3 消えた骨壺
「笹木さんは抜鬼を信じてるの?」
「最初は信じちゃいなかった、今は半信半疑ってところだな。きっかけは二つ。一つ目はこの村の神社に抜鬼の腕が祀られていることを知ったから」
「抜鬼の腕があるんだ。知らなかった」
「ああ」
琴音が見ていた資料の一か所、付箋が貼られたところを指さした。そこには神社の写真と神社の歴史が書かれているが、抜鬼を祀っていることは一言も書かれていない。琴音は首を傾げる。
「何も書いてないだろう、抜鬼の事。俺も知ったのはたまたまだ、これは地元住民の一部の人間しか知らない事だったみたいだな、実際君も知らなかった。腕に関してはこれ以上のことはわからない。だが、もし本当にあるならDNAを調べればわかる。異形のものなのか、人間の腕なのか」
「人間の腕でしょ」
「間違いなくな。抜鬼が口減らしの口実として使われていたのなら、腕は確かにあるんだろう。そしてそれは抜鬼を正当化するための作られた証拠だ。昔であれば、腕を見せて抜鬼はいるんだと言えば済む。誰がそんな事したのかって言ったら、村の人間に決まってる。この神社は神主がいない、村の所有建造物なんだ」
「割と閉鎖された地域だから、そういうことをしても誰も咎めないしばれないって事か。腕の持ち主は口減らしされた子供って可能性もあるってわけね」
「察しがいいな、その通り。抜鬼にはこんな伝承もある。腕を切り落とされた抜鬼は自分の腕を探し、子供の腕だけを食っちまうってな。子供を食べる事に腕がない要素が足されて、そんな伝承に変化したんじゃないかと思ってる。昨日話した変死してる遺体は腕がないって言っただろう? だから村人は怯えているのさ、抜鬼の仕業だってな。そういうことをしている風習があったから後ろめたさがある連中が怯えてるっぽいな」
笹木は一口コーヒーを飲み、だけどな、と続けた。
「後ろめたい事があるだけで抜鬼を信じているっていうのも変な話じゃないか。抜鬼がいないのを前提にでっちあげているのなら死なせた子供に呪われてるとか祟られてるって思うはずだ。何で抜鬼があらわれたって思ったのか不思議だった。そう考えた時思い出した、拓真がオニワさんはいるって言ってた事を」
「拓真君が?」
「その反応だと、君らの中ではオニワさんはいるっていう認識だと思ってたんだが違ったか、拓真だけか」
ふむ、と笹木は頬杖をついてしばし沈黙する。テーブルに広げた資料を見つめる、というよりどこか宙を見つめているような様子だ。今の琴音の言葉を聞いて何か考え事をしているようだった。
「離婚調停中は拓真と滅多に連絡が取れなくてね。不仲からの離婚だから、元嫁が拓真に俺と連絡するなと言っていたそうだ。俺と拓真が仲悪いわけじゃないから拓真は友達の家から電話したり、手紙をくれてた。電話で話してる時言ってたんだ、オニワさんはいつもいるってな」
「拓真君そんな事言ってたかなあ?」
琴音にそんな記憶はない。オニワさんを見たことがないのはもちろんだが、拓真含め他の友達もオニワさんがいると話していた記憶はなかった。覚えているのは村の老人たちからオニワさんに気を付けろ、と言われた時またその話かと話半分しか聞いていなかったことくらいだ。
「いつも話してたわけじゃないから覚えてないのか、君らにも言わず俺にだけ言ったのか。ここはもっと詳しく調べる必要があるが、どうしたもんか」
「何が?」
「いや、なんとなく元嫁家族に吹き込まれたんじゃないかと思ってな。堅苦しくて父親の言う事が絶対っていう、時代劇かって言いたくなるような家でね。地主でまあまあ権威があるから、もしかしたらさっき言った風習とか深い関わりがあるのかもしれない」
やれやれ、と言いたそうな雰囲気に琴音もピンときた。あの土地の風習は琴音の方がよく分かっている。
「ああ、要するに調べようにも面倒くさいってことね。あの地域はそういうの手強いよ、マジで面倒」
「余所者は監視されるし一挙手一投足が光回線よりも早い速度で周囲に伝わるから、下手に調査に行けないんだよ。だから有力な手掛かりがまだ少ないんだが」
