1 仲良しだったあの子
いつもより少し遅めに起きた琴音はスマホを見る。案の定笹木から連絡が入っていた。今日の十時にとあるカフェが指定されており、事件のおさらいを詳しくやりたいとのことだ。わかった、と短い返事をして朝食の準備をする。
夕べはいろいろと考えてしまって寝つきが悪かった。鏡で顔を見れば少しクマが出来ているし顔色も悪い。さっと朝食を済ませると昨日笹木が言っていた情報をある程度確認するためパソコンの電源を入れた。
確か被害者の家族が死んでいると言っていたか。地方のニュースはこちらには入ってこないだろうが、ネットニュースくらいにはなってるかもしれない。膨大な量のニュースからピンポイントで目的の記事を探すのは骨が折れる。直接被害者の苗字などで検索するしかない。
琴音が覚えていないのは事件当時の事だけだ。仲が良かった友達の名前や特徴は今でも覚えている。笹木拓真、江西めい、城田祐介、桐生翔太、御園歩、山内晴斗。年齢もバラバラだ、子供の数が少ないので年上年下関係なくみんなで遊んでいた。その中でも一番仲が良かった子がいて、いつも一緒の仲良しなあの子。
「……あれ?」
思わず声が出ていた。一番仲が良かった子、いつも琴音と一緒に居た子はこの中で誰だっただろう。拓真はヤンチャな男子という感じでいつも走り回っていた。めいは拓真と同じくスポーツが得意な男勝りという性格だった。この二人は活発なタイプで琴音といつも一緒に居たとは言えない。祐介は勉強が一番できる、口数も少ない子。正直祐介と会話した記憶はあまりない。その祐介と一番仲が良かったのが翔太だ。いつもにこにこしていて社交的だった。気を遣ってくれていたとは思うが、一番の仲良しかと言われると微妙だ。歩、晴斗は歌が上手くいつも歌を歌っていた。今の歌どうだった? と聞いていた相手は琴音ではなかった気がする。
誰だろうか、琴音と一番仲が良かった子は。昔の琴音は大人しく引っ込み思案で運動が苦手、体型も小柄で末っ子のような扱いだった。仲良しグループの中で一番どんくさくて手間がかかるタイプだったのだ。しょうがないなあ琴音は、とみんなが笑いながら、嫌味やいじめなどなく温かく受け入れてくれていた。その中でも特別優しかった、一歳年上の、まるできょうだいみたいだねと言われるほど仲が良かったのは。
「誰、だったっけ」
どの子も違う気がする。しかし被害者は六名だ、数は合っている。何だかパズルで重要なピースが抜けてしまっているような感じが気持ち悪い。思い出そうとすればするほど霞がかかったようにはっきりとした姿が思い出せない。ズキズキと頭痛までしてきた。
少し考えたが今はやめよう、と頭を切り替える。被害者の名前を打ち込んで検索をするが、ヒットしなかった。十年前の事件は被害者が児童という事で本名は伏せられていた。という事は現段階で今回の不審死事件は地元ニュースでしか確認できないということだ。そこは笹木の情報頼りということになる。
それならあの事件を振り返っておかなければならない。笹木と会うのに何も調べてきませんでした、など言えるはずもない。怒りはしないだろうが印象は最悪になるはずだ。
しかし調べようとキーボードに手を置いても打ち込むのをためらってしまう。当然だ、十年も遠ざけて意識しないようにしてきたことなのだ。トラウマと真正面から向き合うことになる。事件の内容は覚えていなくても、周囲からの執拗な攻撃と家庭内の辛い日々は今でも思い出すと胸の中にどす黒いものが広がっていく。
今琴音には両親に対する感情は何もない。辛かったのかもしれないが、何がなんでも琴音を守ろうという態度ではなかったことが不信感を持つには十分だった。結局彼らも自分の事しか考えていなかった。それだけで精いっぱいだったのだろうが、今となってはどうでもいい。
「死んでないかな」
自分でも驚くほど冷たい声だった。不審死事件は被害者の親だという。腕がなくなっているという被害者の中に両親の苗字はなかったので生きてはいるだろうが、母親は精神を病んでいたようなのでまともな生活ができているとは思えない。だが、心配する気持ちはまったくない。
結局事件を調べるのはやめた。心療内科のような人を紹介してくれるというし、結局何も覚えていないのなら調べようが無知だろうが同じだ。催眠療法で思い出せるのならそこから動いても遅くない。
こうして事件と向き合うのは久しぶりだ。いつもみんなと何して遊んでっけ、と淹れたてのコーヒーを飲みながらぼんやりと天井を仰ぐ。学校が終わるといつもみんなで一緒に帰り、途中で何かしらの遊びをしていた。鬼ごっこ、かくれんぼ、影踏み、高鬼、色鬼……こうして見てみると「鬼」が出てくる遊びばかりだ。体力派の拓真達、頭脳派の祐介達、良いバランスで遊んでいたように思える。
オニワさんには気を付けろ。外で遊んでいると必ず誰かがそう声をかけてくる。父親世代は農業で忙しいので、声をかけてきたのはいつも老人たちだ。子供たちの面倒を見ていたのは村全体だった。オニワさんってなんの事だろうね、と話したこともあった気がする。身近な存在でありながら、聞かされすぎて興味が薄れていき大した情報を思い出せない。オニワさんの伝承も笹木が調べているだろう。結局笹木頼みか、と思いながら身支度を整え今日の株などをチェックしていく。トレーダー仲間からの連絡で「次の買い付け忘れないでね!」という文面を見ると目を伏せる。
「忘れないでね」 そんなことを言われても、忘れてしまった。誰が言ったのかも、内容も。
時間通り指定されたカフェに行くと店の入り口の前に笹木が待っていた。琴音に気づくと中に入る。カフェの中はすべてボックス席でスノコの様なアイボリーカラーの木で区切られていた。隣同士の客の顔は見えない仕様になっており、話し声もある程度は遮ることができる。
着席と同時に飲み物をてきとうに注文して笹木が資料をテーブルに広げた。
「グダりたくないから流れを説明しておく。今日は十年前の事件のおさらいをしてから、新たに起きている事件の概要を説明する。俺の目的はあの日何があったのか君に思い出してもらう事だけだ。正直新たな事件は俺の中では優先順位は低い」
「そうなんだ」
「殺人犯がいて同じ犯人なら勿論そっちも調べるが、まだ何とも言えんな。あくまで俺の目的は拓真を殺したのは誰なのか、だけだ」
「それだけ? 動機とかはいいの?」
琴音の質問に笹木は無表情のまま琴音を見つめる。その目の奥には深い闇のようなものを見た気がした。おそらく今地雷を踏んだのだろう、怒り狂わないのが逆に心臓に悪い。
「頭のイカレた殺人犯の動機なんて聞いてどうする、どうせ理不尽で理解できないに決まってる。逆に聞くが、可哀そうな致し方ない理由だったら許せとでも? 拓真を殺さないと世界が滅ぶから殺したと言われたら、世界を救ってくれてありがとうと言えばいいのか」
底冷えするような冷たさにいかに自分が無神経な事を言ったのかがわかる。亡くなった子の親と、助かった当事者。殺された側と生きている側には絶対的に分かり合えない一線があるのだ。琴音は事件が起きたことによる状況で人生が狂ったが、笹木は犯人によって人生が狂った。きっかけが状況と人物では特定の人物に抱く感情の方が根が深い。
「……ごめんなさい」