……」
「お嬢さま、もうずっとちゃんと寝ていないではありませんか。
お嬢さままで倒れてしまいますよ?」
「彼がこうなってしまったのは私のせいです。同年代の友達が出来そうな気がして……少しばかりはしゃぎすぎてしまったせいであのヒキガエルの不興を買ってしまったのだわ……」
「そんな。アレは事故のようなものではありませんか、お嬢さまのせいではありませんよ」
おひめさまは泣かないように強く目をつむり、口を固く結びました。
「だってぇ……あんな……酷いわ、理不尽よ……」
「お嬢……さま……」
泣かないよう泣かないよう、堪えれば堪えるほど目の端から涙がポロポロと零れ落ち、気が付けば彼女は大きな声で泣いていました。
どれだけ泣いたのか、いつの間にか眠ってしまっていたおひめさまが目を覚ますと部屋はすっかりと暗くなっていました。
「―――が、―――で……」
扉の向こうで声が聞こえます。いつの間にか止んでいた雨音は彼女の不安を煽り、嫌に静かな部屋に外の会話が響きます。
「あの男の子はもってあと三日くらいかもしれないな」
「お嬢さまが甲斐甲斐しくお世話なされてますが衰弱が酷くなってきましたからね。
このまま目を覚まさなければ衰弱死してしまいますよ」
「隣国のお坊ちゃんも他家の敷地でなんてことを――…使用人とはいえ我が家の者が害されたのだ、ここまで大事になればタダでは済まされないぞ!」
おひめさまを起こさないように気を使っているのか、とても小さな声で聞こえたソレは彼女にとって受け入れがたいものでした。
――かたんっ!
静かに開け放たれた小窓から小さな影が飛び出すと月の明かりが美しい金の髪を照らします。
(西の森に願いを叶える星が――…森の奥にある泉に流れ星が映った時に願えば願いごとを叶えてくれるって―――…)
いつか出来心で庭の木の上に隠しておいた縄を使ってうまく塀の向こうへと抜け出したおひめさまは半ば転げ落ちるようにして屋敷の外に出ます。
初めて自分の意志で家を飛び出したおひめさまは脇目も振らず西の森を目指して駆け出しました。
おひめさまが居なくなったことに屋敷の人達が気が付いたのはそれから二時間くらい経ったあと―――。
お屋敷のひめさまが行方不明になった。
そんな話で街中は大騒ぎです。
街の大人達が大慌てで彼女の行方を捜して夜の街をかがり火で照らして、路地という路地、街中を隈なく捜索している頃――、月明かりに照らされた小さな影がもうひとつ西の森へと消えていきました。
「はぁ――…はぁ――…!!」
おひめさまは走り続け、息が上手く吸えなくて苦しくなっても――、雨でぬかるむ道に足を取られて転び服が泥だけになっても――、彼女は西の森を目指して走ります。
(―――どこ? どこにあるの?)
昼までの雨がウソのよう、満点の星空が木々の隙間から覗き、月明かりが道しるべのように彼女の走る道を照らします。
おひめさまは導かれるようにじめじめとする森を走り抜け、一段と明るい場所を見つけました。
(あった! きっとあれだわ!!)
苦しい体を無理やりに走らせ、その場所に飛び出るとそこは星の水たまりでした。
静まり返った森の中でも特に特別な何かを感じる――、そんな不思議な場所におひめさまの荒い呼吸が響いては消えていきます。
「お、お願い……星よ、流れて……」
夜空を映す水面は、しん――…とただ彼女の言葉を受け止めます。
「彼を助けて――!!」
残る体力を振り絞るようにして出た弱々しく掠れた声に応えたのか、一筋の光が泉の真ん中を駆けました。
その瞬間、びゅうっと強い風が水面を激しく揺らしおひめさまは堪らず目を伏せます。
一瞬の疾風が止み、彼女がそっと目を開けると――――……。
「なに考えてるんだよ、アンタ――」
泉の向こう岸に不機嫌そうなツリ目に赤い頭の男の子が立っていました。
「あ…、ああっ……!!」
おひめさま声にならない声を上げ大粒の涙を零しながら笑うと、男の子はバツが悪そうに頭をかきました。
「おちおち寝てもいられねぇ、ったく!」
「よかった、よかったわ……」
彼は足早にぐるりと泉を周り、彼女の元へとやって来ると強引に抱きます。
「だから、逆だって――」
「……え?」
「俺がアンタが死なないようにって、そういう願いごとをするハズだったのによ……カッコつかないじゃないか、こんなの……」
「バカねぇ、アナタ死んじゃうかもしれなかったのよ?」
男の子はおひめさまの顔をもう一度よく見るようにして照れくさそうに笑うと、また強く抱き締めます。
「――これくらいで死ぬかよ、ばーか」
「もう――、バカはアンタよ――」
おひめさまは彼の背中に手を回し、そっと彼を抱き返しました。
「――なぁ?」
「――なに?」
「十年、あと十年だけ待っててくれないか? 必ず迎えに来くるから――…」
「わかったわ、絶対によ?」
二人で向かい合うと、おひめさまは右手の小指を出して笑います。
「――約束! 破ったら承知しないからっ!」
「――ああ!」
***
――それから、十年が経ちました。
おひめさまは二十歳の誕生日を迎える日が来ました。
雪が降り積もる神の子が生まれた聖なる夜の日、彼はあの日から森の中に消えたきり。
引き延ばしていた隣国のお坊ちゃんもとうとう痺れを切らし、おひめさまが大人になる日に連れて行くと勇み足で彼女の屋敷にやって来ました。
「ひめ。いい加減、僕のところに来るんだ! キミはもう子供じゃないんだぞ!!」
ヒキガエルは十年経っても乱暴者のままに彼女の手を引きます。
「――イヤッ! ――離して!!」
ヒキガエルの力任せな指が無理やり掴まれた腕に食い込みます。
「――痛ッ!?」
「僕が何年我慢していると思っているんだ! 今さらワガママ言って、これ以上は外交問題になるぞ!!」
相変わらずの品のない声に彼女は首を振って抵抗してみせます。
(――お願い、助けて! いやよ、こんなの、イヤッ!!)
