7 殺された猫たち
目を見開いてその影を見る。影と言うより黒い霧の塊のようにも見えた。小さな黒い何かの集合体が人の形を作っているようにも見える。蜃気楼のようにゆらゆらと揺れるその黒い影は動かない。
「誰、なの」
琴音の言葉に、その影はゆっくりと顔を上げたように見えた。影が一歩近づいてくる。その分琴音は一歩下がった。耳鳴りのようなものが聞こえる。頭が痛い。
「こ――」
パァー、とクラクションを鳴らされ我に帰った。見れば歩行者信号すでに赤になっていて車が動き始めている。小走りで信号渡りきり、歩道を振り返るが影はいなくなっていた。
こ、と言ったのは影だ。何か言おうとしたようだったがクラクションの音にかき消され聞こえなかった。
こ、から始まる言葉。琴音、と言おうとしたのだろうか。
昼食はカフェには行かずテイクアウトの物を買い家に帰った。笹木と話した事を自分なりに早く整理整頓したかった。
テーブルに資料を広げ買ってきたものを食べながら一つずつ確認していく。特に資料に目を通してくれと言われていたオニワさんについて。
大方は笹木が話していた通りの事が書かれている。鬼が必要な遊びをしていると鬼の役割の子供と入れ替わっていつの間にか遊びに紛れ込んでいる鬼。鬼が子供を抜き取るから抜鬼と呼ばれているようだ。この地域特有の伝承で範囲は狭い。地方によって微妙に伝承も違うようで、かくれんぼだけに紛れてくるという話もあるようだ。口減らしが発端なのだから、子供がいなくなってもらわないと成立しない遊びに特定されているのと書かれている。そこからさまざまな伝承が肉付けされて鬼が必要な遊び、と話が広がったのだろう。
今自分がやらなければいけない事は何か、改めて整理整頓をしてみる。笹木はあくまで現実的な犯人がいる仮説を立てて動いていくだろう。琴音は今までの情報を聞いて犯人とオニワさん、どちらが有力だと思っているのか自分自身に問いただしてみる。
もし、思い出せない子がオニワさんだとして、友達を次々と殺していくのを見ていたら、それはトラウマになるであろう光景だ。
友達だと思っていた子が友達を殺していく、ショックなどと言う言葉では片付かないだろう。それは例え犯人がいたとしても同じことだが、友達が化け物だと言う事実よりはいくらかマシに思える。
「そういえば」
思わず声に出した。自分は確か社の中に隠れていたのだった。なぜそんなところに隠れたのだろうか。あれだけ広い場所、建物だってあった。隠れられる場所は他にいくらでもあったはずなのにあんな狭い場所に隠れるのは少々不可解だ。
笹木が作った資料には自分で撮った写真と思われるものが載っていた。その中には琴音が発見された社も写っている。神社はかくれんぼでよく使っていたので琴音自身もよく覚えている。子供が入るには十分な大きさだが大人が入るにはかなり狭い、小さい社だったと思う。資料に書かれている「境内社」という言葉に聞き覚えがないので検索すると、摂社や末社と呼ばれ本殿とは別にある小さな社を指すらしい。神社によって大きさは違うとのことだが、それでも琴音が隠れたものは小さいほうだと思う。
見つかってしまったら絶対に逃げられない。恐怖とパニックでそこしか隠れる場所がなかったのだろうか? 周辺にオニワさんか犯人がいて隠れられる場所がそこしかなかった?それとも、そこに隠れることに何か意味があったのだろうか。
「あの社、いや神社だったっけ、何か云われがあったような気がする」
年寄りの話はいつもつまらなくて適当に聞き流していたが、何かご利益がある神社だと聞いた気がする。
「何だっけ……」
いつも言われていたことではなく、何の気なしに聞いた話だったような気もする。思い出そうと色々と考えてはみたが、結局思い出せなかった。このあたりは催眠療法で聞いてもらうしかない。誰か一人でも生きていてくれていたらあれなんだっけと聞けたのだが。
