78 これは純然たる悪夢
15歳のあの日。自身が悪魔だった事、ハノイヴァの魔神だった事を思い出した殿下は、力の全開放を二十歳に設定した事をも当然のように思い出し、後悔したという。
「理由はお前だ、ライラ」
死を擬態する前に私と結婚して、子供の2~3人も生ませてぶっとい縁を繋げておく為にも四十代か、せめて三十代くらいまでは人間でいたかったと。
「こ、子供!」
うっかり想像してしまって私は真っ赤になって両頬を隠す。
だけど殿下は顔色も変えずに私を見下ろしてくる。
「え、ここ、もう少し照れながら仰るべき場面では?」
「ケッ」
殿下は失笑する。
「俺をいくつだと思ってんだ、小娘が」
「うう…」
そりゃあ殿下の実年齢を思えば、照れながら言われても逆に困る感がないでもないけど。でもさぁ、ムードもへったくれもない。
殿下はハァーと長い吐息を漏らす。
「……俺はな。お前と過ごした幽霊狩りの3年間、考えていた事がある」
「な、なんでしょうか」
「こいつはなんでこんなに俺に殺意を向けてくんのかなってな」
「あ、その頃から気付いてましたか?」
なんてこった。
「理解不能すぎて興味津々だったよ。俺に惚れてるように見えるのに謎の殺意まで向けてきやがんのはなんなんだって。まぁ今思えばお前は欲望の発露の仕方が特殊だっただけなんだが」
「欲望の発露が特殊…」
「悪魔である記憶を取り戻した時、封じていた神力がずいぶんと戻ってきたんだが、その時、お前の殺意の意味を知ったよ。殺意の裏側にある俺への超絶ウルトラ吃驚独占欲にな。その時、俺は気付いたんだよ」
「何をですか」
「お前の殺意は最高に心地良いって事をだ」
「へ、変タ…」
手の平でいきなり口を封じられる。
「言わせねぇよ」
「モガモガ」
「お前の俺への独占欲はヤヴァイ。この俺とお前の格の違いを考えろよな。アリンコみたいな存在のくせに高嶺の花、いや高嶺の月ともいえるこの俺が自分のものにならないときたら先ず殺す事を考える。お前何様なんだよってゾクゾクしたし」
「ヘンタイだー」
あ、言えた。
「それでもな。俺が悪魔だと知ったら―――リグナスなんか鼻息で飛ばせるレベルの悪魔だと知ったら、さすがのお前でも怖じ気づいてしまうじゃねぇかって。お前の心地良い殺意が目減りしたり、身の程を知って俺への独占欲を畏れに変換して縮こまっちまうんじゃねぇかって、俺なりに怯えてはいたんだぜ? この俺が、だ」
「減りました?」
「減ってねぇな」
「おかしいですね。殿下のお父さんがリグナスって知った瞬間、正直うわってドン引きしたんですが」
「一瞬だろ? そのくらいなら誤差の範囲内にしといてやる」
そう言って殿下は私の唇をいつもの調子でむにゅうと引っ張ったんだけど、でもお顔は真顔のままだった。
あの日、私がハノイヴァの記憶を失いたくないと言った時、殿下は私の耳朶に神紋を刻むのと同時に、封印開放の時期を遅らせる事を決意したという。
リグナスに連絡を入れずにすっとぼけていたのは、
「成功率が低かったから」
だそうだ。
「…それにな。俺が最初に独身宣言を表明したのは実母が逃げた直後くらいの時なわけだが―――リグナスも嗤ったんだよ」
大失笑だったと遠い目をする。
ああ、なるほど。
私を嫁にする為に頑張ってる事を話した場合、
それは事実上の独身宣言の撤回となるし、
いろいろな意味で知られたくなかったと言う事か。
冷静に考えるとかなり赤面ものな事を仰ってるのに、
なんというか、殿下の顔色は相変わらず一切変わらない。
そういう体質なのかもなーとは思うものの、
ズルいなって思ったわ。
だって聞かされてる私はもう全身真っ赤な件。
だけど、
「残念ながら封印開放の先延ばしは失敗に終わった」
そう言われて、私も全身の火照りが冷める。
今の殿下が着ている人間の皮はもうほとんどヨレヨレのぼろぼろで、かなりの人間モドキ状態らしいんだけど、それでも完全体の悪魔だった頃に施した封印を書き換える事は出来る筈もなかったご様子。
「封印に手を加えようとする度、人間の皮が綻んでいく。封印を先延ばしにするどころか、このままじゃ前倒しになると判断せざるを得なかった」
だからやっぱり殿下は二十歳で死を擬態せざるを得ないんだって。
ベルザ様の600年後の記憶によると、ギーズゴオルという皇子殿下は子孫も残さず、目立った功績も記録されずに終わった方になる筈で。それを思えば、やはり殿下が二十歳で死を擬態するのは確定事項なのだろう。辻褄が合いすぎてて辛い。
しかも殿下はやっぱり私を迎えに来るのは天寿を全うした時だと仰る。
一緒に連れて逝ってしまったら私の家族が悲しむからと。
以来、私は日夜考えた。
殿下が死を擬態する時、どうにか一緒に私も連れて行って下さる方法を。
だけど殿下は最早諦めきってて、
私が大往生した頃に迎えに来る気満々で。
私が早死にすれば―――と思ったけれど、殿下はそんな事態にさせる気はないご様子で、誘拐事件の時に何重にも貼り巡らせてくれた防御壁は未だ解かれていない。
この防御壁は身体に悪いもの全てを弾くんだって。
このままだと私、ものすごく健康なまま長寿を満喫しちゃいそうなんだけど? その分、殿下に再会出来る日も遠くなっちゃうんだけど!