ヒキガエルのような男の力は強く、力づくでことり姫を抱きしめようと覆いかぶさるようにして引き寄せます。
彼女の顔に男の顔が近付き、くちびるに鼻息がかかる距離までガマガエルの口が近付いてきた、そんな時――。
「――そこまでだ!!」
勢いよく扉が開いて若い男の声が屋敷に響き渡りました。
「――お、お前はあの時のっ!?」
ガマガエルはひっくり返った声を上げて、声の主を見やります。
ことりひめは握られた手が緩んだ隙を突いてガマガエルの手を振りほどき、赤髪の青年の元へと駆け出しました。
「――約束したからな、迎えに来るって」
「――待ちくたびれたわ、ばかぁ!」
青年も彼女を受け止めるようにして抱きかかえます。
「お前たちぃい! この僕を愚弄しおって!!
どうなるか分かっているんだろうな?
言ったハズだぞ、生意気な態度を取ったらお前を潰すってなぁ!!
その女も許さない! 僕の家は国でも有数の貴族なんだ!!
こんな家、僕の国からこの国に圧力をかけて取り潰してやるからなぁ!!」
ヒキガエルは狂ったように目を血走らせ、ひっくり返ったままのすっとんきょうな大声を張り上げて辺りの家具を手当たり次第に散らかし始めます。
ことりひめは青年の腕の中で震えるように肩を竦め、十年前のことを思い出しました。
(そんな、またあんなことに――)
青ざめる彼女の眼を見て、まあ見ておけ――…そんなセリフが聞こえてきそうな顔で笑い、ヒキガエルに落ち着いた声で言いました。
「――僕の国? ――それはまた、ずい分と大きく出たじゃないか?」
「ああ、そうさ! 僕のパパは宰相なんだ!
ママは王様の姪なんだぞ!
お前みたいなどこの馬の骨かも分からない貧民と田舎貴族を潰すことくらい訳はないんだ!」
「――ほう? それで?」
「生意気な態度を取るなと言っただろぉお!!
そこのバカ女から先に躾てやる!
お前の大切なモノをぶっ壊してやるぅ!!」
ヒキガエルは手元にあった棒切れをおひめさまに向けて振り上げます。
「――きゃあああああああぁぁ!!??」
赤髪の青年はとっさに彼女を庇い、無防備のまま頭を叩かれます。
いつぞやの時と同じように――。
「――ひどい! アナタはどうしてそうやって暴力で人を傷つけようとするのよ!」
「うるさい、うるさい、うるさい!!
僕の言うことを聞けないお前らがいけないんだ! このバカな下民どもが!
人が甘やかしてやれば女のくせしてつけ上がりやがって、顔だけが取り柄の能なしめ!」
「初めて会った時からアナタはずっとそうね! アナタみたいな人でも良いところがあるかもしれないなんて自分に言い聞かせてきたけれど今回ばかりは許せないわ!!
彼に謝りなさいよ、十年前のことも! 今やったことも!
力任せに暴れて暴力で解決しようとするなんて人のすることじゃないわ!
いま謝れないならアナタは畜生とおんなじよ、恥を知りなさい!!」
「お前ぇええ!! 腰としっぽを振ることだけが取り柄の下級貴族の牝馬のくせに生意気な口を開きやがって!!」
それまで黙って聞いていた青年がおもむろに振り返り、ガマガエルを睨み付けながら静かな声で言いました。
「こいつは忠告だ、よく聞いておけ。
今すぐその汚い口を塞いでこの場から立ち去れ――…無理だと言うならそれ相応の処置を執ることになるぞ?
