3 豹変、本性
「腹の探り合いは時間の無駄だから単刀直入に言う。十年前の事件の殺人犯がお前の息子だっていうのはもうわかってるから、すっとぼけるのも名誉棄損だと騒ぐのも好きにしろ。俺が知りたいのは一つだけだ。望月日和はどこだ」
その言葉に加賀は反応しなかった。遠くから眺める形の琴音には今二人の表情はわからない。だが笹木が今一歩間違えればとんでもない状況になってしまうのはわかる。今彼は地雷原のど真ん中にいるのだ。
「誰だそれは、何のことだ、って言う無駄なやりとりをさてくれるなよ。ここまでのことを俺一人で調べたわけじゃないのは警察のお前だったらわかるだろ。警察内に協力者がいるのはお前だけじゃない」
「よく調べてるじゃないか」
加賀の声に琴音は肩をびくりと奮わせた。最初に喋ったときのドスの効いた声では無い。もう少し高い、なんなら優しそうな声に聞こえる。最初の喋り方は相手が怯むように声のトーンを変えていたのだ、それは笹木が初めて琴音と会ったときに使ったテクニックでもある。相手に自分はこういう人間だと印象づけるために演技をする。優しそうな声だからこそ数倍恐ろしく感じた。この声、この喋り方。どこかで。
「長崎と小谷は本当に知らないみたいだったからもう直接聞くことにした」
まるで長崎と小谷に会って話をしたかのような言い方だが、無論そんなことをしていないだろう。笹木のハッタリがどこまで加賀に通用するのか。
「それを知ってどうするんだ、殺されたガキの父親なら犯人が逮捕されてハッピーエンドだろう。何か関係あるか」
確かに、今何故日和の話を持ち出したのか。注意深く話を聞いているものの、加賀の声に嫌な汗が止まらない。この声、どこで聞いた。
「ああそうか、物的証拠がないもんな。俺が口を滑らせたのを録音でもして証拠として提出するか?」
語りかける優しい口調。言い聞かせるようなしゃべりはまるで教師のようだ。だが、底知れない不気味さがある。逆らってはいけない、いうことを聞かなければいけない、そんな有無を言わさせない何か。
「それも期待したけどな、今はどちらかというと本職の探究心の方が強い。俺の嫁が見える血筋だったのを最近知ってね、知りたくなったんだ。お前らがひた隠しにする抜鬼、オニワさんの事を」
「……」
「伝説上のオニワさんはどうでもいい。今、この代にいるオニワさんは一体なんだ、何故あんなに好き勝手動いて人を食える」
オニワさん、の言葉に琴音は周囲を確認する。今はどこにも影はいない。話を聞くのに夢中で注意散漫にならないようにしなければ。
「あいつらのあの怯えよう、伝説上のオニワさんに怯えてるにしちゃ不自然だ。直接何か後ろめたい事でもない限りはな。例えば」
「……例えば?」
「そうだな、今いるオニワさんは、お前らの手によって殺されて作られたものだとか。ついでに言うと製造してからずっとそれが見えるようになったとかな」
ドクン、と心臓が鳴る。笹木がここまで考えていた事にも驚いたが、聞いていてある一つの可能性が頭をよぎったのだ。まさか、まさかとは思うが。
見える家系の中でも権力を持っている加賀。その息子のソシオパスを思わせる行動。こんな田舎で常軌を逸した人間になったのならそうなるきっかけ、理由があったはずだ。
まさか、まさか。オニワさんを作り出す風習が一つの一族に受け継がれていたら?