だけど結局なんにも良案は浮かばないまま。
殿下は二十歳の誕生日の前日まで粘って傍にいてくれたけど、
結局予定通りに死を擬態して、
私を置き去りにしてこの世を捨てた。
世間がだんだんと殿下のことを想い出にしていく中、私だけしっかりくっきり覚えているのは辛かったけど、やがて馴れた。馴れたくないけど馴れざるを得なかった。親友のベルザ様と過ごす内に哀しみも薄れたしね。
嫁ぎもせずに家に居坐る私はサーレンシス家では言ってみれば厄介者なんだけど、イライゼルお兄様に嫁いで義姉になった方はお心が広くて、小姑の私とも仲良くしてくださったし、甥姪も懐いてくれたしで、案外気楽な人生だった。
そうして何十年も経った頃。
両親はすでに亡く、お兄様も亡く、義姉も亡く、コーデリア様もベルザ様もミルクレア様もすでに亡く、御代はレジレンス殿下の曾孫さまが継いでいるって頃、私はようやく死の床に就いた。
ふと瞳を巡らすと―――私を囲んで泣いている親族達の、
その背後にいるわけよ。
怜悧な刃物のような美貌―――瞼に記憶していたギーズゴオル殿下が、
そして豪華な金髪のリグナスが立っていて、私を見下ろしているわけ。
「ひさしぶりだねぇ、ライラちゃん」
リグナスが言う。
そして殿下は私の手を取る。
シワシワの私の手を。
そのまま殿下に引っ張り上げられたら、
なんだかふわりと私は私の身体からするりと抜けた。
その瞬間、取られていた私の手が若い頃のように艶々になって。
どうやら私の肉体は事切れたようで、
親族がワッと泣き出す。
その光景を尻目に、
「殿下、ギーズゴオル殿下」
私は懐かしい殿下の名を呼ぶ。
「殿下か。懐かしいなその呼び名」
「私にとっては殿下ですし。これは最早愛称ですね」
するとリグナスが笑う。
「いいんじゃないのー? メリアザンも僕の事ずーと王子って呼んでるし」
そして、
「なんか想い出すねぇ、三人で幽霊狩りした日々をさぁ」
しみじみと言う。
そうね、本当にそうだわ…。
―――という夢を見て、私はベッドから飛び起きたわよ。
なんて夢なのよ、悪夢でしかない。一見幸せっぽいのが質悪いってか、ナイわ、コレ。ゾッとしちゃった。
殿下不在の何十年かを耐えきった後なら「思ったより短かったわぁ」で済むだろうけど、それただの錯覚だから! 脳内麻薬出てるから! いい話風にまとめてんじゃないわよってイラッとしたわ。
ひょっとして殿下が私に諦めさせようとしてこんな夢を見せたんじゃあ… とちょっと思ったけど、だったら完全に逆効果だわ。まぁでも殿下は相変わらず夢の操作は苦手らしいし、野菜の夢で大失敗した後、少なくとも人間でいる間は夢関連には手を出さないと仰ってたもんね。
て事はつい今し方見た夢は純然たる悪夢。
悪夢というのも手ぬるい、恐怖の夢―――。
私はごくりと喉を鳴らす。
殿下は最近18歳になったから、殿下の二十歳の誕生日まではあと二年切っている。
残り二年弱の間に殿下のクッソろくでもない【ライラが天寿を全うしてから迎えに来る】計画を阻止しなくてはならない。
だけど恐怖の夢を見た日から数日経過後も相変わらずこれといった良い案も浮かばない。今日も今日とて就寝時間を迎え、私はいつものようにベッドに入り込み、うーんうーんと悩んでた。
そうしたら、
「ライラちゃん、聞いてよー」
リグナスがふいに私の部屋に飛び込んできた。
何かと思ったら殿下についての愚痴だった。