ここはアンタの国でもなければアンタのお家の領内でもない、長生きしたかったら分を弁えろ」
「――なっ!!」
「どうする? 引くか? やるのか?」
青年の淡々とした低い声に飲まれかけたヒキガエルが虚勢を張るように鼻を鳴らして彼の顔に唾を吐きかけます。
「偉そうな口をきくな! 貧民上がりが!」
「――わかった、俺の言った言葉の意味が理解出来なかったようだな。
彼女の優しさに免じて全部を水に流してやるつもりだったんだがお前は性根が腐ってるな、莫迦者が……」
青年が手を上げると武装した兵士が室内になだれ込み、ガマガエルは瞬く間に組み伏せられて拘束されてしまいます。
「や、やめろ! なにをする!!
僕が誰だか分かってるのか? 下民ども!」
あまりの手際の良さにことりひめはただ目をぱちくりとさせ、青年の顔を見やります。
「――おひめさまがなんてマヌケな顔してんだ、ホント変わらないな」
彼がくすりとひと笑いすると兵士の中でも風格のある人物がヒキガエルの前で咳払いをし、見下げるようして冷徹な声で告げました。
「貴殿こそ、不敬罪であるぞ。この方をどなたか知らんのか、ドラ息子」
「こんなヤツ、僕が知る訳ないだろ! 貧民の顔なんぞいちいち覚えてられるか!」
胃痛持ちそうな中年がもう一度咳払いをして再度低い声で言います。
「――不敬罪であると言った。
もはや、お前は罪人だ。敬語を使ってやる必要もあるまい?
王族に二度も暴行を働いたのは長いこの国の歴史でもお前くらいのもんだろうよ、箔がついたな?」
「なっ、て……お、王族ぅ!?!?」
「この方はこの国の第一王子、時期国王だぞ?
外交問題どころか、両国の戦争になってもおかしくないぞあほう。
察しの悪いブタは安心してブタ箱にでも入っておれ、ワシが直々に教育してやるからな?
かぁ〜かっかっかっかっ!!」
中年男性に荒っぽく立たせられると、ヒキガエルは焦燥した顔つきで項垂れながら幽鬼のような足取りでフラフラと歩き、「おお、そうだ。実家に連絡してもたぶん無駄だぞ? 縁切りされるのは時間の問題だろうからな、死ぬまでワシが面倒見てやるから安心せい!」と無駄に気合いの入ったしわがれ声と共に屋敷を後して出ていきました。
「――ど、どういうことなのかしら?」
「こういうことですよ、お嬢さま」
「説明責任がアナタにはあるのではなくて? お・う・じ・さ・ま?」
彼はバツが悪そうに頭をかいて、事の発端を説明しました。
「アイツがこの国ででかい顔をしてウチの貴族連中を困らせてるって知ったのが十年前。
そして、アイツがお熱を上げてるウワサのおひめさまってのがアンタ。
俺はこの家の当主に無理を言って偽装工作をして拾い物として来たのさ」
「ふぅん? それで?」
「エサを撒いたら即日であのバカは食いつきやがってな、どうもアッチの国でも爪弾き者らしくて体よくこっちに押しつけてたみたいだ……申し訳ないと思ったんだが、アンタのことも利用させてもらった」
「つまり、あの一件も計算づくだったってワケね? 本気で心配してなんだか損した気分だわ……」
「まあ、死にかけるのは予想外だった……アンタには要らない心配をさせた……本当に申し訳ないと思ってる……」
王子さまは不安げに彼女の顔を見やり、すぐに目を逸らします。
おひめさまは呆れたように大きく息を吐き出して催促するように問いかけます。
「――十年も待たせといて、それだけ?」
「……一応、外聞ってのがあるからな。成人したら婚約を申し込もうと思って」
「――思って? それで?」
チラチラと情けなくこちらを見やるキツネのような赤髪の青年をじっと見つめ返します。
「会うより前からずっと気になっていた…アンタの話題は誰が話してもみんな笑顔だった……だから気になってたんだ……」
「そう、王子さまに気に入られて私はなんて親孝行ものなのかしら! まあ、素敵!」
「会って話してウワサ通りだと思ったよ、あん時は可愛げないなんて言ったけど本当は――」
「本当は――?」
王子さまが硬い唾を飲み込むようにして一呼吸、つられておひめさまも深呼吸。
「今も素敵なひとと思ってる、十年前から変わらずキミはずっと素敵で俺の憧れだよ」
「私もずっとそうよ、あの日から気持ちが変わったことなんてないわ」
二人は結んだ小指を解き、王子さまが懐から指輪を取り出して、その指輪をおひめさまの薬指にはめると言いました。
「――俺と結婚してくれないか?」
「――ええ、もちろん!喜んで!」
――そうして、ことりのお姫さまとキツネの王子さまは末永く幸せに暮らしましたとさ。
―おしまい―
ハジメマシテ な コンニチハ♪
高原 律月ですっ!
クリスマス特別企画あんど毎年恒例の冬童話コンテスト作品です。
甘々で童話チックなシンデレララブストーリーでした!
いかがでしたか?
まさか11000文字を超えるとは(笑)
たまにはね、こういうストレートで可愛いお話を書きたい時はあるんです!
大人になると難しいやつです!
なんとか、12/25以内に仕上がってよかったです!
これで安心して年越しできますよ〜(笑)
それでは、またどこかで〜 ノシ