2 身勝手
「お前はオニワさんに食べられないように、拓真の骨を差し出したな」
その言葉に返事はなかった。琴音も頭が真っ白になって何も考えられない。まさか、そんなことが。実の母親なのに、そんなはずない。
その時別の男の声が怒鳴り込んで割って入る。どうやら女性の父親らしい。笹木からすれば義理の父だった男だ。娘を助けようとしたのだろうと思ったが、男の言っている内容はいかにオニワさんが恐ろしく絶対にかなわない存在かわめき散らすだけだった。
「やっぱりテメエの指示か」
「何だその口のきき方は! 相変わらず礼儀の礼の字も知らない奴だな! この家の事はお前には関係ない、さっさと出て行け!」
「お前に用はないからお前が消えろ、今俺はそこの馬鹿と話をしている。拓真の骨は残っているのかいないのかどっちだ」
義理の父親の声がだいぶ大きいので笹木の声が聞き取りにくくなったが、女性は笹木の問いに答えることなく早く出て行ってと泣き叫ぶ。
「相変わらず役に立たない奴だ、回転寿司のレーンの方がよっぽど働いてる。お前拓真の骨を使ったから自分が助かるって思い込んでるんじゃないだろうな?」
「え……?」
「俺にオニワさんを教えてくれたやつが言ってたよ、オニワさんは一緒に遊んだ子を食べる。だから今回被害者の血族であるその親が犠牲になったわけだ。生肉を食いたいのに骨だけ差し出してきたやつに怒り心頭だろうってな」
その言葉に先ほどまで怒鳴りちらしていた男も静かになった。
「オニワさんを怒らせたらどうなるか、お前の方が詳しいだろうからこれ以上は言わないが、この後実際に体験してろ、クソ野郎」
最後は鼻で笑った声だった。二人は一気にパニックになる。男は大変なことになったとバタバタと家の奥に走っていったらしい。女性は嫌だ嫌だと駄々っ子のように撒き散らしながら泣いていた。
「どうしたらいいの、こんなことになるなんて思ってなかった!」
「俺の知ったことか」
「だってしょうがないじゃない! 私だってやりたくてやったんじゃない、他にどうしようもなかったんだから! いつも探し回ってるの、ウロウロしてるの! いつ私のところに来るか毎日毎日隠れて暮らさなきゃいけなかったのよ! なんで私がそんな目に合わなきゃいけないの!」
助かりたかったから自分の息子の骨を犠牲にした。息子の遺骨をオニワさんに差し出すことで自分が助かろうとした。女性のすすり泣く声が聞こえていたがやがて。
「お前の寿命も明日までか。今のうちに遺言でも書いておいたらどうだ、私の死体は畑の肥やしにしてくださいってな」
笹木の言葉に女性の半狂乱のような泣き叫ぶ声が聞こえた。女性の声が遠のくので笹木は家を出てくるようだ。やがて車の扉が開いて笹木は運転席に座る。その顔はぞっとするほど無表情だ。
「……タバコ吸っていいか」
「吸って良いし、殴りつけるならあの家の車のボンネットにしてね」
笹木は大きく深呼吸をしてしばらく沈黙した。そしてタバコに火をつけるとゆっくりと一本分吸う
「車のボンネットに10円玉でハゲって書いとけばよかったな」
「子供じゃないんだから」
「手の込んだ嫌がらせより、シンプルな嫌がらせの方が効果は絶大だったりするもんだ。あの親父ハゲが進んでたし、元嫁もちょっと髪うすくなってたからな」
父親のほうはともかく女性の方が明らかにストレスだろう。この村に診療内科などないし本当にそういう内科に行ったら妄想癖がある人間として話を信じてもらえないはずだ。結局この村の人は自分たちで自分たちの生活を不便にしているのだ。
「落ち着いたらさっきの会話ちょっと説明してほしい」
「もう落ち着いたから大丈夫だ」
「早くない?」
「君にも教えただろう、マインドセットだよ。俺の場合は深呼吸だ。ぶん殴りたくなるようなクズを相手にした時は深呼吸するようにしてる」
その言葉に琴音は思わず考え込む。そして琴音が今何を考えているのかわかったらしい笹木はすかさずツッコミを入れた。
