集いの喫茶店~元芸能事務所スタッフの店主~
「ありがとうございました!!」
店の扉から出てくる今日最後のお客様の背中に向けて元気よくお礼の言葉を贈る。
小さいながらも胸の中にずっと抱いていた”自分の店”を出すという夢を叶えてから約一年。小規模で店に入れるお客様の数は少ないがそれでも満足して店を経営出来ている。最初の頃は中々お客様の入りは無に等しかったが今では何とか毎月黒字に落ち着いてきている。店員の数は店主である黒瀬学の一人だけであるが人件費削減と店の規模を考えれば納得のもの。
学が経営する喫茶店の店内にある座席はすべてカウンター席となっており店主の学と距離が近いのが特徴的。そして店の扉の前にある”open"と”close"が記載されたプレートの上にある張り紙が本来であれば営業職にとって一番ダメであろう部分に関する了承を事前に店に来店する前に確認することができるという特徴がある。
”注意”店内に入る際には必ず確認をお願いいたします。本店では店員改め店主が一名となっておりますが極めて軽い雰囲気で接客を行います。そのため店員の接客態度が気に食わない等のことを気にするお客様は事前に店内への来店はおススメいたしません。
店側がこのような注意事項を店前の扉に設置するのは社会人としてどうかと問われそうな問題ではあるが今のところその注意書きについてクレームなどの連絡は学のところに来ていない。寧ろどのような感じで接客をするのか気になるという試し感覚で来店するお客様が多く学とお客様の第一コミュニケーションにおいて重要な始まりのようなものになっている。
「さてと......店閉めるか」
営業時間は朝の八時から夕方十八時まで。学の気分によってはそれよりも早く店を閉める時があるなどかなり好きに仕事をしている。店主であり店に自分一人だけといいう状況が学の気分で仕事を終わらせるという職権乱用を許してしまっているのだ。
お客様がこれ以上店に入ってこないよう先に扉のプレートをひっくり返ずべくカウンターを出て扉へと真っすぐに進む。そして扉を開けようと扉に取り付けられている手すりに手を掛ける瞬間、扉は動き始めた。
「すいません......もう店仕舞いで.......す」
お客様が来たのだと瞬時に判断した学は謝りの言葉を並べながら来店してくれたお客様の顔を確認する。相手の顔を認識した瞬間、すらすらと出ていた声は勢いをなくしていった。
「黒瀬さん!やっと見つけました」
相手の女性はとても眩しい笑顔を浮かべていた。異性からとんでもなく人気が出るのだろうなと遠巻きに見ても分かるほどに整った顔立ちをした彼女の顔を学は見つめ返す。
それでも学が彼女の笑顔に見惚れることはなく心中では驚きの言葉がつらつらと並べられていく。決して彼女に会いたくなかったわけではないが、それでも会うことはもう無いものだと認識していたからだ。
「....取り合えず外だとなんだし店に入り」
困惑しながらもこの一年間の店の店主としてやってきた学はお客様を外で放置させるわけにはいかない。それも相手は知った中で彼女の性格を学ぶはよく理解している。ここで無理にでも追い返したところで店の前で大騒ぎでもされかねない。そうなってしまえばこの一年で築いたご近所さんとの関係が崩壊しかねない。まだまだこの場所で店をやっていきたい学からすればそれだけは避けたいところ。
「はーい!」
学の心中など気にせず案内をされた彼女は学にとって前に会った時と変わらない眩しい笑顔を再度浮かべながら店の中に入るのだった。
◇
学が店を出す以前の事。学はとある芸能事務所のスタッフとして働いていた。その事務所は学が入社する一年ほど前に設立したばかりの本当に世間に名を知られていないような会社だった。学が入社しても先輩と呼ぶべき社員の数は社長を含めて十人にも満たない少数で、抱えるタレントの数は三人だけと先の事を考えると絶望しかないようなものだった。それでも仕事として学はその中でもタレントのスケジュール管理やら移動手段として日々働いていた。そこから年月も経過し社員の数もタレントも増え世間に名を知られるようになっていた頃にはスタッフを統括するスタッフの一人にまで上り詰めていた。勿論タレントが増えると仕事も増え、社員が増えたとあっても仕事は追いつかず役職の割にはかなり新人がやるような仕事でも積極的に行っていた。
しかしある日学はその会社を辞めた。事前に退職することは親しいタレントには一切話さず入社当時からお世話になっていた方々と引継ぎ役の者とごく一部だけに伝え学は会社から姿を消した。
そして時は過ぎ一年後の今、学はかつて勤めていた会社所属のタレントの一人、滝宮望に店主として働いている喫茶店に突撃されていた。
「いやあ~まさか黒瀬さんがお店をやってるなんて思いませんでしたよ~~」
「俺もまさか芸能人が店に来るとは思わなかったよ」
「ちょっと~今は私お客さん何ですからちゃんとした接客してくださいよ」
「生憎といつもこの調子で接客してるんだよ。表の扉の張り紙に注意書きしてあっただろ」
「ははは~!なにそれ面白い~~!!!」
(こいつマジで何しに来たんだよ!)
