5 十年前から、現在へ覚醒
今ならわかる、拓真も歩もオニワさんの事を言っていたんだ。二人はオニワさんが見えていたんだ。社の中に入り扉を閉める。しめてしまうと中は真っ暗で、扉の隙間から夕日が差し込むくらいだ。狭いが態勢を変えることくらいはできそうだ。体育座りをしてなるべく小さく縮こまっているとじゃり、じゃり、と砂を踏みしめる足音が聞こえてくる。
「ことちゃん、みーっけ」
扉のすぐ目の前から声がした。ビクンと体がはねてガタガタと震えが止まらなくなる。
「みいつけた、いるんでしょ」
「……」
「みつけたよ。でてきてよ」
「……」
応えることができない。返事をすればそれは完全に負けを認めることになる。でもかくれんぼは、隠れた人の姿をはっきり見て「みつけた」というゲームだ。完全に扉を閉めているのだから「鬼」は琴音の姿を見ていないはず。出て行って初めて見つかったことになるのだから、琴音から出る必要はない。
「こまったなあ。みつけてるのに、みつけられない。……あれ?」
「誰? あんた」
琴音は目を見開いた。日和の声だったのだ。どうして、ヒヨちゃん、ダメだよこいつとしゃべったら、近くに寄ったら。でも怖くて声がでない、体が動かない。
「ぼく? ぼくはねえ、――」
「ふうん? まあいいや、何してんの」
「このなかにことちゃんがいるんだけど、でてきてくれない。かくれんぼ、ぼくのかちなのに」
「中見てないんでしょ、見つけてないじゃん」
「だってあけられないんだもん」
だめ、逃げてヒヨちゃん。お願い。それを声に出して言いたいのに、体が石になったかのように声が出ない、動かない。
「じゃあこうしようよ、私が隠れるからアンタが鬼ね。太陽が沈むまでに見つけられなかったら私の勝ち。どう?」
「たいようがしずむまでって、もうすぐだよ、ずるいよ」
「ワガママだなあ。じゃあいいよ、十年時間あげるよ。この神社の中に隠れるから見つけて」
十年? そんなに長い間かくれんぼを続けるというのか。日和の考えがわからず琴音は混乱する。
「じゅうねんかあ、いいよ。じゃあじゅうねんごの、十月二十一日ね。やくそくだよ。じゅうねんたってもみつからなかったら、たべちゃうからね」
「なんでアンタが負けるのに私が食べられるの、おかしいじゃん」
「じゃあかくれて、百数えるよ」
人の話を全く聞かないソレは一方的にかくれんぼを始めようとする。日和は大きくため息をついて諦めたようだ。
「あ、ちょっと神社の入り口まで戻ってよ、ここからじゃどこに隠れるか見えちゃうじゃない。それってズルでしょ」
「わかった」
じゃり、じゃり、と足音が遠ざかっていく。その音が聞こえなくなって、日和が社に近づき小声で言った。
「コッコ、そこにいるよね? 大丈夫、私来週にはこの村からいなくなっちゃうし絶対見つからないよ。あれ、拓真達が言ってたオニワさんでしょ? しばらく時間稼ぐから今のうちに逃げて」
その言葉に別の意味での涙があふれる。こんな時でさえ日和は琴音を心配してくれる。かくれんぼが一番上手いのは日和だ、いつも最後まで見つからない。自信があるのだろうが、今回は。
逃げて、違うの、オニワさんは普通じゃない、みんなが。それを言いたいのに何故自分は何も言えず動けないのか。そんなに自分の命が一番なのか
震える手で社の扉を開けようとした。しかし、どこか。近いような、遠いようなどこかで。
絶叫が聞こえた。この世のものとは思えない、悲痛な叫び。誰かの笑い声。楽しそうに、日和を。
「ことちゃんも、やくそくしよう。あのね」
社の扉の真ん前から影の言葉が聞こえる。影の言葉の後ろで悲鳴が、笑い声が、泣き叫ぶ声が聞こえる。その声にかき消されて、影の言う「約束」が聞こえない。だがどうでもいい、今は日和を。
「……、もってきて」
「ぎゃあああああ! ああああ! 痛い痛い痛い痛いごめんなさいやめてやめていたいいいいい!」
