01 前世の記憶でも先祖の記憶でもなくて
皇宮の庭園らしき場所。
良い陽気の昼下がり。
長くてサラサラした黒髪の男が唐突に叫ぶ。
「やっべぇ、ライラがお茶に毒を盛ったぞ!」
テーブルに着いていた人々がザザッと席を立つ。
私はポカンとして呆然としてる。
私はライラ。
ライラ・サーレンシス。
サーレンシス侯爵の娘。
ティーポットを手に持っていて、ついさっきお茶会参加者のティーカップにお茶を注いだ所だった。そのカップからお茶を飲んだ女性―――薄桃髪のア○○○ィ様が突然突っ伏した直後だった。
黒髪男はなおも叫ぶ。
「ライラがア○○○ィのカップに毒入りのお茶を注ぎやがった!」
キャーと泣き叫ぶ少女達。
「わ、私は何もやってない! ア○○○ィ様がお茶を注いでって言うから、ポットから注いであげただけよ!」
そう叫ぶけど、誰もが私に恐怖の眼差しを向けている。
薄桃髪のア○○○ィ様はテーブルに突っ伏して全身を痙攣させて苦しげに呻いた挙げ句、椅子から落ちてゴロリと仰向けに床に転がる。
エメラルド色の瞳を歪ませ、口や鼻から血を垂らして。
プラチナブロンドの青年がそんなア○○○ィ様に取りすがって身体を揺らして必死に名前を呼び続ける。
その様子をただ呆然と見つめていると、黒髪男が私の腕を乱暴に掴んでひねり上げ、背中に廻して拘束する。傍に控えていた皇宮の使用人達が警備兵を呼び、私はあっと言う間に皇宮地下の牢獄に押し込められ、宣告される。
「ライラ・サーレンシス。いや、ライラ。
サーレンシス侯爵家はお前を離縁すると宣言した。
故にお前はもはや侯爵令嬢ではない。
貴族でない以上、庶民と同じく公開による絞首刑とする」
黒髪男がそう高らかに宣言する。
なんでこんなに急展開なのよ。
「そんなの、酷い」
私はそう叫んだけれど、鉄格子の向こうから棒で兵士に突かれ、尻餅をつく。
黒髪男は偉そうに私を見下ろす。
「酷ぇのはどっちだ。お前がア○○○ィに嫉妬していた事は知ってんだぞ?」
「嫉妬なんかしてない!」
私はポットからお茶を注いだだけなのに。なんで何の取り調べも裁判すらも受けられず、一方的に投獄されなくちゃいけないんだろう。
そう思ったけど口が回らず、なかなか言葉が出てこない。
「オイ、処刑は明日だ。お前は広場で大勢に野次られながら吊るされる。今夜は最後の夜だ。震えて眠ってな」
そう告げられる。
なんでだか私はバカみたいに「やってない」と、そう繰り返す。
ただひたすらに鬱陶しく泣きわめいて、
ふと気がつくと牢獄には誰もいなくて、
私一人が鉄格子の内側の冷たい石の床に取り残されて。
だけどどこかから声が聞こえる。
「ライラお嬢さま!」
「私は何もしていない!」
そう叫ぶ。
「お嬢さま!」
聞き慣れた声。
「お嬢さま!」
三度呼ばれて私はガバッと飛び起きた。
「お嬢さま」
聞き慣れた乳母の声。
「ユーフェ、またあの夢を見たの」
私は汗をびっしょりかいて、肩で息をしていた。
ユーフェは私の背中を優しく撫でる。
私が生まれてすぐに乳母になって、以来ずっと世話をしてくれているユーフェ。ユーフェは心配そうに眉を寄せる。
3歳頃から私は年に2~3回だけど、同じ夢を見ている。
毒殺犯として糾弾され、牢獄送りになる悪夢。
悪夢の中の私は今よりずっと年上で、
他のお茶会の参加者達も皆似たような年頃で。
「今日こそお父様に相談してみるわ」
そう言い、夕食時の家族が揃った時、私は思いきって相談した。
「それは前世の記憶か、あるいは先祖の記憶か」
私の悪夢の内容を聞いたお父様は少し困り顔でそう言う。すると、お母様は「八つの子供になんて話をする気なの」と言ってお父様を窘める。そのせいでお父様を口を噤んでしまわれた。
前世とか先祖とか、当時の私はよく理解出来なかったし、結局そのまま曖昧に誤魔化されてしまったけど。そのすぐ後、五つ年上のイライゼルお兄様が教えてくれた。
「前世ってのはお前がこの家でライラとして生まれる前の別人だった頃の人生の事。先祖の記憶ってのは150年くらい前のうちのご先祖の"やらかし"の事だよ」
「ご先祖様?」
「ああ」
150年前のサーレンシス家のご先祖は毒殺事件の関係者になった事があるんだという。加害者側ではなく、一応は被害者側としてだそうだけど。
「そのご先祖の毒殺事件の犯人は"ライラ"なの?」
そう訊くと、
「違うよ。そんな訳ありの名前を娘に名付ける筈ないだろう?」
そう言うのでちょっと安心した。
ご先祖の事件は私の悪夢とは無関係って事なのかしら。
じゃあ前世?
