第三章 陰陽師姫の失恋と最後の戦いの話 二十
八十四年前の真実
安倍次官が目覚めた同じ日の夕刻近く、捕らわれた山荘の薄暗い部屋で伽羅を見下ろす焦茶色の冷たい瞳の男がいた。
「何度言われても出来ません!」
「いい加減にしろ。選択肢は無い。封印を解け!」
「久世親王は怨霊となって力のある陰陽師によって封印されていました。
今は封印がわずかにしか残っていない状態でも何人もの人が昏睡状態になっているのに完全に封印を解いたら確実に死人が出ます!」
「それを望んでいると言ったら。」
「そんな…。
怨霊になった時点で、あるのは人を怨む気持ちだけ。
自分が人間だったことも、なぜ人を怨むのか理由も忘れているといいます。
とても人が自在に扱える存在ではありません!
人が触れてはいけないものなのです!」
ここで封印を完全に解いてしまったらどんな恐ろしいことが起こるか分からない。
どんなに脅されても従う訳にはいかないのだ。
「なぜそこまでして…。」
「いいだろう、話してやろう。」
琥珀は縛られたままの伽羅の近くに腰を下ろした。
「久世親王はなぜ怨霊になったか分かるか。」
伽羅は無言で首を振る。
「あのお方は弘順帝の第一皇子で母は在原氏出身の皇后だった。
東宮宣下を受け立太子する直前に廃嫡され投獄された。
帝を呪ったという罪で…。」
「なぜ…。東宮がどうして。」
「帝位につくことが約束されているにも関わらずわざわざ呪詛を行うなどおかしなことだ。
でも動かぬ証拠がでてきた。
東宮坊から帝を呪詛したとされる形代が。
それで久世親王は捕らわれた。
無実を訴えたにもかかわらず。
母の皇后と皇后の父である左大臣在原常雄とその息子達、一族の者も一緒に。」
「そんな…。」
「お前ならわかるだろ。権力を使えば罪などいくらでも作れることを。」
あの時伽羅も同じだった。
罪なき者を罪人にできる怖さを知っている。
「その後、罪が覆る事なく久世親王は東国に遠流、母皇后は幽閉先で謎の死を遂げ、在原常雄と息子達は獄中で病死とされた。
その他の在原氏の一族の者達は官位を剥奪されたり、拷問によって不自由な体となって帰ってきた。
そして久世親王は東国へ護送される途中逃出し、追い詰められ水越口のあの場所で我が身を投げた。
たぶん、先日と違って川は増水していなかったんだろう。」
伽羅はあまりに衝撃的な話に言葉をなくす。
「次に新しく東宮になったのは第二皇子だった恒平親王だ。
母は藤原氏の女で中宮だった。
あとは東宮とお前達が調べた通りだ。
同承八年、帝を始め中宮と東宮となった恒平親王、中宮の父の洞院の関白と息子の内大臣と何人かの公卿が怨霊の祟りによって亡くなった。」
「これが正史に記されなかった真実だ…。」
「どうして、どうしてあなたがそれを知っているの?」
「ああ、私はこれでも全ての文官を束ねる中務寮の長をしている。
それに私の亡き母は在原氏の女だ。
一族の没落のきっかけとなったおぞましい出来事は密かに代々語り継がれてきた。」
焦茶色の冷えた瞳がじっと伽羅を見る。
「でもなぜ今更そんな昔の出来事の怨みのために眠りについた魂を呼び起こす必要があるの?
悪霊となるのが分かっていながら。
人を殺めてまで。
そんなの間違ってる!」
「うるさい!
何も知らないくせに偉そうな口を聞くな!
私の受けた苦しみを。
母上の怨みを!」
突然琥珀は伽羅の髪を掴み無理に顔を上げさせた。
伽羅は痛さに顔を歪める。
「八十四年前のあの事件の後、母の一族は勢力を失い中央から姿を消した。
権勢を誇る家柄だったのに。
母の家も地方の小役人を勤めた貴族とは名ばかりの貧しい家だった。」
遠い目をした琥珀が続ける。
「そんな貧しい家の娘だった母は父の中務卿の宮に見初められ私を産んだ。
母は朗らかで美しい人だった。
父もそんな母を愛したんだろう。
私が小さい頃は決して裕福ではなかったが、たまに訪れる父と母と何不自由なく暮らした。
それがあの女、父の正妻の藤原氏の女に知られてしまった。
正妻には子が出来なかった。
それを妬んだんだろう。母は嫌がらせを受け続け、私の命が狙われたこともあり私を連れて身を隠した。」
「そして祖父が亡くなり、私達はますます貧しく、食べる物でさえ事欠き、そんな暮らしのため母は病に罹った。
もちろん医師に診せることも薬を買う金なぞ無く、母は呆気なく死んだ。
小さかった私は側にいても何も出来なかった…。
母はシャガの花が好きで、まさしく暗い日陰でひっそりと咲くような哀れな女だった…。」
琥珀の過去
長くなるので話を分けます。
お読みいただきありがとうございます。
不定期投稿になりますがよろしくお付き合い下さいませ。