カウンター席の一つに座りながら笑う望を前にして学は落ち着きはしたものの未だに困惑の感情を抱いていた。
望は学の記憶が確かであれば今年二十三になる事務所のタレントで人気の一人。テレビに出演する時としていない時の差がそこまでないと彼女と共演した芸能人やテレビ局スタッフなどがとあるバラエティー番組などで人物像を見る企画で発覚してからというもの芸能人でありながら芸能人らしさを持たないとして人気を誇っている人物だ。特技に歌やゲームなど動画配信サイトで配信したりと特に若年層に人気がある。
町を歩けばバレそうなものを堂々としている度胸にはスタッフとしては関心するものと心配の面があったが特に問題は起きることはなかった筈だ。
「で、何でこの場所が分かった。誰にも言ってないんだけど」
事務所を辞めてからというものかつての同僚と先輩、後輩、社長とは一切連絡をしていない。元々事務所関係は仕事用の端末で連絡を取っていたため本来の同僚のプライベートな連絡先を持っていないことも連絡をしていない理由であるが。退職と同時にその端末も会社に初期化した状態で返し、かつての職場の忙しさを理解している為仕事の邪魔にならないように連絡は取らないように努めていた。
だからこそ店を開いたことも店の位置も教えていない筈なのに、何故かタレントの一人が来店した。普通に驚きものだ。
「ふふふ。知りたいですか?」
「早く言えよ摘まみ出すぞ」
「も~つまらないなあ。実は最近この辺りに引っ越してきて今日はオフで散策してたんですよ!近所にどんなお店があるのかなあって。そしたらこの店が目に入ったんで」
望の説明を聞く限り本当にただの偶然のようだ。
「じゃあ事務所関係にはまだ知られてないわけか」
「私の方から連絡しない限りは。どうします連絡しますか?」
何を思ったのか学の目に映る望はにやにやと子供のいたずら心を感じる表情で端末を見せつけてくる。
「別に連絡自体はいいぞ。お客様が増えるのはいいことだ。来てくれるかは知らんが」
学自身別に元同僚の事を嫌って仕事を辞めたわけではない。確かに何も伝えずに事務所を辞めた為向こうが何を思っているのかは分かっていないが特に否定する程でもないと考えている。
「連絡したら皆来ると思いますよ。何せ突然居なくなったんだから。先輩達の方がスタッフさんよりも悲しくしてましたよ」
「俺的にはスタッフ一人ぐらいでそこまで怒られると思ってないんだけどな」
「スタッフさんの中では初期の方でしょ。挨拶もなしは流石に怒りますよ!勿論私も!!せめてマネージャーとして就いてた人には言ってくださいよ!!!」
「ってもお前の場合一週間だけだろ」
学はタレントのマネージャー的な仕事もやっており初期のタレントも担当し時折ヘルプでマネージャーをしていたりとかなりタレントと関わっていた。望にもマネージャーとして就いていた時期があり期間としては一週間と短めだったがそれを機に会えば話すような仲になった。
パシャ
「取り合えずグループに今の写真送って様子見してみますか」
望は学の写真を無断で撮ると素早い指さばきで端末を操作。タレント全体が集まったグループに今撮った写真を乗っけた。
「にしても黒瀬さん大分調子が良さそうに見えますね。清潔というか」
「うわあ、前の俺ってそんなに小汚かった?結構くるな」
「そうじゃなくて元気そうというか。事務所で会う時はいつも疲れてた感じだったから」
「あーーーー殆ど事務所で寝泊まりとかしてたからなあ」
事務所には寝泊まり用の部屋がありそこで徹夜した後に仮眠をしていたことが日常的にあった。仕事が多い繁忙期などはほぼ毎日その部屋で寝泊まりを繰り返し住人と化していた。