私は前世でもライラって名前だったのかしら。
名前といえば。
悪夢の中で私に毒殺された薄桃髪の女性の名前は―――ア○○○ィ。
"ア"と"ィ"しかわからない名前。
夢の中であるせいか、いまいち正確に聞き取れないんだけど。
「3歳から見る夢、か」
お兄様は顎に人指し指を当て、瞳を巡らす。ずっと寄り添ってくれていたユーフェが私の髪を撫でてくれる。
「その頃だよな。お前の乳母―――ユーフェが死んだのは」
ユーフェはお兄様の言葉など聞えていないように私の髪を撫で続ける。
そう、ユーフェってもう亡くなっているのよね。ユーフェは私が3歳の時に事故死したのだけど、乳飲み子から育てた私の事がよほど気がかりだったのか、成仏せずに今もずっと私の傍にいる。
「ユーフェが死んだ事で情緒不安定にでもなったのかなあ」
お兄様はなんだかぶつぶつ言いながらも色々と原因について考えて下さるんだけど、今の所、解決には到らない。
そうして四年が過ぎ、私が12歳になった頃。
私は悪夢の中の登場人物―――と思える人物に会ってしまったの。
その人物を見た瞬間、雷に打たれたような衝撃を感じたわ。
アラクネイティズ公爵夫妻が私と同い年のご子息を連れ、我がサーレンシスの城にやってきたのは年が改まってすぐの事。そのご子息が悪夢の中で私を糾弾した黒髪男そのものだったのよ。
そりゃあ少しは違いがあった。
悪夢の中では私含めて全員が大人びていたけど、今はまだお互いに12歳の子供だから背も低いし顔立ちも幼い。悪夢の中の黒髪男はサラサラの長髪を無造作に背中に流していたけど、公爵夫妻のご子息はひっつめ髪気味のポニーテールにしてるし。
だけど雰囲気がそのまま。
勿論、他人のそら似の可能性を一応疑ったけどさ。
でも、初対面の挨拶が。
「お前がライラか? まぁまぁなツラしてんじゃねぇか。俺ら、同い年だってよ、よろしくな」
コレだった件。
「俺はギーズゴオル・レーダーゼノン。よろしくな」
"レーダーゼノン"。
皇族しか名乗れない姓。
アラクネイティズ公爵殿下は前皇帝陛下の第二皇子で、現皇帝陛下の皇弟で、そのご子息の彼も勿論皇族で、皇子で、殿下で。なのにこの粗野な口調ってなんなのよ。悪夢の中の黒髪男そのものじゃん。
あの乱暴な黒髪男が皇族だなんて、まさか思いも寄らなかった。使用人の割には侯爵令嬢の私を呼び捨てだったし、なんでかなって一応不思議には思ってたし、非現実的だし、だからこそ所詮はただの夢に過ぎないって気もしてたのにさぁ。
公爵ご夫妻、一体どういうご教育を…とちょっと思ったけど、たかが貴族令嬢の分際で皇族相手にそんな事を言える筈もない。
私はにっこり笑い、
「初めまして、皇子殿下。どうぞ仲良くしてくださいませ」
そう挨拶をする他ない。
そして失礼のない範囲内で殿下を見つめる。
悪夢の中で何度も見てきたお顔の筈だけど、現実の解像度には叶わない。改めてつくづくと、こんなお顔だったんだなぁと噛み締める。
不覚にも好みのタイプだった。
怜悧な短刀を擬人化したらこんな風になるかなって感じの冴え冴えとした美貌。長い睫、切れ長の目尻、形の良い鼻梁と唇、細い顎。後頭部で束ねきれなかったらしき前髪の一部がバラけ、金色の瞳やフェイスラインを通り過ぎて肩まで垂れているんだけど、それが何やら12歳児らしからぬ艶を放っている気すらして。
なーんて思ってたら殿下が近付いてきて、
私の両目の目尻に指を当ててぐいっと下げた。
そして、
「お前、その白銀髪と紫の瞳はなかなかいい線イってるが、目つきがちょっときつくねぇ? 吊り目って程じゃあねぇが。俺はもう少し垂れ目の方が好みなんだが」
なんて言うから愕然としたわ。
私の両親もギョッとしてたけど、勿論公爵ご夫妻も同様だった。
「こら、ギーズゴオル。令嬢に失礼だろう!」
「ごめんなさいね、ライラ嬢。ギーズったら照れちゃって、オホホホ」
公爵ご夫妻が慌ててフォローして下さる。
我が両親も困り顔。
当の私も、
「殿下、勘弁して下さいまし、うふふ」
とか言って全力でやり過ごしたけどさ。
けど、笑ってる場合じゃない件。
(あの悪夢って。前世の記憶でもなく先祖の記憶でもなく、ひょっとして―――)
未来の記憶―――予知夢だったりする?
過去に起こった出来事ではなく、これから起こる出来事なの?
私の顔面は紙のように真っ白になったわ。