第三章 陰陽師姫の失恋と最後の戦いの話 二十六
翡翠と伽羅の帰還
水越口で伽羅と翡翠が久世親王の悪霊を封印すべく戦いを繰り広げていた頃、宮中の帝のおわす清涼殿で、雅忠は呼吸荒くうなされている帝をなす術もなく不安げにじっと見守って居た。
遠くに読経の声と、ゴウゴウと吹き荒れる風の音、時々激しい雷鳴を聞きながらひたすら帝の容体と伽羅の無事を思う。
そうしてどれくらい経ったか、いつの間にか風の音と雷鳴が止み、外が静かになっていることに気がついた。
ハッとして外へ出て見ると、都の空一面に垂れこめていた黒雲が跡形も無く、爽やかに晴れた空に傾きかけた太陽が明るい光を放っていた。
(こ、これは! 呪いが解けたのか。
悪霊を封印出来たのか⁈
伽羅は、伽羅は無事なのか…。)
そしてこの状況に混乱している雅忠を呼ぶ声がした。
「源蔵人頭、すぐ来てくれ!
父上が!」
急いで帝の元へ戻った雅忠は驚きに目を見開く。
帝が枕より自ら頭を動かし、何度か瞬きをした後、しっかりと目を開け雅忠と二の皇子の姿を捉えた。
「…雅忠か…基康も…これは…?」
「盛仁様!」
「父上!」
御帳台の上の帝に縋りつくような二人に掠れた声で呟く。
「長く苦しい夢を見ていたような心地だ…。
戻って来れたのだな。」
「はい。帝、よくぞご無事で…。」
声を詰まらせる雅忠に、帝はしっかりとした声で
「皆、よくやってくれたな。」
と、大きく息を吐いた。
その時、外から慌ただしい足音がして、侍従が声を上げる。
「源蔵人頭様はこちらに?」
バタバタと入ってきた侍従を雅忠が咎める。
「御前である。静粛に。」
侍従は目を覚まされた帝を見て、思わずよろめき膝をつく。
「おおおおっ…! 御上、よくぞよくぞお目覚めに!」
喜びを滲ませる侍従に雅忠が問う。
「いかがした?」
「はい、先ほど報告があり、内裏春興殿で伏せって居られた新左大臣様、藤右大臣様始め皆様全員が先刻お目覚めになられたということにございます。」
帝もお目覚めになられたという嬉しい報告を知らせるため侍従は出て行った。
その後、帝は二の皇子に介添えされながら水を飲まれ、倒れて意識が無かった八日間の出来事を雅忠から聞いた。
「そうか…。また香子には助けられたな。
宗興も無茶をしおって…。」
再び騒々しい足音がして、今度は舎人が御簾の外より声を上げる。
「御報告申し上げます。
只今早馬が参りまして、東宮様と源陰陽師殿が見事怨霊を封印なさったとの事です。
源陰陽師殿は命に別状ありませんが、負傷されており、東宮様と共に先にこちらへ向かっておられます。」
(伽羅姫よくやった!怨霊を封印できたのだな…。)
雅忠は身体の力が抜けたように安堵のため息をつく。
「しかしながら、残念なことに中務卿の宮様はお亡くなりになったようで、ご遺体は遅れて大内裏の外の法観院にお運びするとの事でございます。」
「何⁈ 是久王が…⁈」
起きあがろうとする帝を二人で押し留め、帝は褥に横になる。
「そうか…。なぜ…。
あれには可哀想なことをしたな。
せめて今は冥福を祈ろう…。」
しばらく後、再び宮中は東宮が悪霊を見事封印した源陰陽師を伴って無事帰還されたという一報に湧いた。
馬を降りた東宮は自らの腕にやつれた様子の源陰陽師を横抱きにし、そのまま淑景舎へと入って行った。
淑景舎に翡翠によって抱きかかえられて入って行った伽羅は、そこに美しい柳眉を釣り上げ、怒りの表情を露わにして仁王立ちしている藤典侍の姿を見て、恐怖に慄いた。
「源陰陽師殿! 全く…貴方という人は、どうしてこんな事に!」
ゆっくりと褥に下ろされた伽羅の姿を見て藤典侍は激しく怒っているようだ。
確かに、伽羅の袿は血と土で汚れてボロボロになっており、額と首、爪先、左手の甲を始め至る所傷だらけで赤黒く血がこびりつき、顔も髪も砂埃で汚れ酷い有様だった。
藤典侍は伽羅の横に跪き、まるでじっと涙を我慢するかのように顔をしかめ、テキパキと女官達に指示を出す。
「すぐに傷の手当を。薬と清潔な布を持ってきて。
体を清める湯と、髪を洗う角盥を。それに新しい着替えを一式持って来なさい。
早く!」
それから伽羅の褥の反対側で心配そうに伽羅の手をずっと握っている翡翠をジロリと睨みつけ、
「東宮様、邪魔です。すぐにここからお出で下さいませ!」
と、几帳の外へつまみ出した。
翡翠は、以前にもこんな事があったなと懐かしく思いながら、しおしおと部屋を後にした。
帝の生還
藤典侍のキャラ変(?)
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