8 やくそくを、やぶったら
結局猫を殺した犯人は誰も見つけようとしてくれなかったのでそのままとなってしまった。こんな恐ろしいことをする人間がこの村にいるのかと怖くなったのを覚えている。
猟奇的な思考を持った人がいたと考えると、殺人に転じた可能性は十分ある。動物を虐待して対象を人にする異常者の話はいろいろなところで聞いたことがある。
「そうだ、あの猫を殺した犯人は私たちを見ていた可能性がある。子供を殺したくなったとしてもおかしくない」
琴音はひとまず今思い出したことを笹木と共有するため連絡を入れておいた。今頃は興信所の人と打ち合わせをしているだろうからすぐに返事は無いと思ったが、この情報を知った上で興信所の報告を聞いたほうがいいと思った。
するとすぐに返事が来る。わかった、ほかに何か思い出したら頼む、と簡潔な内容ではあったが琴音からの連絡を重要視しているのがわかる。
しかしそうなるともう一つ不可解なことが生まれる。あの村はコミュニティの強さが尋常ではない。誰かが何かおかしなことをすればあっという間に周囲に伝わり、自分の意見を言わなければ気が済まない人が多かった。他人の素行はあっという間に噂が広がるし、それこそ猟奇的な考えの人がいたら絶対に周囲に伝わっているはずだ。都会のように触らぬ神に祟りなしと言うような対応はせず、数人がかりで強めに注意を行くような人たちだ。直接関係ない人まで群れて湧いて出てくるほど他人のことに首を突っ込むのが好きな人たちが多い。
琴音が覚えている限りではそんな人の情報はなかったし、変質者が出ると言う話も聞いたことがなかった。いなかったのではないか、と思ったがすぐに否定する。
「違うか、猫のパターンだったら厄介だな」
猫が無残に殺されたことよりも野良猫を世話する方を重要視していた。猫はそこら辺で糞尿をするのでほぼ害獣のような認識だった。猫嫌いが多かったのだ。つまり、自分にとって都合が良いもの面白いものは寄ってたかって騒ぐが、その正反対の事は全く対応しない。
猫を殺した犯人に心当たりがあったのか、猫が死んだことが本当にどうでもよかったのかわからないが、笹木の言う通り何か心当たりがあったのだとしたら。犯人の目星か、オニワさんか?
目の周りが重く眠気を感じる。昼食をとったので眠くなってきたようだ。洗濯などやることは終わっているし軽く仮眠をとることにした。いろいろと考え込んで頭を使っているし、少し休憩してもいいかもしれない。
うっかり数時間寝てしまわないよう目覚ましをかけ横になる。目を閉じるとすっと意識が遠のいていくのを感じた。
「忘れないでね」
誰かの声が聞こえる。何を忘れないで?
「私の事、忘れないでね」
あなたは、誰?
「また遊ぼうね、コッコ」
コッコ。それは自分のあだ名だ。でもおかしい、拓真達からは琴ちゃんと呼ばれていたはずだ。コッコと呼んでいたのは誰だっただろう? コッコと呼んでいた子は一人だけ。あの子は確か……。
「やくそくだよ、わすれないでね」
あなたは、だれ?
「十月二十一日だよ」
なにが?