「たいした想像力だ、何をどう調べてそう考えたのか知らないが」
「今のオニワさんは望月家の人間だな。望月日和は次のオニワさん候補として引き取られた。加賀清春の代のオニワさん作りのための材料だ。違うなら否定していいぞ、嫁の実家は認めたからそういうものだと思って話してる。本殿の中にあった骨は預からせてもらった、一体誰の骨なのか鑑定に出せるからな」
加賀の言葉を遮って淡々と語る笹木。琴音が寝ている間に山上と連絡を取っていたのだろう。山上はこれ以上知っていることはないと言っていたが、推測する手伝いはできる。元妻の家に確認などしていない、しかしあの様子から笹木なりに導き出した答えだ。大きなはったりだが、今の加賀の様子を見る限りは疑っている様子はない。
「……。まったく、どいつもこいつも何で俺の足を引っ張ることしかできないのかねえ。清春といいあいつらといい小谷たちといい」
溜息をついて話すその様子は全くおかしな様子がない普通の声だった。この男、加賀自身もおそらくは、普通ではない。
「さっきの質問の答えだ。殺された子の父親がやりたいのは当然事件に決着つけてめでたしめでたしだ。望月日和が見つかれば進展はあるだろ。エリート警察が絡んでたら進展は難しいが一度バツがついたなんちゃってエリートを落とすのは簡単だ、長崎や小谷も喜んで協力してくれるしな。なあ? 間抜け野郎」
最後の言葉は明らかに悪意があった。朝まで飲んだくれていた加賀は明らかに警察としてのプライドが高い。キャリアを馬鹿にされるのは一番屈辱的なはずだ。大きな地雷にも成り得るが、遠回しな言い方をせずここまで言っているのならもう手札は使い切った方がいい。
「はあ~、まったく。まったくもう。何でこう上手くいかないのかねえ。どいつもこいつもまったく、なんでだろうなあ!」
加賀の声のトーンが変わる。まずい、直感的に琴音がそう思った時加賀は叫んでいた。あああああ、と怒りなのか悲しみなのかわからない、まさに咆哮。その声に、わずかに周囲の木々がざわざわと揺れた気がした。
「やかましい、この距離だから聞こえるって言ってるだろ」
「あああ、あああ! まったくなんでだろうな! 何でこうなるんだよ!」
「お前がゴミだからだろ」
「うるせえんだよテメエはさっきからぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ! ガキが数匹死んだくらいでぎゃあぎゃあ騒ぐんじゃねえ! そんなにガキが好きならまた作れよ! いくらでもできるだろうが!」
まずい、笹木に拓真に関する侮辱は最大のタブーだ。笹木が冷静さを失ったら泥沼になる。琴音は移動しようとしたが、ぎくりと動きを止める。加賀の後ろの延長線上になる木の陰、そこにあの影がいる。ゆらゆらと形を変えて、輪郭がぼやけている。今までと違う様子に琴音は息をのんだ。
――なんだ、何が。
嫌な雰囲気だ。影がとんでもない事をしてしまわないか不安になる。まるで感情が揺れ動いているかのような不安定な輪郭。笹木と影どちらに意識を集中するべきか迷ってしまう。
――まさか、あのオニワさん。今の加賀の言葉に、怒ってる?
子供が死んだくらいで騒ぐな。それは、きっと望まない形でオニワさんにされたアレも当てはまる。琴線に、触れる。
「で、望月日和は?」
「俺が知るか! どうせその辺に埋まってるだろうから一生穴でも掘ってろ!」
「ってことは、オニワさんを作るには地面に埋める必要があるってことか。教えてくれてありがとうな。聞いてたか」
笹木がそう言うのでてっきり琴音に言ったのかと思ったが、別の声が聞こえた。
『それならたぶん、本殿の中央から鬼門か裏鬼門です。腕は本殿、体は本殿の外。探せば必ず見つかります。骨からもDNA検査は可能ですし』
若干声が変わって聞こえるが、これは山上の声だ。スマホで琴音と通話していたが、タブレットでは山上と通話をしていたらしい。山上の声を聞いた加賀は遠めに見ていた琴音の目にも明らかにびくりと跳ね上がったように見える。
――図星なんだ、この神社の中にヒヨちゃんは埋められてる
「俺の調査がはったりじゃないことはわかってもらえたか? あと小金やるって言ったらご子息からも情報をもらえた。詳しい事は知らないからゴミ処理係のテメエに聞けってな。金渡した瞬間ぶっ飛ばして警察に寄付しておいたから、まあお前も明日には素敵なお手紙が届くんじゃないのか、間抜け野郎」
加賀を追いつめていく。笹木が何かの録音を流すと加賀清春を思わせる男が先程の笹木の話のとおりにしゃべっていた。音質が悪く盗聴を装った、予定通りの偽の証言だ。よく聞けばサトと呼ばれていた男性の声だとわかる。
「お望み通り、重機でも入れて隅々まで探させてもらうよ。村中掘り起こせばそのうち出てくるならやらない理由がないからな」
「うるせえなあ、女じゃあるまいしベラベラベラベラ」
突然加賀が動いた。笹木のタブレットを叩き落とすとそのまま笹木を殴りつける。琴音は急いで近くに移動した。後ろから頭に一撃入れられれば、と武器になりそうなものを探す。その間も加賀は笹木に蹴りを入れている。