第三章 陰陽師姫の失恋と最後の戦いの話 三十
最終話 伽羅の入内
ジリジリと日に煎られるような都の暑い夏が過ぎ、涼しい秋風が吹く季節となった。
昨日の月見の宴では東宮の琵琶と秋の除目で中務卿に就いたニの皇子 基康親王の笙の、見目麗しい兄弟の息の合った合奏に皆、酔いしれた。
そして次の日、いよいよ陰陽師 源香子が唯一の東宮妃として入内する日がきた。
右京三条にある源三位邸では、朝から兄、実重が落ち着きなくウロウロしている。
そんな息子を、落ち着けと嗜める父、雅忠も何となくソワソワしている様子を見て伽羅は小さく笑った。
今日の伽羅は入内のための東宮妃の正式な衣装、
「五衣唐衣裳」を着て、艶やかな黒髪の額の上には金色に輝く「平額」の簪を付けている。
白い綾織に濃い紫で丸く向かい合う鳳凰の紋の唐衣に紅色に金糸の鮮やかな絹の表着を羽織り、頬に薄く紅を刷き、唇を小さく桃色に染めた伽羅は小柄な体が豪華な衣装に埋もれそうで、可憐で、気品のある大変麗しい姿だった。
先ほど源家の仏間にてお別れの挨拶を終え、今こうして宮中からの迎えを待っていた。
「伽羅、大変だったらいつでも帰ってきて良いからね。」
と、兄が伽羅に話しかけ、父が渋い顔をする。
そんな兄も、来春父親となることが先日分かった。
「ふふっ。お兄様、大丈夫ですわ。
慣れた場所ですし、変わらず陰陽寮には出仕いたしますし、お父様も真白もかるらもおりますので。」
今回、伽羅の入内に伴い正式に真白は東宮坊の舎人、かるらも女官となった。
そう言っている内に迎えの牛車が来たようだ。
東宮の菊の紋が付いた立派な牛車に、橘蔵人と平舎人と真白が騎馬にて護衛に付く。
父に手を取られ、かるらが裳裾を持ち共に牛車に乗り込んだ。
ゆるゆると牛車は内裏に入り、先ずは帝に入内の挨拶を済ませ、翡翠の待つ淑景舎へと向かう。
秋の日はいつの間にか傾き、まだ茜色を残す西の空と、東の山の端からは大きな十六夜の月が昇ってきた。
伽羅は手燭を持った藤尚侍と藤典侍に先導され、五色の糸を垂らした檜扇をかざしながら廊を進む。
そして入った淑景舎の庇の間には、上段に黄丹袍を纏った匂うように艶やかな凛々しい東宮と、東宮傅を兼任する藤右大臣を始めとした東宮坊の皆々が伽羅の到着を待っていた。
伽羅は上段の翡翠の隣に案内される。
翡翠が伽羅の姿を見て大きく目を開き囁いた。
「とても綺麗だ。伽羅。」
お互い顔を赤くしてもじもじしていると、女官がそれぞれ長柄銚子と盃を手に現れ、二人に酒を注ぐ。
それを三度にわたって飲み干した後、翡翠が宣言する。
「本日、私の妃になった源香子だ。
皆、非礼無きよう宜しく頼む。」
「「お目出度う御座います。」」
一同が二人に平伏した。
それからは和やかに酒宴となり、月が昇りきった頃、伽羅は女官達にそっと連れ出された。
そして伽羅は丁寧に湯浴みさせられ、髪を梳られ、白い絹の夜着を着せられて東宮の寝所へと案内される。
これから初めて共寝する「新枕の儀」に向かうためだ。
寝所へ入ると、薄暗い部屋の四隅には紙燭が置かれ、優美な香りの香が薫かれていて、開かれた蔀から覗く月の光に大きな御帳台が目に入った。
翡翠の姿は無いのでその中で待っているのだろう。
緊張でガチガチの伽羅にかるらが優しく声を掛ける。
「伽羅姫様、ご武運を!」
「えぇ…?」
戦場に向かうような励ましに少し緊張のほぐれた伽羅が意を決して帳を潜ると、同じように白い夜着姿の翡翠が所在無く座っていた。
「来たか。伽羅。」
こちらも緊張しているようで顔が赤い。
「どうぞ末永くよろしくお願いいたします。」
と、翡翠の横にぎこちなく正座した伽羅に、
「ああ…。」
と、こちらもぎこちない返事が返る。
しばらく目を逸らして向かい合って座っている二人の耳に、御帳台の帳をカリカリ引っ掻く音と、
「あっ、オイ。」
「痛っ!」
という小さな声が聞こえた。
耳を澄ますと、外で何か言い争う微かな声が聞こえる。
「アンタ入ったらダメでしょ!」
「だって…アニキ、痛いよ。」
「これから何するか分かってんの?」
「知ってるさ。トウグウサマとヒメサマは番になったんだろ。」
「だったら余計に…」
「しーっ、静かに!」
かるらと真白、玄丸、そして橘蔵人の声だ。
橘蔵人は伽羅達に先立ち一月前、幼馴染の橘の一族の娘と結婚した。
何でも東宮様の所に合わせて、妻を二人の御子の乳母に、自分の子を次の侍従にしようと頑張っているらしい。
気の早い話である。
なぜか四人が御帳台のすぐ外でこっそり中の様子を探っているようだ。
思わず顔を見合わす二人。
そして伽羅は口の中で小さく呪を唱える。
ふわっと白い光が広がり、外から
「わっ!」とか 「ニャッ!」
と、声が上がった。
「伽羅、何を…?」
「ふふっ。結界を張りました。
これで外から入ることも中からの音も聞こえないでしょう。」
と、にっこり笑う。
「さすが俺の陰陽師姫だ。
これからも末永くよろしく頼むぞ。」
「はい。お任せくださいませ。」
額と額をコツンと合わせ、二人はくすくすと小さく笑い合う。
そして翡翠の大きな手が滑らかな伽羅の頬を優しく撫で、どちらからともなく熱い唇が触れ合った。
だんだんと深くなる口付けに二人の重なった身体はゆっくりと褥に倒れていく。
その後は、御帳台の隙間から差し込む十六夜の月の光のみぞ知る。
今はもう昔のことだ。
長い間伝説であった青龍の剣を授かり、文武ともに大変優れた英邁な帝がいらっしゃった。
その妃の陰陽師の中宮と呼ばれたお方は、当代一の強い能力を持ち、青龍の剣と対になる白虎の懐剣を神獣より授かり、数々の不可思議な事件を解決し、夫帝を助けた。
その御代は「寧和の治」と呼ばれる平穏で豊かな時代であったという。
そのお二人の子、孫、代々の子孫達が帝位を継ぎ、今日まで続く太平の世の礎を築いたと語り伝えられているそうだ。
まだ春浅い早朝の宮中を色鮮やかな袿を翻し、跳ねるように急ぐ小柄な女官の姿があった。
後宮の端、淑景舎に住まわれる東宮様の寝所の御簾をズカズカと遠慮なく潜る。
御帳台の中はひっそりとしており、まだ新婚でいらっしゃる東宮夫妻は昨夜の疲れか、春眠の中におられるようだ。
「大変です! 姫様、事件です!」
完
長い長い伽羅と翡翠の物語にお付き合い頂きありがとうございました。
おかげさまで無事完結できました。
機会がありましたらいつか二人のその後の話も書いてみたいなと思っております。
最後に、評価や感想等頂けるとありがたく存じます。
ふう




