1 安東琴音
しいんと静まり返った家の中、琴音はパソコン画面二つとスマホをすべて確認しながら株の値動きなどをチェックしていた。中学卒業後高校には行かず、未成年でも働ける仕事口を必死に探した。年齢を偽って夜のバイト、無論性的な事は関わらないが、水商売のようなものをやったこともある。夜の、大人の世界に足を踏み入れたのは正解だった。学生では絶対わからない株、投資の話を聞くことができたからだ。
それまで株はよくわからないもの、投資は一発で貧乏になる信用できないものだと思っていた。客からそれは誤解というか勘違いだよ、投資とギャンブルは全く違う、と笑いながら指摘され興味を抱いたのがきっかけだった。
そこから投資家の客から話を聞いているうちに本格的に勉強をし、最低限の生活ができるようになる金額の投資を始め、夜の世界は卒業した。十八歳になった今では株と投資で生活をしている。贅沢はできない程度の金額だが琴音には十分だった。派手な生活をする気はないし多数の人と関わる気もない。
未成年でありながら生活基盤を探した理由は単純だ。琴音には家族がいない。正確には以前はいたが今はいない。それはすべて十年程前の忌まわしい事件のせいだ。
琴音は子供の頃とある田舎町に住んでいた。子供の数が少なく学校で一クラスだけ、クラスの全員が友達だった。地元で農家をする家が多く、どちらかと言うと貧しい人たちが多い場所だった。最近流行りのゲーム機やカードゲームなど買ってもらえるわけもなく、友達同士で集まればやるのは昔ながらの鬼ごっこや花いちもんめなどの道具がなくても遊べる遊びだ。
たぶん、あの日もそういう類のもので遊んでいたはずだ。かくれんぼか鬼ごっこか、とにかく全員が散り散りになってやる遊びだったのだろう。
だから全員バラバラの場所で見つかったのだ。琴音が見つかったのも神社の中、かなりわかりにくい場所だった。見つかった時意識がなかったし目が覚めたら何も覚えていなかった。
十年前ほど前に起きた児童連続殺人事件。そんな名前で捜査本部が作られはしたが事件解決に至っていない。明らかに他殺だった六名の児童。琴音は意識不明の状態で見つかり目を覚ましたのは一か月後だった。警察が何度も聞き取りに来たが、琴音は何も覚えておらず事件解決の糸口は見つからなかった。琴音に目立った外傷はなく、おそらく友達が殺されるのを見てしまった事による精神的ショックで眠っていたのだろうという判断となったのだ。
これに納得できなかったのは被害者の保護者達だった。地元なので琴音が生き残ったことは周知されている。病院にいる時も、退院してからも保護者達は琴音に詰め寄り何があった、犯人はどんな奴だった、とものすごい剣幕で来たのだ。何も覚えていない琴音に明らかな苛立ちをあらわし、日を追うごとに琴音を責める保護者が増えてきた。
何故、お前だけ生き残った。何故自分たちの子供が死ななければならなかった。何を隠している、都合よく何も覚えていないなどありえないだろう。そんなことを言われ、ついにお前が代わりに死ねば良かったんだと罵られる事態となり、琴音だけでなく家族に対しても嫌がらせが起きたのだ。
無論最初親は琴音をかばった。琴音だって被害者だ、何も悪くない。しかし友達の中に地主の子がいたのが圧倒的に琴音たちを不利にした。村八分のような事が起き、両親は常に苛々し始め、琴音との仲が悪くなっていった。地元で農家をしていたため引っ越すというわけにもいかず、農業しかしてこなかった両親が会社勤めなどできるわけがない。田舎の土地など売れるわけもなく、両親はその土地から出ることができなかった。
琴音とは口をきかなくなり、だんだん言葉の暴力が増え、殴る蹴るの暴力も増え。ある日ついに母親が泣きながら琴音を殴り、お前のせいで、お前が居なければこんな事にはならなかったと叫んだ。母は心が壊れ精神がもたなくなっていた。父親は琴音を施設に出し、二度と会いに来ることはなかった。最後の会話がいつだったか、何だったかさえ覚えていない。
児童養護施設は十五歳までしかいることができない。そこを出たら一人で生きていかなければならなかった。施設に預けたなど周囲に知られたくなかったのか、だいぶ遠い地方の施設に行ったため琴音の過去を知る者はいない。
両親にさえ見限られ、最悪な家庭環境と人間のむき出しの感情をぶつけられてきた琴音は他人を信用しない。夜の仕事も金の為と割り切っていた。店を辞める時、投資を教えてくれた客から個人の連絡先をもらったがお見送りをした後ロッカーで破いて捨てた。どうせ体を要求されるに決まっている。
店を辞めて半年。店で貯めた給料でパソコンなどを買いそろえ、少ない元本で始めた投資は緩やかに上昇をしている。世の中の投資家のように何十万、何百万の金の動きとは程遠いものだが、これが今の琴音には丁度いい。
ふう、と一息ついて背伸びをした。ずっと座っていては腰に悪いし姿勢も悪くなる。一時間に一回はストレッチをすると決めている。適度に筋トレをして、体力と健康維持には気を付けていた。何故なら店に来ていた客は皆太っていたり猫背だったり、見ていてだらしのない男ばかりだった。太っているなら痩せればいいし猫背は姿勢を正しくすればいいだけだ。笑顔で酒を注ぎながらこういう大人には絶対なりたくないなと冷めた気持ちで客を観察していた。
太ももや尻の筋肉をほぐそうと、まず体育座りの形になり片方の足を延ばそうとした時だった。
「十月二十一日だよ、わすれないで」
突然そんな言葉が聞こえた。
「……え?」
思わず声が出た。誰の声だったか、何を言っているのかまったくわからない。ストレッチをやめて周囲を見渡してしまう。誰かがいるわけないとわかっていてもやらずにはいられなかった。本当に、今誰かと会話をしているかのように鮮明な声だった。
誰かがしゃべったわけではない。何かを突然思い出したのだ。体育座りをして、なるべく小さく体を縮こませて、息を殺した。それと同じ状況が以前あったような気がする。いつだったか。