76 特に悪魔大戦的なものは始まらない
ベルザ様はしばらく無言でいらしたけれど、お顔の火照りが冷めた頃、ようやくまた語り出す。
「ライラ様の事は大事よ。エリシャ・サウザート様と婚約なんかしたら、3番手の説―――エリシャ様に片恋の令嬢に毒殺される可能性を考えて怯えたくらいに大切よ。
でもね。愚者の襲撃事件でギーズゴオル殿下に助けて頂いたあの日から、殿下への想いとライラ様への想いに葛藤していたのも事実なのよ。
それでも私は自分の失恋を潔く受け入れられると思っていたの。殿下のお相手がライラ様ならって」
ベルザ様は溜息を漏らす。
「だけどライラ様は殿下にふられたと仰るんだもの」
そうしてふふっと笑う。
「殿下が独身主義なら私も独身でいようと思ったわ。ライラ様が婚活するなら―――少なくとも、殿下への想いは私の方がライラ様よりも純粋なのかもってちょっと自惚れてみたり」
夢見るような表情で。
「恋って不思議ね。前世の私はギーズゴオル殿下には全く興味がなかったの。ギーズゴオル殿下は皇族の家系図にお名前が残っているだけの地味な存在で、没年すら不詳とされてるの。ご結婚相手やご子孫がいない事から早世された方だろうとは言われてたけど、取り沙汰されるのはその程度よ。
でもいざこの時代に転生してみたら、地味どころかずいぶんと派手な方で吃驚しちゃったわ。しかも殿下は独身主義だと仰るじゃないの。
単に独身主義でご子孫がいなかっただけの事を後の人達は早世だなんて決めつけちゃうのねって、ちょっと面白かったわね。
殿下が神力をお持ちな事も、愚者の襲撃事件で活躍なさった事すらも伝わってないの。あの美しい姿すら。殿下の肖像画は後世に伝わらなかったから」
そう仰ってから―――ベルザ様はふいに真顔になる。
「独身主義の筈なのに殿下はミルクレア様とご婚約。なんでミルクレア様なのよ」
ベルザ様は傍に落ちていた小石を拾って投げる。
その小石はころころ転がってグレンダーさんの足元まで落ちる。
グレンダーさんは相変わらずじいっとベルザ様を見つめている。
「ミルクレア様、宰相であるお父上の力をお使いになったのかしら。独身主義の殿下と無理矢理婚約するなんて、自分さえ良ければいいのかしら。殿下のお気持ちは二の次なのかしらって。私、ものすごく憎くなってしまったの」
だから攫おうとしたのだと。
それからベルザ様はゆっくりと立ち上がる。
「私がライラ様に出来るお話はこれでお終い」
そう言って私を見下ろす。
酷く沈痛な顔なんだけど、
何かを思いきったかのような、
ものすごく不穏なご様子で。
何か会話を続けないとって私の中の危険信号が訴えかけてくる。
「で、殿下とミルクレア様の婚約は破棄されますよ?」
そう言うとベルザ様は瞠目する。
「そうなの?」
「そうなんです」
「それは良かったわ。―――だけど」
だけど?
「ライラ様は運が悪いわよね」
「運、ですか?」
「なんでミルクレア様と間違って攫われてきてしまったの。殺したくないけど殺さざるを得ない状況よ、これ」
あ、やっぱり殺す気なんだ。
しかも理由は恋敵だからじゃなくて、
怪人にゃんこ仮面の正体を暴いちゃったからかぁ、
しまった、すっとぼけてたら良かったわ。
でもそうしてたらきっとベルザ様の告白は聞けなかったわけで。
そんな事を考えていたら、
[おーい、ライラ。気をつけろ?]
