第三章 陰陽師姫の失恋と最後の戦いの話 二十八
兄と弟
基康親王の住まう二条の旧左大臣邸の裏庭、穢れを清めるために昨年伽羅が植えた小さな大賀玉の木に初めて花が咲いた。
薄い黄色の先がほんのり紅色をした小さな花は、凄惨な事件があった薄暗い庭に甘い香りを漂わせていた。
その庭の少し離れた場所で、カン、カツン、と木刀が合わさる音が響く。
「遅い!もう少し左足を踏み込め。
そうだ、回り込んで上段から振り下ろせ、基康!」
ガッ!と、大きな音を立て、二の皇子が手にしていた木刀が手から弾き飛ばされた。
目の前には肩で大きく息をしている翡翠がいる。
そのまま翡翠は手にしていた木刀をするりと下へと落とし、フラフラと木陰まで来るとどかっと仰向けに大の字に草の上に倒れ込んだ。
その横に二の皇子も大の字に寝転がる。
こちらも息は荒い。
空は青く、初夏の爽やかな風が吹いている。
「兄上には敵わないな。」
「いや、始めに比べてだいぶ腕の力も動きも良くなったな。」
帝が内々に皆を集め、伽羅が今回の事件の真相を語った日以来、基康は動かなくなった自分の体を戻すために鍛錬を始めた。
その事を二条邸に浄化しに訪れた伽羅から聞いた翡翠は、仕事の合間にこうして相手をしに来ていた。
先週、帝は仁寿殿に高官や役人達を一同に集め、この度の久世親王の事件について説明を行った。
源蔵人頭が語った八十四年前の正史より消された忌わしい出来事に、昏睡状態となっていた大臣達を始め、その場に立ち合わせ、難を逃がれた人々は息を詰めながら聞き入った。
琥珀の事については皇位継承二位の皇族ということもあり真実は伏せられ、怨霊に取り憑かれ封印を解いてしまったが、伽羅を守って亡くなったという話とともに、在原氏の零落のことを含めて悲運の宮様と呼ばれることになる。
そして今回、怨霊と戦い、傷つきながらも見事に封印し、人々を呪いから救った陰陽師、源香子に帝より褒美が下された。
翡翠とともに名を呼ばれ御前に畏まると、父、蔵人頭が恭しく盆を捧げ持ってきた。
「源香子よ、この度も見事な働きであった。
まさに当代一の陰陽師である。
よくぞ怪異を打ち祓い朕と皆を助けてくれた。
礼を言う。
褒美に怨霊との戦いの時、そなたが迦楼羅天より賜った短刀に合う鞘を作らせた。これを授けよう。」
と、言って帝が手ずから短刀を渡す。
水越口からの帰り、眠ってしまった伽羅の代わりに翡翠が預かっていたものだ。
長さは一尺に満たない小ぶりな刀は懐剣といった風情で、銀色に輝く鞘には金の象嵌がなされ、刀身には長い尾をもつ白い虎の姿が金糸で描かれ、柄頭には虎の顔と目には白く輝く水晶が埋め込まれており、白い飾り紐が付けられていた。
白く輝く短刀を満足そうに眺めながら、帝が続ける。
「その剣は見ての通り、東宮が授かった青龍の剣と大きさは違うが驚くほど似ている。
描かれているのは白虎、四神のうち西と秋を司る聖獣だ。
調べたが歴史書や記録に記載は無いが、青龍の剣とは対をなす剣と思われる。
よって、「白虎の懐剣」と名を贈ろう。」
「はい。有り難き幸せにございます。」
伽羅は微笑みながら剣を握りしめた。
次に帝は翡翠を見る。
「東宮よ。こたびのそなたの行い、この混乱を鎮め、皆を纏め、源陰陽師と共に怪異を撃ち、非常に頼もしきものであった。褒めてつかわす。
して、褒美に望むものがあると聞いたが誠か。」
翡翠は真っ直ぐに帝を見上げる。
「はい。私の望むものは妃にございます。
皇太子の剣と対になる剣を授けられし者、源香子を我が妃に。
何とぞ香子に入内をお命じ下さい。
そして、私や是久王の母、これまでの諸々の事を思いましても、私の妃は香子ただ一人。
他の妃はいりません。」
濃い緑色の瞳が熱く伽羅を見つめる。
「香子よ、正直に申せ。
そなたはこの申し出いかがする?」
伽羅は少し顔を赤くして俯くがはっきりと答える。
「はい。東宮様の御心のままに。」
「あい分かった。源香子、そなたに東宮妃として入内を命じる。
よいな、源蔵人頭。」
雅忠は少し青ざめながらもしっかりと答える。
「御意に。謹んでお受け致します。
香子もそれを望んでおりますゆえ。」
こうして当代一と言われる陰陽師姫、源香子は三月の後、東宮に入内、妃となることが決まった。
青い空に流れる白い雲を見上げ、基康親王は思う。
(本当に兄上には敵わないな…。)
翡翠が隣で同じく空を見上げながら呟いた。
「基康、もっともっと強くなれ。
俺にもしもの事があった時、お前がこの国を、伽羅を守ってくれ。
ま、そう簡単にはやられるつもりは無いけどな。」
二人は初めて視線を交わした。
初夏の風が樹々を揺らし吹き抜けていった。
翡翠の公開プロポーズ!
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