番外編 侍従の恋 五
それぞれの思い
橘侍従らが七条の下町の家を訪れた次の日、侍従からその家に住む女陰陽師と弟子の男を参考人として連れて来るようにと命じられた検非違使達が向かったところ、人も物も何も無く、がらんとした家の中に呆然として何の成果も無く帰るしかなかった。
その報告を聞いた光資は手掛かりを失い唇を噛んだ。
「葵がいなくなった。」
母からその知らせが俺の所に届いたのは、昼前検非違使達が七条の家から奴らに逃げられたと帰ってきたその日の夕方遅くだった。
母の話によると、葵は朝、何か蔵の方でゴソゴソしていたようだが、いつの間にか姿が見えなくなっていたらしい。
特に何処かに出かけるとも聞いてなかったし、夕方近くになっても帰って来ず、さすがに心配になり家の者達を外へ探しに行かせたが見つけることができず困って俺と叔父に知らせたらしい。
(まさか葵は一人で瑞谷寺跡へ行ったのか。
そこで何かあったのか…。)
俺は居ても立っても居られないような焦燥感にかられて今すぐ探しに行こうとしたが、叔父に引き止められる。
「焦るな光資。私も今すぐ葵を探しに行きたいが、こんな時間から闇雲に飛び出しても危険なだけだ。」
冬の日暮は早く、もう外は真っ暗である。
「とにかく私は衛門府で情報を集め検非違使達と待機する事にする。」
と、叔父が去り、俺もまんじりともせず夜明けを待ちかね先ずあの女が指示した瑞谷寺跡へと馬を走らせた。
瑞谷寺跡は都の北東の北へ向かう街道筋の少し山に入った所にある。
この道は大陸からの船も入港する大きな津のある街を通り北国へと続いている。
目指す瑞谷寺跡へ着いた俺は、崩れた土塀を通り、四十年前火災により堂が消失し、今は苔むした石塔が残っているだけの境内へと踏み入った。
あの陰陽師が言っていた宝篋印塔はすぐに見つかった。
その前の白い霜が降りた枯草の地面には、真新しく掘り返した土が見え、葵がここに来たことは間違いなさそうだ。
でも白い袋も葵の姿も見当たらなかった。
俺は周辺を探し回ったが、何の手掛かりも無く、苦く、逸る思いを抱えて一旦宮中に戻った。
叔父達も探していたが消息は掴めず苛立っていた。
その時、俺はふと思った。
(そうだ、葵に描いてもらった奴らの絵姿を使おう。)
そして葵が描いた絵を至急絵師達に描き写させ、検非違使達に都中の市や辻々の目立つ所に貼らせ、目撃情報を集める事にした。
肩を怒らせイライラと落ち着かなくて淑景舎の廊を行ったり来たり歩く様を、偶々伽羅殿と共にこちらに来ていたかるらに
「まるで手負の大型の獣のようですね。」
と言われたが、正直葵の事が心配で言い返す気力も無かった。
そして夕刻、その絵姿によく似た男が都の北東、瑞谷寺跡から更に北へ半里、北国へ向かう街道から入った山の中にある廃屋に二日前から勝手に入り込んでいるという情報が、その近くに住む杣人から検非違使にもたらされた。
俺はそれを聞いた瞬間、何も考えられず淑景舎を飛び出していた。
後ろから何か伽羅殿が叫ぶ声がしていた。
「どうしてこんな事になったんだろう…。」
朽ちかけた壁から差し込む弱い西陽を受けながら涙が溢れた。
土埃を被った汚れた藁の上に手足を縛られ乱暴に投げ込まれてからもうすぐ丸一日となる。
あの時、
「言われたことは本気にするんじゃないぞ。勝手なことはするなよ。」
と、念を押されたのに、光資兄様の言ったことを守らなかった私が悪かったと後悔してももう遅かった。
昨日、あの陰陽師に言われた通り、私は屋敷の乾の蔵に忍び込み、白い袋に私の亡くなった母様の形見にと渡されていた真珠と珊瑚のついた銀の櫛と水晶の小さな念持仏と少しの金を入れて一人こっそり瑞谷寺跡まで来た。
もちろん、あの者達を怪しいとは思った。
でももしあの男が本物の陰陽師で、評判を流し、客を呼ぶために華敬寺の参籠所であんな話をして自分で噂を広めたことを隠すために女のふりをしていたとしたら…。
あの御神託が本当だったら…。
父様や伯母様、そして兄様に悪い事が起こってしまったら…。
それを考えると、騙されてもいい、災いが防げるならと、私の私物だけを入れて瑞谷寺跡まで来てしまった。
そして言われた通りに境内の北に宝篋印塔を見つけて土を堀り、その前に袋を埋めて帰り道を急いでいたら、急に男達に拐かされてこの廃屋の納屋に押し込まれた。
私を取り囲んだ男達の中にあの日の陰陽師と弟子の男、その前は海運業者の息子と下男と名のった二人もいた。
「よお姫さん、俺の言う事を聞いてくれて嬉しいぜ。
でもたったあれだけとはなぁ。
できる限りたくさんのお宝って言ったんだがな。
なあ、お頭。」
若い男はニヤニヤしながら下男をお頭と呼んだ。
「そうだな。あれっぽっちではなぁ。
一日待ったのに。
だからお前も商品として売ることにした。
まぁ、美女では無いが、地方へ行けば都の貴族の姫様として高値もつくだろうよ。
姫さんよ、騒いでも無駄だ。
大人しくしてろよ。」
「お前ら、今夜はゆっくり休んで明日の夜には発つ。
この女には手ぇ出すんじゃないぞ!価値が下がるからな。」
そう言って男達は出て行った。
ああ、もうすぐ陽が沈む。
夜になったらすぐにでもここを離れるだろう。
やはりあいつらが「霞」と呼ばれる盗賊団だったのだろうか。
私はこのまま連れて行かれて娼館にでも売られるのか。
いや、そんなことになる前に、私も橘の娘、多少の武芸の心得はある。
たとえ一人でも道連れにして、辱めを受けることは絶対にしない。
でも、兄様ごめんなさい。もう会えないかもしれない。
最後に心に浮かんだのは光資兄様の武骨な笑顔だった。
侍従はけっこう脳筋
お読みいただきありがとうございます。
不定期投稿になりますがよろしくお付き合い下さいませ。




