第三章 陰陽師姫の失恋と最後の戦いの話 二十五
やっと近づく二人の心。
先程までの黒雲と荒天が嘘のように晴れ渡り、初夏を思わせるような陽気の水越口で、男達はぼんやりと立ち上がり、ハッとして周りを見回した。
少し離れた所に、銀色に輝く短刀を握りしめて倒れ伏している伽羅の姿が目に入った。
翡翠は慌てて駆け寄り抱き起こす。
「伽羅!伽羅、大丈夫か!」
必死に揺り動かすが目を開ける様子はない。
人の姿に戻った真白が近づいてきて青ざめる翡翠に声を掛ける。
「心配無い。疲れて眠っているだけだ。
そのまま寝かせておいてやれ。」
ほっと胸を撫で下ろした翡翠は伽羅を抱いたまま周りを見回す。
男達は全て無事なようで、先程までの凶々しい悪霊達の姿は無く、壊れた小さな祠と塚の周りにはボロボロになった黄丹袍といくつかのボロ布が落ちていた。
そして少し離れた先には倒れた木の下敷きとなった琥珀の遺体が見えた。
「終わったのか…。」
「ああ、全て…。 伽羅が封印した。」
と、答えた真白に翡翠は頷いた。
そして伽羅を抱き立ち上がり高々と宣言する。
「任務は成功した。皆の者ご苦労であった。これより帰還する!」
「「おおーっ!」」
という男達の声。
そして翡翠は橘蔵人に声を掛ける。
「光資、琥珀を連れて帰ってやってくれ。
俺は伽羅を連れて一足先に帰る。」
「お任せを。伽羅殿は大丈夫なのですか?」
「ああ、疲れて眠っているだけだ。大事ない。」
翡翠は眠っている伽羅の身体を大事そうに軽々と横抱きにし、馬に跨り単騎で駆け出した。
伽羅は心地よい揺れと暖かさにゆっくりと目を開ける。
(ここは…? 黒い…?)
頭の上から翡翠の声がした。
「目が覚めたか、伽羅。」
声がした上の方を見上げると、黒い衣を着た翡翠の端正な男らしい顔がすぐ近くにありドキッとした。
どうやら翡翠に抱えられ馬に乗って移動中らしい。
「ここはどこ?」
「水越口からの帰りだ。もうすぐ都の入口が見えるだろう。」
「あっ…!!」
(そうだった!私は怨霊を封印しようとして…。)
急に慌てだした伽羅に、翡翠は初めて顔を向け少し笑った。
「大丈夫だ。全て片付いた。
よく頑張ったな、伽羅。
傷は痛むか?」
濃い緑色の瞳に優しく見つめられ、伽羅は安心のため涙が滲んだ。
遠くに広大な都の南の入口の威容を誇る羅城門と、その横に護国寺の壮大な伽藍が傾きかけた春の陽に赤く染まっているのが見える。
馬は赤くキラキラと流れる川の土手をゆっくりと進む。
伽羅はしみじみと一年前の初めて翡翠と琵琶の怪異の討伐に護国寺へ向かった時のことを思い出していた。
二人で共に戦い、たくさんの困難を乗り越え、事件を解決し、共に笑い、涙を流し、多くのことを経験し、色々な人と交わり、一年前までは考えられなかった事だが、翡翠はもう伽羅にとって無くてはならない大切な人となった。
伽羅は今こそ想いを伝えようと口を開く。
「伽羅」
「翡翠様」
「えっ⁈」
「あー。」
二人同時に言葉が被ってしまってお互い赤くなる。
改めて口を開きかけた伽羅に、
「先に言わせてくれ。」
と、翡翠が馬を止め、伽羅をじっと見つめる。
「一年前、お前と出会って俺の世界はこんなに変わった。
もう、お前がいない人生なんて考えられないくらいに。
伽羅、お前のことが好きだ。
どうか俺の妃になってくれ!」
真剣な目で見つめられて伽羅の体温が上がる。
思いがけない翡翠の言葉に驚きで声が出ない。
涙が滲んできて頬を伝う。
でも今度こそちゃんと自分の気持ちを伝えると決めたのだ。
「嬉しい…。
私も翡翠様のことをお慕いしています。
どうか、ずっとあなたのお側に…。」
翡翠の濃い緑色の瞳が大きく見開かれ、次の瞬間、伽羅は翡翠の腕の中にきつく抱きしめられていた。
そしてどちらからともなくお互いの顔が近づき、唇に柔らかく温かいものが触れる。
ただ重ねるだけの口付けはゆっくりと離れていき、お互いを見つめ合う顔が赤く染まっているのは沈みかけた赤い夕日に照らされたからだけではないだろう。
馬上の二人の重なる影が川の土手の上に長く伸びていた。
「さあ急いで帰るぞ、伽羅。 しっかり掴まってろよ。」
「はいっ。」
翡翠はしっかりと右手で伽羅の体を抱き手綱を握る。
伽羅も翡翠の背に両腕を回した。
二人を乗せた翡翠の黒い愛馬は夕闇迫る都大路を内裏を目指し颯爽と駆けて行った。
とうとう両思い!
長らくのお付き合いありがとうございました。
これからラストに向けて糖度が増す予定です。
お読みいただきありがとうございます。
不定期投稿になりますがよろしくお付き合い下さいませ。




