番外編 侍従の恋 二
若い男の不思議な話
次の日、葵は侍女と従者をつれ、徒歩で華敬寺へと向かった。
華敬寺は都を囲む北東の山の中腹にあり、たくさんの参詣の人が行き交い、道筋にはさまざまな物を売る店や食べ物を売る屋台もあった。
寺に着くと早速本堂の観音様に伯母の腰の回復と、父と従兄弟の息災を祈願し、その日の夜は参籠所にて泊まることとなった。
広い参籠所には他に何組かの先客がいて、よっぽど身分の高い貴族を除いて皆、雑魚寝である。
仏の加護を求めて集う場では滅多なことも起きないだろう。
葵達も疲れたら仮眠し、長い夜を祈りながら、また話しをしながら過ごす。
夜も更けてきた頃、近くで参籠していたなかなか顔立ちの整った若い男が葵達に話しかけてきた。
男は遠くの大きな津のある町で海運業を営む商人の息子だと名乗った。
左の目の下に小さな傷のある壮年の下男を連れてはるばるやって来たのだと言う。
そしてその若い男は不思議な話を語り始めた。
「本当に私も今でも信じられないぐらいです。」
と言って、自分の袖を捲り上げ、健康的な左腕を見せた。
若者らしい普通に筋肉のついた腕だった。
「三月前まではここは赤黒く倍ぐらいの太さに腫れ上がり、痛みで夜も昼も眠ることができず、動かすどころか医師からもう切り落とすしか助かる方法は無いと匙を投げられていたのです。」
「へえ、今は何とも無いように見えるが。」
と、同じく近くにいた年嵩の裕福そうな商人に見える男と、葵と同じような侍女を連れた中級貴族の北の方らしい女が話に入ってきた。
「ええ、そうなのです。
父も母も一人息子の私が命を落とすかもしれないことを嘆き悲しみ、何処からか都で有名になっているという巫女、女陰陽師の噂を聞き、藁をも縋る思いで都に行って私のことを相談したのです。」
男は一息つく。
周りにいた多くの参籠者達も耳を傾けている。
「するとその巫女が言うには、私の屋敷の南西の方角、裏鬼門に当たる所に何か障りがあるように感じるが、最近何か変わったことが無かったか、と聞かれたそうです。
そこで父が、そういえば私がこんな事になる前、三月ほど前にそこに新たに倉庫を建てたことに思い当たったのです。
そのことを告げると、正しくそれが原因であると言われ、父は私の命が助かるならと建てたばかりの倉庫をすぐさま取り壊したのです。
そしてその柱の下の束石を退けて見ると、二尺ほどの大きな真っ黒な蛇が穴から外に出られずとぐろを巻いて居たそうです。
そしてその蛇を逃した日を境に、私の体調がどんどん良くなり、腕も何とこのようにあの状態が嘘のように元通り綺麗になりました。
もちろん痛みももうありません。
奇跡を見ているようでした。
喜んだ両親がその陰陽師にお礼をしたいと申し出たのですが、この能力は人の為に使うものだと言ってほんの僅かな見料しか受け取ってくれませんでした。
それで私達はその分の金をこの華敬寺に寄進し、こうして平癒のお礼のために参詣に参ったのです。」
語り終えた男の想像もつかない話に周りは一瞬シンとなり、ほおっとため息をつく声や唸るような声が聞こえ、次に口々に不思議なこともあるもんだ、とかその陰陽師の住まいを尋ねる声が相次いだ。
「ああ、確かその陰陽師は左京の七条の市のすぐ近くに住んでいると聞きました。」
と、若い男と下男は微笑んだ。
そんな事があって、葵が屋敷に帰り伯母に参籠の時に聞いた男の話を語ってから数日が過ぎた。
武官である父、橘真人が宮中から帰り、昨日起こった強盗事件の顛末を話してくれた。
事件が起こったのは一昨日の深夜、都の五条にある穀物を扱う大きな商家に強盗が押し入り、蔵の中にあった金銀や財宝を持ち去り、揉み合いになった使用人数名を殺害し逃走した。
店の主人が言うには、近頃手に入れ厳重に隠しておいたはずの渡来物の瑠璃杯も盗まれてしまい落胆していたという。
店の名前を聞き、葵はあの時、参籠の時に一緒だった裕福そうな商人かと思い至り、その不幸を思いやった。
父からもこうした強盗事件が一月のうち二件あり、年の暮れになると物騒な事件も増えるのでしっかり警戒を怠らないようにと家人にも一言あった。
そうして幾日か経った頃、またもや強盗事件が起きた。
今度は壬生権中納言の屋敷に賊が押し入り、警備の家人二名を殺害し、金や書画、香木、衣類など様々なものを盗んで逃走した。権中納言の家族や使用人達は陰陽師から言われ、その日は総出で方違えのため知り合いの別邸へ行っていたので被害には会わなかったが屋敷へ帰って見ると家人が殺され屋敷の中の貴重品がごっそりと無くなっており慌てて検非違使へと通報した。
その話を父、真人から聞いた葵は背中がゾクゾクするような不快感が拭えなかった。
壬生の権中納言といえば参籠の時、その北の方が一緒に若い男の話を聞いたことを思い出した。
この短期間であの時一緒に山籠していた人の家が二件も強盗に遭うなんて…。
もう偶然とは言えない気がする。
葵は思いきって父に参籠の時の話を伝えた。
父は葵の話を真剣に聞いてくれて、
「葵、これはもしかしてとんでもない事になるかもしれないぞ。
その女陰陽師のことも気になるな。
一度光資にも話しておくか。」
と、内裏へと帰って行った。
謎の女陰陽師
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