千羽鶴と勇者様③
「ミモザ、君との婚約を破棄させてもらう」
「――」
それは突然のことだった。
婚約者であるアスベル様から、婚約の破棄を言い渡されたのは……。
「すでに両当主の間で合意はとれている。君との関係はここまでだよ」
「そうですか……」
私はアスベル様に頭を下げる。
「ご期待に沿えず、申し訳ありませんでした。短い期間でしたが、私の婚約者になってくださりありがとうございます」
「……本気で言っているのか?」
「え?」
顔を上げる。
すると、アスベル様は酷い顔で私を見ていた。
まるで理解しがたいものに直面しているような……。
「アスベル様?」
「わかってるのかい? 婚約を破棄したんだよ?」
「はい。そうお聞きしました」
「……理解できないな。どうしてそんな風に、平然としていられる? 何も感じないのか?」
アスベル様の問いかけに、私は心の中で思う。
何も感じない、わけじゃない。
少し悲しくはあった。
婚約は疎か、前世では恋人だっていなかった。
そういう関係に憧れたりもある。
親同士が決めた婚約でも、自分にそういう相手ができたことは素直に嬉しかった。
ただ……いずれこうなることはわかっていた。
「私はアスベル様に相応しくありません。きっと、お姉様のような人のほうが相応しい」
「――! わかっているじゃないか」
アスベル様は笑みを浮かべる。
わかっているとも。
私と婚約してからずっと、彼は私ではなくお姉様に色目を使っていた。
最初から私との婚約も、お姉様に近づく口実だったのだろう。
お姉様は才能のある魔法使いで、容姿も美しく、貴族としての振る舞いも完璧だ。
そんな彼女に言い寄る男性は多い。
少しでもお姉様に近づくために、あらゆる手段を使う。
そのうちの一つとして、私が選ばれただけだ。
「君のことが嫌いなわけじゃない。ただ、より近くにいることで、彼女のすばらしさに気づいてしまったんだよ」
「そうですね。お姉様は素敵な女性だと思います」
「……本当に気味が悪いな」
「え?」
「どうして笑顔を見せる?」
アスベル様は気味悪がった。
婚約破棄をされながら、それでも笑顔を見せ続ける私に。
笑顔の理由?
そんなの簡単だ。
少しでも相手に不快な気分をさせないように。
辛いことがあっても落ち込むのではなく、常に前を向いていられるように。
「そういうところも苦手だった。君の前でユリアと話している姿を見せても、君は何も感じていないような……むしろ喜んでいるようにさえ見えた」
「それは……」
別に喜んでいたわけじゃない。
でも、幸せならそれでいいと思ったんだ。
人は誰しも、自分の幸せを追い求める。
アスベル様には彼の幸せがあって、お姉様といることが幸せなら、私はそれを祝福するだけだ。
「君はまるで、人のふりをする人形みたいだね」
「人形……」
「一体誰のために生きているんだか。一緒にいるとこっちまでおかしくなりそうだよ」
「……」
人形……か。
そんな風に言われたのは初めてだ。
けれど、誰のために生きているかなんて決まっている。
私が生まれ変わったのは、見知らぬ誰かを助け、支えるためだ。
そのために生きている。
この元気な身体は、そうあるべきだと言っている。
落ち込んだりしない。
後ろ向きになんてならない。
私は前を向き続ける。
これが正しいと、信じているから。
◇◇◇
「やっと終わった」
お姉様から命じられた仕事が終わったのは、定時を一時間ほど超えたあたりだった。
仕事は終わっても、研究が残っている。
お姉様が集めた資料や調査書をまとめる仕事だ。
「この量だと、今日中に終わるかな」
少し不安だけど、悩んでいても終わらない。
私はさっそく取り掛かる。
「あ、そういえば……」
結局戻ってはこなかった。
夕方には戻ると言っていたお姉様は、未だに姿を見せたい。
すでに夕日は沈んでいる。
「直接屋敷に戻られたのかな」
それならそれで構わない。
私とは違って、お姉様はいろんな人から頼られている。
お忙しい人だ。
お姉様には、お姉様にしかできない役割がある。
――私には?
「早く終わらせないと」
一瞬だけ浮かんだ不安を首を振って誤魔化し、作業を続けた。
それから三時間と少し。
ようやく終わったのは、日付が変わる前だった。
「思ったより早く終わった。ちょうどいいし、ここで書いちゃおう」
私はカバンから日記帳を取り出した。
三年前くらいから始めた日記も、すでに二冊目の後半に突入していた。
ここまで続くと見返すのも大変だ。
私は今日あったことを記す。
反省点と、明日やることを残して。
「よし」
日記を書き終わったら、もう一つの日課を始める。
取り出したのは折り紙だ。
私は日記を書いてから、折り紙を折ることが日課になっている。
折るのは鶴だ。
折り方は前世で教わった。
いつか私が、誰かの無事を祈れるように。
そんな日が来るように。
もちろん、ここは異世界。
ただの折り紙じゃない。
「完成。じゃあ、いってらっしゃい」
折ったばかりの鶴は、パタパタと羽ばたいて窓から飛んでいく。
これは私が新しく開発した付与魔法の使い方だ。
簡単に言うと、折り紙に意思を持たせることができる。
私の心、想いを付与魔法で折り紙に与え、意思を持った鶴はどこかへ飛んでいく。
どこへ行くかは、私にもわからない。
私が折り紙に込めた願いは、どこかで困り苦しむ誰かの元へ届きますように。
鶴にはもう一つ、記した文字の効果を与える、という付与を施してある。
困った時、辛い時、この鶴が助けになればいい。
かつて私を、顔も知らない人たちが支えてくれたように。
同じことができたらいいなと、始めたことだ。
「あ……」
そういえば、今のでちょうど千羽目だった。
千羽鶴。
人々が願いを込めた千羽の鶴。
私の願いは届いただろうか。
私の……。
「願い……か」
誰かの役に立ちたい。
そのために生きると決めて、今日まで頑張ってきた。
でも、時折思ってしまう。
今のままでいいのか。
私がやりたいことは……本当にこれなのか。
不安になる。
誰でもいいんだ。
誰か、答えを教えてほしい。
そう、願っていた。
「やっと見つけた」
「え?」
一羽の鶴が、戻ってきた。
窓が開いている。
吹き抜ける優しい風と共に、一人の青年が私と目を合わせる。
「あなたは……誰?」
「初めまして。優しい折り紙をくれた人。僕はファルス、王国から勇者の役割を与えられた人間だ」
「勇者……様?」