「君の前で深呼吸をしたことはないよ」
「それは何より。壁にドンされる方の壁ドンされたけどね」
「謝らなくていいって言ってたから謝らないが。そういえば感情がコントロールできなかったのは久しぶりだな」
催眠状態だったとはいえ自分の行動を認めようとしない琴音に心底腹が立ったということだろう。しかし感情ぶつけたとはいっても先程のような嫌味や無意味な罵倒ではなく、琴音にとって必要な真実を突きつけてくれた。それは笹木の事件に対する真剣な思いと、事件の真相を確かめること以外どうでもいいなどと考えていないことの表れだ。
「さっきの話は君が教えてくれた情報と自分なりの考えを混ぜ合わせたでっち上げだ。どうせ人の嫌味なんて意に返さないだろうから、一番精神を抉る内容を言っただけだ。これくらいはするさ……拓真の遺骨は多分一つも残っちゃいない」
残っていない、その言葉にはわずかな悲しみを感じた。もう墓参りをしてもそこに拓真はいない。遺品もほぼ手元にないだろう。息子とのつながりはもうなくなったと言っていい。
「遺骨について白を切っている時からろくでもないことだろうと思っていた。あいつらの思考は単純でわかりやすい」
「本当に見える人たちだったんだ」
「会話で何か気がついたことはあるか」
「オニワさんが見えてるのに頑なに村から出ようとしない事と、女の人は怖くて泣いてただけだけど父親の方は何かするためにどこかに行ったっぽい?」
琴音がそう言うと笹木は真っ直ぐ家を見る。家から人が出てくる様子はない。
「たしかに。村から出ないのはしがらみとかだろうが、何で家の中に入ったんだあの親父……電話か。見える連中のコミュニティで対策会議ってところか」
笹木は車を発進させた。もしかしたらこの家に他の人間か来てしまうかもしれないので車を見えないところに隠す必要がある。一度きた道を戻り違う道に入るとそこは昔遊んでいた原っぱだった。
「冷静になったら誰が俺に情報与えたって話になりそうだ。適当に、君が会ったことがあるという結城という人にしておこう」
「そういえば結城って人については」
「こればかりは前に話した時と変わってない。推測だが長崎ってやつに殺されたか、拉致られて他の面子にリンチされてるうちに死んだか。死体を隠そうとしてないあたり長崎の単独犯な気はするな。それにしても」
「なに?」
「こんなのばっかりだな、この村の男は。加賀って奴は警察な事を考えるとタチ悪そうだ」
「男尊女卑すごいから……」
言いかけて琴音は咄嗟にシートを倒す。その行動に笹木は驚いたようだったすぐに険しい表情になる。すぐに車を発進させて移動した。
「オニワさんか、どこにいた」
「だいぶ遠いけど笹木さんから見て右側に電柱があったんだけど、そこにチラッと影が見えた気がした」
原っぱから数メートル離れたところには舗装されていない細い道がある。かなり古い木でできた電柱が等間隔に立っていて他には何もない場所だ。
「見つかったのか」
「はっきりと見えたわけじゃないからわからないけど、見つかったなら今この場に来てるはずだから多分見つかってない」
サイドミラーを見ても笹木の目にはそんな影は見えない。やはり見える血筋の者でなければ姿を確認することができないようだ。
「昔もそうだったけど今もはっきりとした姿は見えないの。目の端にちらっと見える、今のなんだろうっていうような黒い影しかわからない。もしかしたら本当に見間違いとか気のせいの可能性もあるけど、それも含めて全部オニワさんだって思って行かないと見つかったときに気づかない」
そもそもこんな広くて何もない場所はかくれんぼに不向きだ。しかし隠れる場所があるかどうかと言うよりもオニワさんが隠れられる場所があるかどうかと言う基準のように思えた。オニワさんは鬼のはずだ、隠れる必要などないのに何故。オニワさんも隠れながらかくれんぼをしているのだろうか。