光回線より速い、の表現に琴音も苦笑だ。本当にその通りだった。友達と遊んでいる内容が周囲には筒抜けで、直接見られていないのに昨日はどこで何してたね、元気だねと声をかけられるのがしょっちゅうだった。子供の頃は気にならなかったが、今こうして考えると鬱陶しいし気持ち悪いと思う。あの村のコミュニティは助け合い精神というより監獄のようだ。
「拓真君の言うオニワさんがいるっていうのは具体的にどんな話だった?」
「オニワさんはいつも傍にいる、くらいだな。俺もなんて返事したか覚えてない。常に話題に入ってたわけじゃなく一回か二回くらいしか聞いたことがなかった気がする。その時はおにわ、って苗字の子がいるのかって思ったんだ。後から抜鬼の事を知って驚いた」
いつも傍に。思い出すのは夢だ、皆がバタバタと倒れていく中一人だけ残った影。そこまで考えてはっとした、自分の一番仲が良かった子は、今でも思い出せないその子は、もしかして。
「何か思い出したか」
「後でまとめて話す。で、オニワさんを否定しない二つ目の理由は」
その言葉にわずかに笹木の表情が冷たくなった気がした。今の発言に不機嫌になったのだろうか、と身構えたが笹木はスマホをいじると琴音に見せてくる。
そこには写真が映っていた。墓の写真と、墓の中が空になっている写真。
「これは?」
「拓真の墓だ、村にある。先月の彼岸に墓参りに行った時墓の様子が変わってることに気づいてね。墓石がずれてたり卒塔婆が雑に並んでたり。おかしいと思って調べたら骨壺がなくなってた」
「え」
「そもそもの話をしてなかったが、俺が事件の事を調べ始めたのは半年くらい前からだ。拓真が死んだときは悲しくて現実逃避して、ひたすら仕事をしていた。命日に墓参りしてたくらいだ。五年前、俺の研究が評価されて少しずつ生活に余裕がでてきたら事件を考えるようになった」
てっきり十年前から調べていたと思っていたが違ったようだ。息子を失った父親の悲しみは想像できない、親の立場ではない琴音には。生活に余裕ができて、とは言っているが金銭面ではなく精神的な事を言っているのだろう。
「普通に見れば殺人犯がいて犯人逮捕すれば終わりの事件だ。だが抜鬼の存在を知って少しずつ調べ始めた。抜鬼の仕業に見せかけた連続殺人って線もあるかと思ってな。そんな中で拓真の骨がない、しかも骨壺ごとだ。被害者の親が数人死んでるってわかったらさすがにただの殺人事件じゃないって疑いたくもなる、現実的じゃないが」
「骨壺がないっていうの、奥さんは?」
「もちろん確認したさ、知らないの一点張りだったがね。険悪な状態で離婚したからろくな話し合いもできちゃいないけどな。ただ」
笹木はコーヒーを手に持ち、砂糖やミルクを入れているわけでもないのにくるくるとコーヒーを混ぜる。その目にはコーヒーが映っているかのように光がない、深い闇の様なものが広がっているかのように見えた。その表情は冷たい。昨日から時折見せる笹木の無表情。
「普通は驚くだろ、何それどうなってるの、って。いくら俺の事が嫌いでも、はあ? っていう反応が普通だ。それを一言目から知らない、って言うのは……そうだな、君ならどう思う」
無表情のままじっと見つめられ、ドキリと緊張した。まるで授業でわからない問題があり、絶対さされたくない時に指名されてしまったようなそんな緊張感。今試されているのだろう、どんな答えを言うのか。
「骨壺がないのを知ってたってことでしょ。お墓の管理は奥さんだろうから」
「そう言う事だな。じゃあ何でそんな事したと思う」
「何で……確かに。一度納骨したら普通は取りださないと思うけど」
そこまで言ってちらりと笹木を見れば先ほどと変わらずじっと見ている。何を求めてこんな問答をしているのかわからないが、店で働いた経験で考えればこういう時男は自分の望んだ回答を待っている事が多い。不正解をさせて、俺はその回答を知ってるんだぞと自慢したい、話を盛り上げたい場合によく使っていた。だが笹木はそんなタイプではない気がする。心理学を学んでいたという経歴を考えれば、今琴音がどんな回答をするかによって琴音の本質や人間性を見極めようとしているのではないかと思った。今までの情報を整理して考えると、骨壺を取り出す具体的な理由になりそうな情報はない。
それは琴音が身をもって経験している。結婚したのなら笹木もわかっているのだろう、ふっと息を吐くと今の話を手帳にメモしていく。追加調査をするのだろう。