キツツキと樵①
旅をするのは初めてだった。
前世を含めても、同じ場所に長くいることがほとんどだったから。
今さら思う。
常に屋根があって、温かな布団があったことは恵まれていたと。
「もう遅いし、今夜はここで休憩にしよう」
「はい」
旅をしていれば、野宿をする機会もある。
王都を出発して二日目の夜。
老夫婦の村を出発した私たちは、森の中で夜を迎えて野宿をすることになった。
「枝を集めよう。火を起こさないと、それから調理も」
「料理なら私がやります」
「ありがとう。じゃあ僕は火を起こす準備をしておくよ」
「はい!」
簡単に役割分担をした。
ファルス様は小枝を集め、火を起こす。
その間に私は、食材を水で洗って、調理の準備をした。
食材は老夫婦からの差し入れだ。
村で取れた野菜や穀物を、少しだけ分けて貰えた。
いいことをすると、自分にもいいことになって帰ってくる。
ファルス様が言っていた通りだ。
火をおこし、鍋を置いて野菜を煮る。
簡単なスープ作りだ。
「助かるよ。僕は料理が苦手でね。いつもは仲間に任せていたんだ」
「そうだったんですね」
役に立てたのならよかった。
料理と呼ぶには簡単すぎて、もっと調理器具があればと思ったけど、野宿中に贅沢は言えない。
それでも次は、もう少し手の込んだ料理をしたい。
道具が揃っていなくてもできる料理を考えておこう。
夕食をとって眠る前に、私は一日の出来事を日記に記す。
ずっと続けている日課だ。
「日記をつけているんだね?」
「はい」
「どんなことを書いているんだい?」
「えっと、いろいろです」
ファルス様が日記に興味を示した。
内容を知りたそうだったけど、少し恥ずかしくて隠してしまった。
「無理に覗く気はないから安心して」
「い、いえ! 見てもらってもいいんですが……恥ずかしくて」
特別なことを書いているわけじゃない。
その日に何があったか、とか。
何を思ったのか。
明日は何をしよう?
これからの目標は決まったか。
そういう私の気持ちもハッキリと書いてあるから、心を見せるみたいで恥ずかしい。
「さっきも言ったけど、無理に覗く気はないよ。でも、興味はある。君がこれまで何を想い、何を感じていたのか」
「……」
恥ずかしい……けど。
そんな風に期待されると、見せてもいいかな?
なんて、思ってしまう自分がいて。
「ど、どうぞ」
「ありがとう。じゃあ見させてもらうね」
ファルス様に日記帳を手渡した。
彼はページをめくり、私が書いた日記を見つめる。
やっぱり恥ずかしい。
少しでも恥ずかしさを誤魔化すために、日課の鶴を折り始める。
「……君らしいね」
「え? 私らしい……ですか」
「うん。やっぱり君は、僕の思った通りの人だった」
そう言って、彼は日記帳を閉じた。
短い時間だった。
たぶん数日分の内容しか見ていないけど、彼には何かが伝わったらしい。
噛みしめるような横顔で頷き、日記帳を私に返す。
「ありがとう」
「どう、いたしまして?」
私は日記帳をしまい、折り紙作りを続ける。
それを隣で彼が見つめる。
「鶴を折っているんだね」
「はい。日課なので」
「あれからも続けているんだ? 今は千と二羽目かな?」
「はい。そうですけど、私にとってはこれで二羽目だと思っています」
「どうして?」
「千羽鶴はもう完成したからです」
千羽鶴はその名の通り、千羽の鶴が一つに集まったものだ。
多くの人の願い、想いの集合体。
かつて私を支えてくれた宝物を、私はこの世界で作り上げた。
自分一人の手で、数年をかけて。
そして千羽目を最後に、私は勇者パーティーの一員となった。
「私も勇者パーティーの一員になったので、心機一転といいますか。また一から頑張ろうという意味を込めて、二羽目です」
「なるほど。それも君らしいね」
「私らしい……ですか。どんなところが、私らしいんですか?」
気になったから自然に、今なら聞けそうだと口にした。
私らしさとは何だろう。
ファルス様は感じてくれているみたいだけど、私自身にはわからない。
耳を傾ける。
ぱちぱちと、炎が燃える音がする。
「真面目で、誠実で、いつだって誰かの幸せのことばかり考えていることだよ」
彼は燃える焚火を見つめながらそう言ってくれた。
内容的に、褒められている?
それにしては、少しだけ寂しそうな横顔が印象的で……。
「旅にはいろんな出会いがあって、別れもある。多くを経験すれば、人としても成長する。君にもきっと、いい経験になるはずだ」
「――? はい」
表情の理由はよくわからなかった。
けれど、彼の言葉は不思議と心に響く。
この旅路で、私は人として成長していけるだろうか。
◇◇◇
ミモザがいなくなった宮廷では、ユリアが新魔導具の開発に勤しんでいた。
山積みになった書類は、研究資料だけじゃない。
普段の仕事で処理する書類も混ざっている。
「あーもう!」
彼女は苛立っていた。
普段は雑務のほとんどをミモザに任せていたから、自分でやることがなかった。
ミモザが働いている間、彼女は遊んでいた。
当の本人に遊んでいたという自覚はないが、仕事時間にお茶会をしたり、男と楽しく話したり……紛れもなくサボっている。
これまで誰も注意することがなかったのは、仕事が滞らなかったから。
しかし今、徐々に変化が現れた。
「こんな雑務をどうして私が……ミモザ! この資料――!」
声をかけても、返事はない。
当然だ。
彼女はもう、この宮廷にはいないのだから。
「……っ」
苛立ちは増す。
自分が大変な想いをしている中、彼女は今頃勇者と仲良くやっている。
そう思うとさらに腹が立って、仕事が雑になる。
ミスをして、その修正に時間をとられる。
「これじゃ……研究なんてしてる暇ないじゃない」
言葉通り、なかった。
通常業務だけでも忙しく、仕事時間に研究をすることなど不可能である。
やりたければ職務外に、自主的にやるしかない。
他の魔法使いたちもそうしている。
だが、彼女はそれが許せない。
自分の時間を削ってまで、働く意味が理解できなかった。
「これで終わり。もう時間もないわね。今日はここまでに……」
毎日の仕事を終わらせるだけで疲れ果て、研究する体力もない。
そうやってずるずると日が過ぎて行く。
このままでは何も変わらない。
どころか、研究時間がなければ新しい成果も発表できない。
これまで彼女が研究に没頭できたのは、それ以外の雑務や仕事をミモザに押し付けていたから。
それが出来なくなった今、彼女の負担は増していた。
否、戻ったのである。
本来これが、彼女に与えられた時間なのだから。
「明日こそ……」
そう思って一日を終える。
明日が来ても、何も変わらない。
彼女はまだ気づいていない。
ミモザが去ったことによる大きな影響に。