「ちなみに何ですけど聞いてもいいですか?」
「何を?」
「その......何で急に辞めちゃったのか」
先ほどまでの調子の良い態度はどこへやら。とんでもなく気まずい雰囲気を醸し出す望ではあるが、それに答える学は対極的な態度をとる。
「店の資金でも溜まったし辞めるかって」
「かるっ!?」
「いや、俺歳の割には結構上の役職ついたり残業とかも平気でしてたから給料は結構貰ってたし。趣味も特になくて金も殆ど使わない。家に帰れない日だってあって家賃は払うけど電気代水道代とかそこまで掛からなかったから。ボーナスも貯金行きだったし」
「見事な社畜っぷりですね」
仕事の量が多かったというだけで別に事務所に関してはブラックではない。残業すればその分残業代は出るし上限もあって超えないように徹底。ボーナスは年に二回で福利厚生もちゃんとしている。勤めていた経験からかなり世間でも仕事環境は最高と評価してもいい素晴らしい会社だった。
「人間関係で悪い部分もなかったし変に気を使うなよ、気持ち悪い」
「きもちっ....!人が聞きにくいと思って気を使ったのに!」
「キャラじゃないだろ」
本来であればここまで元スタッフの人間とタレントが仲睦まじく話すのは距離感が近すぎるという理由からあまり宜しいとは言い難い。
この距離感の原因の大本は実は学の方にあった。学は敬語などの堅苦しい印象のあるものには苦手意識があり、大事な会議などの場では使用するのだが学本人が使ってこられるのを嫌がるのだ。無理にとは言わずあまり堅苦しい感じで接しないでほしいと関わる相手に伝えた結果がこの異常な距離感の原因となっている。
「おっ、皆凄い反応。暇なのかな」
「忙しいに決まってるだろ」
学は望の持つ端末の画面は見えないが反応からして相当な量の通知が来ているらしい。
「結構皆さん来たがってますね。特に初期の方からいる先輩方は」
「あいつらか....」
学にとって初めてマネージャーを勤めたタレント達。数人ではあるが芸能界で生き残るという意思と一癖も二癖もある個性的な連中だ。故に再会を果たそうものなら確実に詰められるのは目に見えているし、想像しても現実味のある画が容易に頭の中に浮かぶ。
「黒瀬さんが嫌なら上手く誤魔化してみましょうか」
「やめとけ。人間関係なんて些細なきっかけで簡単に崩れたりするんだ。そんなに必死に情報求めてるならここで誤魔化しても最悪お前があいつらから変に圧を掛けられるぞ。事務所が内部崩壊する」
事務所を離れても事務所、特に同僚達の事を想うとタレントでこれ以上苦労を掛けるわけにはいかない。
「別に嫌なことがあって辞めたわけじゃないんだ。正直にここの住所でも送ってやれ。ただし来るなら明日からだ。今日は店仕舞いだって追加で送ってくれ」
「了解です。じゃあ黒瀬さん私はお腹が減っています」
「店仕舞いだって言ったろ今」
「久々に再会した可愛いタレントがお腹を空かしてるんですよ。可哀そうだとは思わないんですか!?」
「ならちょっと待ってろ。冷蔵庫のあまりもので何か作るから」
「手料理ですか!!!?」
「外で週刊誌にでも撮られるよりはマシだろ」
この後本当にありあわせの品を自分用と望の分を作り、ご機嫌な状態で望は店を後にしていった。帰り際”また来ますね”と笑顔で言われた時には”ああ”と次の来店を楽しみにしていると意味を込めて学は送った。
次の日から続々と顔見知りのタレントと同僚が来ることになるのだが、それはまた別に話............