「ぎゃっはははは! はは、おっもしろいなあ! なにそのかお、はあ? あはははは!」
「やめろやめろやめろやめろおおおおおお!」
「起きろ! 安東琴音!」
叫び声よりさらに大きな声に目を見開いた。涙が目じりをつたい、目の前には笹木が険しい顔をして琴音の腕を抑えていた。見れば片桐は琴音の足を抑えている。
ゆっくりと周囲を見渡すとそこは神社ではない、診療所だ。笹木たちはゆっくりと抑えていた腕や足を開放した。そうだ、今の光景は今起きていたことではない、催眠療法だった。それを理解した瞬間、一気に頭に血が上った。目の前にいた笹木のシャツを掴んで思い切り爪を立てて握りしめる。
「何で起こした!」
「こちらの質問に途中から無言になって暴れ始めたからだろ」
「まだ、終わってない! 約束がわかってないし皆死んだしあいつのせいでヒヨちゃんが、笑ってる! 何で笑ってるんだよ!」
言葉遣いが荒くなり怒りをあらわにしているが、言っていることは支離滅裂だ。記憶は十年前のまま、しかし感情は現在になっており催眠状態が解けていない。
「みんな、みんな死んだ! あいつのせいで! 犯人なんかじゃない、オニワさんじゃないか! いたんだ、やっぱりいた!」
「……」
「邪魔しないで! まだ終わってない! まだ何もわからない!」
「やかましい!」
笹木が吠える。掴まれていた手を思い切り払うと琴音の胸ぐらを掴んで壁に叩きつけた。衝撃で琴音の息がつまる。
「知りたいことは大方分かった、わかってないのはお前の方だ! いい加減認めろ、お前は自分の命惜しさに友達を見殺しにしてそれを現実逃避してただけだろうが! 忘れたくて忘れてたやつが何偉そうに怒鳴ってんだ!」
感情をむき出しにした笹木に怒鳴られ、琴音の頭から血が下がっていく感じがした。大粒の涙が琴音の目から溢れる。後ろから片桐が静かに、しかし強い口調で言った。
「笹、それ以上やるなら二度とお前を許さん。外に出ろ、頭冷やしてこい」
「わかってますよ」
ぎろりと片桐を睨みつけると笹木はあっさり琴音を開放して乱暴な動作で外に出た。ずるずると壁から地面にずり落ちる琴音を片桐が支えて診療台に座らせる。
片桐は何も声をかけず、琴音の背中をさすっていた。声もなく泣き続ける琴音は笹木の言葉が頭から離れない。
忘れたくて忘れていた。自分の命惜しさに、日和を見殺しにして。
そうだ。きっと、そうだった。事件を忘れていたのは、忘れろと言っていたあの声が原因じゃない。自分が忘れたくて忘れていた。自分を守るために。
「今君は何歳かな」
「……。大丈夫です。十八歳、今の私は、今の私です。……日本語変ですよね」
「いや、大丈夫だよ。申し訳ない、こんなふうになってしまって。途中で君が応答なくなったから中断しようとしたんだが、中断の声も届かなくなってね。たぶん君の頭の中で記憶の流れが止まらなくなったんだろう」
「いいんです、わかってるんです。片桐さんのせいじゃないし、笹木さんの言葉は……真実なんです」
「いやあ、あれは単に一番知りたい情報が引き出せなかったことへの苛立ちからの八つ当たりだよ、あれは笹が悪い。後でボッコボコにしておくから」
琴音は弱弱しく首を振った。そして、無意識に額を撫でている。落ち着く、こうしていると。
「それは?」
「なん、でしょうね……。こうしていると気分がよくなるんです」
「そうか、良い事だよ。そのまま続けて」
揉みほぐすような力ではない、皮膚に触れる程度の弱い力で擦っていく。落ち着いて、額から手を離したタイミングで片桐のスマホが鳴った。
「頭が冷えました」
「はえーよボケ。こっちも落ち着いたがそのまま反省してろクソ野郎」
「いいんです、来てもらってください」
通話が聞こえていた琴音がそう言うと、片桐はじっと琴音を見つめ、問題ないと判断したのか小さく頷いて二秒で来いと言って電話を切った。