「もしわすれたら、……からね」
え、なに? きこえない。
「……からね」
辺りは真っ赤だ、紅に染まっている。それは、みんなの、血。
やくそくやぶったら、たべちゃうからね。
悲鳴で飛び起きた。その悲鳴が自分の声だと気づくのに少し時間がかかる。ハァハァと荒かった息を整えしばし呆然としていたが、部屋の中に差し込む夕暮れの光にぎょっとして慌てて時計を見る。時刻は十六時を回り三時間近くも眠っていたことに信じられない思いだった。セットした目覚ましは消されていて間違いなく自分で消したのだろうが全く覚えがない。
スマートフォンを見ると笹木から着信とメッセージが入っていた。着信は約一時間前、メッセージを開くと興信所から報告を全て受け取ったので情報共有したい、時間が空いたときに連絡ほしい、と言う簡潔な文だった。着信音にも気づかなかったとなると相当深く眠っていたようだ。たった二日だというのに精神的に疲れていて睡眠不足になっていたのかもしれない。
「私は……約束をしたんだ、その約束を破ると」
忘れないと約束をした。そしてそれが十月二十一日。これだけではちぐはぐだ。十月二十一日に一体何を約束したのか、約束が守られなかったとき「食べられて」しまう。食べちゃう、などと言う相手が人間なものか。
どくどくと鼓動が早くなる。自分はオニワさんと何かとんでもない約束をしてしまったのではないだろうか。そして最悪なことにこの十年完全に忘れていた。その期日が迫っているからオニワさんが会いに来ている、と言う事は無いだろうか。そう考えると辻褄が合う。急に声が聞こえたり、姿を見るようになったり、気配を感じたり。
「約束って何」
その内容もわからないが、オニワさんと会って会話をしていたということだ。拓真の言葉を思い出す、オニワさんは常に自分たちのそばにいると。思い出せない黒い影のあの子は、やはりオニワさんだったのではないだろうか。
急に背筋が寒くなった気がした。今までは不可現象に一体何なんだろうと言う疑問の気持ちで向かっていたが、あと五日で自分の命が終わるかもしれないと言う底知れぬ不安が体を支配する。
琴音は慌てて今の内容をメモに取った。言葉を一字一句すべて記録する。一昨日突然聞いた声も内容は間違っていなかっただろうか、何か違う情報は無いだろうかと必死に思い出そうとしていた。
ここにきて不可解な事と捉えていたことは、時間制限付きの絶対に解決しなければいけない事へと変わる。
食べられる。死ぬのか自分も、みんなのように見るも無残なぐちゃぐちゃな状態にされて。生きたまま死んだほうがマシだと言うような苦痛を味わいながら。生きたまま食われるのだろうか。自分の体が食いちぎられていくのを自分で見ていなければいけないのだろうか。
震える手で笹木に電話をかけたが電話には出られないと言う自動アナウンスが流れる。電車に乗っているのかもしれない。今すぐ情報共有したい連絡がほしいとメッセージを送り、いつでも出かけられるよう支度を整えた。
十五分ほど経った頃笹木から着信が入る。こちらの用件を言う前に情報共有はこの電話で済ませると向こうが言った。なんでも別途調べなければいけないことができたので、今移動中だと言うことだ。
「結論から言うが村ぐるみの隠蔽の可能性が高い。地元の警察と役所が絡んでいるようで少し厄介だ」
「どういうこと?」
「昔村に住んでいたと言う人物とコンタクトが取れることとなった。しがらみがないのなら隠すことなく喋ってくれるだろう。要するに、興信所は犯人の目星がついたってことだ」
その言葉に琴音は目を開いた。そんなはずない、だって、オニワさんが皆を。
「それで、君の用事は?」
「あ、えっと、ちょっと今居眠りしてたんだけど、また夢を見て……私やっぱりオニワさんと何か約束をしてたんだと思う。約束を破ったら私食べられちゃう」
琴音のわずかに落ち着かない様子に笹木は一瞬無言だったが、的確に指示をしてきた。
「夢の内容は全部メモしておいてくれ、あと一度深呼吸をするんだ。今君の近くにオニワさんがいるわけじゃない。解決するにしても順序があるから、焦っても何も始まらない。オニワさんが居る方向で物事を考えていいが、恐怖で冷静な判断ができない状態にならないように」
「そんなこと言ったって、怖いときは怖いし意思一つでどうにかなるもんでもないじゃん」
昔から怖がりの性格だった。ある程度自分の考えをはっきり言うことはできるようになったが、本質は変わっていないのだなと言うことを改めて自覚した。
「マインドセットを作ることができないのか」
「マインドセット?」
「簡単に言えばおまじないだよ。言葉で大丈夫と言ってみたり、散歩をしてみたり、心を落ち着かせるための気分転換みたいなものだ。人間の脳っていうのは単純で簡単に錯覚する。口に出して大丈夫、大丈夫と繰り返していると本当に大丈夫な気になったりする。それは何か一つ見つけないと今少し危うい状態だな」
「……わかった。ちょっと探してみる。興信所で分かった事はこのまま電話で教えてくれるの?」
「ちょっと車で遠出することになりそうだから後で資料を送っておく。先方も紙じゃなくデータを送ってくれたからそれをそのまま送る、見やすいはずだ」
じゃあまた連絡する、と言うと電話が切れた。急いでいる様子だ、早く話を聞きに行きたいのだろう。具体的な手がかりを掴んだのなら当然だ。こちらの話をあまり聞いてもらえなかったことに僅かに不安と不満がこみ上げる。