第三章 陰陽師姫の失恋と最後の戦いの話 二十一
伽羅、怒る。
薄暗くなった部屋の中、縛られて転がる伽羅を前に、琥珀は先程の荒々しさが嘘のように静かに語り続ける。
「一年後、あの憎い正妻が流行り病で亡くなったとかで、私は父に探し出されて引き取られた。
十歳の時だった。
その二年後父宮も亡くなり、私が跡を継いだ。
私はまた一人になった。」
「えっ…。」
伽羅も静かに驚く。
「次は暮らしには困らなかったがな。
結局、私の周りには誰も居なくなった。
まるで母と同じく暗い日陰に人知れず咲くシャガの花のように…。
でも孤独だった私と同じような境遇にいる者を見つけたんだ。
後宮の端、淑景舎に忘れ去られたようにひっそりと暮らしていた一の皇子様だ。」
「でも翡翠様は今は東宮になられて…」
「そうだ。なぜ翡翠の奴が!!
私よりずっと酷い立場だと思っていたのに。
何度も殺されかけ、第一皇子なのに帝位からも遠ざけられ、誰からも見向きもされずにいた奴が!
気付いたら周りにお前を始めたくさんの人に囲まれていた。
朝儀にも出て、宴では褒め称えられ、琵琶の怪異や鬼を討伐し、英雄気取りで青龍の剣を与えられて、女にチヤホヤされて、二の皇子を追いやってとうとう東宮になりやがった!
どうして奴が!
どうして奴だけが上手く行くんだ!」
琥珀は苦しそうな形相で伽羅を睨む。
「だから奴からお前を奪ってやろうと思った。
アイツが何もかも上手く行き出したのはお前が来てからだ。
お前は何をした?
たらし込まれたのか。」
暗い目をして伽羅を睨んでいた琥珀の気配が変わる。
いつもの強い茴香の花のような香に混じって微かに嫌な臭いが漂っている。
伽羅は琥珀の様子にわずかな違和感と嫌な予感を感じ身じろぎする。
「なぜた!どうして奴なんだ。
なぜ私だけがこんな目に遭うんだ!
どうして…。
悔しい…。
憎い…憎い…
なぜこんな目に遭うのか…
我の無念を思い知れ…
我が恨み…我が母の無念…我が一族の苦しみを…
憎い…憎い…怨んでやる…呪ってやる…」
腐臭の嫌な臭いが濃くなる。
琥珀の焦茶色の瞳が光を失い、虚ろに暗く濁っていく。
(これは…⁈ 琥珀様では無い!
まさか操られている?)
「しっかりして琥珀様!目を覚まして!
怨霊に取り憑かれてはだめ!」
「あなたは間違ってる!翡翠様はあなたが思っているような人じゃない!」
伽羅は思わず叫ぶ。
「確かに境遇は似てるかも知れないけど、あの方はそんな中で一生懸命生きてきた。
少しは捨て鉢になったりもしてたけど、学問も武芸も琵琶も努力してきた。
寂しい境遇で、何度も命を狙われても強く真っ直ぐ生きてきた。
そっちこそ何も知らないくせに勝手に決めつけないで!!」
伽羅の目から悔し涙が溢れた。
伽羅は翡翠が不幸な生い立ちだったことを知っている。
幼い頃から呪詛され殺されかけたことも、母を呪いにより失ったことも、第一皇子なのに後宮の隅で忘れられたように育ってきたことも知っている。
一年前、琵琶の怪異と戦うため、護国寺に向かう牛車の中、震える伽羅の手を握ってくれた翡翠の手も微かに震えていたことも、伽羅の冤罪を晴らすために無理をしてくれたことも、いらぬ争いを避けるため、この国を背負う覚悟を決め東宮になったことも。
始めは投げやりでぶっきらぼうな態度だったけど、本当は真面目で優しかった翡翠。
そんな翡翠を貶めらることが無性に悔しかった。
琥珀は暗い瞳で荒い息をしている。
「それにあなたは自分のお母様も貶めしている。
あなたのお母様は、世を怨み、自分を儚むような方だった?
宮様に愛されあなたを授かったのに。
シャガの花のような日の当たらない哀れな女だったの?
シャガの花言葉は「反抗」「強い心」よ。
たとえ暗い日陰で咲いてもそれに負けず、しっかりと根を張り、花も根も薬となるたくましい花なのよ。
弱いのはあなたの心だわ!」
伽羅は強い眼差しを琥珀に向ける。
暗い瞳が一瞬揺らめいた。
「うるさい!
お前を手に入れれば全て上手くいくと思ったのに…。
これは復讐だ。虐げられてきた我らの。
力を手に入れ私が東宮になる。
全てを覆してやる!」
琥珀は乱暴に伽羅の襟元を掴んだ。
「明日封印を解け。そしてお前自身が依代となれ!」
琥珀は伽羅を揺さ振り勢いをつけて突き放した。
そして足音高く部屋から出て行った。
床に叩きつけられた伽羅は右の額を激しく打ちつけ血が流れる。
先ほどの衝撃で縄が緩み、伽羅は強引に縄から手を引き抜いた。
痛む身体を堪えて急いで足の縄も解いた。
明日の朝までに逃げなければと部屋中を見回すが、納戸のような部屋は入口の戸にはしっかりと鍵がかけられ、窓はなく高い位置に小さな明かり取りの格子窓があるのみで、とても逃げられそうにはなかった。
では戦うしかない。
伽羅は気持ちを入れ替えて、取り上げられた呪符の代わりになるのもを考える。
(そうだわ、一枚持ってる!)
伽羅はハッと思い出す。
神隠しの事件の護国寺へ向かう前夜、自分の肌着の襟の部分に尊勝陀羅尼の呪符を縫い付けていたことを思い出した。
急いで肌着の襟の縫い目を歯で噛み切り呪符をとりだす。
そこに浄化の呪を書き足そうと思ったが書くものが無い。
仕方なしに、先ほど傷つけられた額に流れる血を使って指で呪を書き上げ、再び気付かれないように襟の部分に押し込んだ。
歪んだ劣等感