仲良し組だった他にも子供はいたが、顔も名前ももう思い出せないし連絡を取り合う仲でもない。仲が悪かったわけではないが村を出て都会に引っ越した自分を受け入れてはくれない気がした。
今なんとなく思い出せるのは、何か魔除けのご利益があると聞いた気がする、と言う事くらいだ。
「オニワさんを祀ってあるから神聖な力があるっていうことなのかな」
自分で声に出してそう言ってみると改めて違和感を覚えた。オニワさんは怖い存在だといつも注意をされていたけれど、なぜ腕を祀っていることを教えてくれなかったのだろうか。
地元住民でも一部の人間しか知らなかった腕を祀っている事実。知られればいつかメディアが来て騒がれるのを恐れたのだろうか。口減らしが行われていたのは遠い昔の事だ。以前はそういう風習があったというだけで、今の人に何か罪があるわけではない。そうなると一体何を怖がっていたのだろう。まさかその腕をDNA鑑定しましょう、などという流れになるとも思えない。河童の腕や鬼の腕を祀っている神社や寺は数多くあり、テレビの取材があっても科学的に調べるなどしないのが普通だ。
資料には戦後まで口減らしは続いた可能性も示唆されていた。戦後は人が多く亡くなったが食べ物もなく働き口もなかった。特に小さな村では疎開もできず苦しい生活だったはずだ。
戦後まで口減らしが行われていたのなら、年寄りの中には口減らしを行っていたという事実を知っている者がいるかもしれない。怖がるのなら、怖がるだけの理由が何かあるはずだ。
昼食を食べ終わり十年前の事件概要を読むと琴音の記憶している以上に凄惨な事件だったことがわかる。笹木が言った通り、被害者の体は欠損している部分が多くどれも生きているうちにやられたことがわかっている。頭の形が変わるほど殴られ、全身の骨を粉々にされ、頭を切り落とされた。
頭を切り落とされる。その事に小さな引っ掛かりのような物を感じた。なんだったか、何か覚えがある。切り落とされた、バラバラにされた。
「あ!」
思わずテーブルに勢いよく手を突いた。事件が起きる前、似たような場面を見たことがあったのだ。
「そうだ、猫。皆でこっそり世話してた猫が……」
思い出してしまって思わず口元を手で覆う。神社に野良の子猫が五匹と親猫がいた。猫は子供を産んだばかりで餌もなく衰弱していて、みんなで給食の残りを与えて世話をしていたのだ。どの家も猫を飼う事は許されなかったのでこっそりと。親猫は子猫に母乳を与えることができ、子猫もすくすくと育っていったのだ。子猫の目が開き始めた時は可愛い、とみんなで大はしゃぎしていた。親猫も皆には懐き始め撫でたり触ったり。
しかし、ある日。いつも猫がいる場所に来て悲鳴を上げた。猫がすべて無残な姿になっていたのだ。六匹すべて死んでいたのだが、その死に方が尋常ではなかった。切り裂かれ、頭が落とされ、内臓が出ているものもいた。琴音は大泣きし、拓真達もあまりの残酷な姿に泣いたり気分が悪くなって吐いてしまったり。それでも一番猫を可愛がっていた琴音にはこれ以上見せられないと、自分たちで埋めてくるからここで待ってて、とお墓を作ってくれたのだ。見た瞬間ショックで大泣きした琴音はあまり猫たちの詳細な姿を見ていない。内臓が出ているとか、切り裂かれているとかは後で聞いた話だ。血だらけでぐったりしている猫を見ただけだったのであまりトラウマになっていないが、確かにそんなことがあった。
「あの後どうなったっけ。結局犯人は見つからなかった」
猫が死んだことは勿論皆親に言った。しかし、誰も理解してくれなかった。むしろ野良猫に餌をやっていたことを怒られ、二度とそんなことをするなと叱られた。確か拓真と歩は家が厳しく、特にすごかったと聞いた。歩は頬を腫らして次の日来たのでびっくりしたのだ。どうしたの、と聞くとムスっとして怒られると同時に叩かれたと言っていた。その事にまた琴音が半泣きになり、歩はこんなの大したことないから大丈夫だと笑ってくれたのだ。歩の家は厳格な事で知られていた。