殿下が耳朶通信を使ってくる。
見上げるとベルザ様がいつの間にかナイフを握っていた件。
私は慌てて立ち上がろうとしたけど、
鋭い刃先を見てうっかり腰が抜けて、ただ後退る。
恐怖にかられながらもベルザ様のお顔を見上げ、
宥めるように雑談を振る。
「…ベ、ベルザ様、私この間、死にかけたじゃないですか」
「え? ええ。本当に助かって良かったわ」
良かったって言ってくれてるけど、
でもナイフを棄てる気配なし~。
「じ、実は短時間ですが冥府に行ってました」
「冥府?」
瞠目するベルザ様。
ベルザ様ってこういう話、
好きそうだと思っていたけど案の定ね。
「天国とか地獄とかって実在するのかしらね」
「天国はわからないですが、地獄はありましたよ」
ベルザ様の目がキラキラし始める。
「私、前世は覚えているのに冥府の記憶がないって不思議よね」
「そういえばそうですね」
ベルザ様は楽しそうに笑う。
だけど、笑いながら改めてナイフを振りかざす。
自分でも何をやっているのかわからないといったお顔で、
「お願い、避けて」と言いながら。
「お願い避けないで」と言いながら。
友情と殺意が鬩ぎ合ってる。
そんな気がする。
するとグレンダーさんはまたゆっくりと近付いてきて、ベルザ様の首に両手を回してぶら下がる。ベルザ様は幽霊の姿は見えていないから意味は無さそうだけど、少しは影響があるのか、時々ベルザ様は息苦しそうに首元を気にする。
グレンダーさんの目的はエナゴーテイク公爵家の没落なのよね? だったらベルザ様が悪事を働く事を期待しているんだろうか。
だけど私の身柄はさっき殿下が何重にも防御壁で包んでくれたし、殿下も涼しい顔してこちらを見守ってるし、大丈夫だとは思うけど。それでもやっぱり怖いものは怖いわよ。
そう思っている間にとうとうベルザ様のナイフが振り下ろされる。
「キャッ」
思わず叫んだけど、でも予想していたような痛みは特になかったわ。
ずっと姿を消していたギーズゴオル殿下が姿を現し、ベルザ様の前に立ち塞がってくれたから。
ベルザ様のナイフは殿下の左の上腕辺りを深々と刺したけど、殿下は眉ひとつ動かさずにベルザ様を見下ろしている。
突然現われた殿下を見上げて固まっているベルザ様。
殿下はベルザ様の細い両手首をまとめて片手で握り、拈り上げる。
ベルザ様はその場にヘナヘナとしゃがみこむ。
そうしてそのまま昏倒してしまわれた。
「あいつとそいつと… あとそこの男が魔術師だな。まぁ移動魔術が出来るヤツでもいねぇと樹海のど真ん中には来れねぇから当然か。しっかし魔術師ってツラじゃあねぇよなぁ」
ベルザ様の連れてきていたゴロツキ風の男達はいつの間にか拘束されて眠らされていたようで、殿下がうち伏せている彼らを足で転がして検分しながら何やら呟いている。
殿下はずっと私の傍らにいた筈だから、さてはリグナスが―――と思って周囲を見回していたら、殿下がすいっと頭上を指さす。
それで私は空を見上げて―――ギョッとした。
背の高い木々の遥か上空にはリグナスがいて、赤黒い靄で象られた羽根を思うさまのびのびと広げているんだけど、そのリグナスの羽根の下に集うように無数の何かが"居る"わけよ。
それは禍々しい気配を発する悪魔の群れ。
それらが雲霞の如く、空一面を覆い尽くすように。
もう夕方も過ぎてて辺りが暗くなっているとはいえ、何で今まで気付かなかったのかなって思う程の沢山の悪魔達の群れ。
まぁ正直、空を見上げてる場合じゃなかったから仕方ない。
「殿下、空がなにやらものものしいですが… ひょっとしてこれから悪魔大戦的なものが始まる感じなんですか?」
私が恐る恐る訊くと、
「そんなモン始まるか、あれは俺の配下だ」
殿下曰く、ギーズゴオルと愉快な手下ども―――だそうだ。
彼らは特に駆り出されて集まったというわけではなく、悪魔ギーズゴオルのオーラを感知した者達が勝手に見学に来ているだけなんだって。殿下の被っている人間の皮はすでに盛大に綻びているから。
よくよく見ると配下だという悪魔達の何割かは恭しく礼の姿勢を取っている。だけど、殿下はその敬意を当然とばかりに受け流している。
そして私を見て仰る。
「で、どうする?」
「どうする、とは」
「ベルザ嬢の処遇だよ」
「処遇」
「ライラはどうしたい?」
私の思考が停止する。
「このままだとベルザ嬢はミルクレア嬢の誘拐未遂、ライラ・サーレンシスの殺人未遂、皇族暴行罪で逮捕されて即入牢だ。これだけの事をしでかしたらエナゴーテイク公爵家が娘をたとえ離縁しなくてもまぁ普通に公開絞首刑だろうよ」
公開絞首刑?
ベルザ様が?
私はベルザ様を見る。
するとグレンダーさんが意識のないベルザ様の頭を抱えるように抱いていて、何故だか優しく撫でていた。




