第三章 陰陽師姫の失恋と最後の戦いの話 十九
翡翠の決意。
(どうしてこんな事になったのか。
あの時、自分が強引に行かせてしまったからなのか。
伽羅は無事なのか…。)
実重は背中に大きな傷を負い、精気の無い青い顔でうつ伏せに寝かされている安倍次官を見つめ自責の念に駆られていた。
辛うじて命があるような、虫の息の状態の安倍次官が検非違使達に偶然発見され、昼過ぎ内裏の典薬寮に運び込まれて治療を受け、今は静かに眠っている。
傷のため発熱はしているが、医師によると命に関わる峠は越えたらしい。
秋には初めての子が産まれると嬉しそうに語っていた先日の姿を思い胸が痛んだ。
夕刻、水越口まで伽羅達の手掛かりを求めて行ってきた検非違使達が帰って来た。
その者達の報告によると、結局伽羅と中務卿の宮の行方は分からなかった。
だが水越口の関の跡地より左手の林の中を草をかき分け人が入ったような跡があり、そこを入っていくと壊れた祠があった。
その近くの谷川沿いの崖に血痕が残っており、ここで安倍次官が襲われ川に転落したようだ。との事だった。
血痕が一箇所のみだったことから、少なくとも伽羅達はここでは傷を負ってはいないとみられ、何者かによって拐かされたか、まさかそのまま川に突き落とされた…。
悪い予測を振り払うように実重は首を振った。
次の日の朝早く、重体だった安倍次官が目を覚ましたとの連絡を受け、翡翠は典薬寮に駆けつける。
まだ熱もあり、刀傷が痛むのであろう安倍次官の顔色は悪く、目は虚ろだ。
「大丈夫か?」
声をかけた実重に、初めて目の焦点が合ったような顔をし、
「天文博士様…。」
と、掠れた声で呟いた。
「話せるか?」
「はい…。私はまだ生きているのですね?」
「ああ、峠は越えたからこれからは良くなっていくから心配するな。」
と声を掛ける。
そしてハッとした顔をした安倍次官が、
「伽羅殿達は!」
と、実重の顔を見る。
「それがどこへ行ったか分からない。行方不明だ。」
それを聞き顔を青くする安倍次官に、
「何があったか話せるか?」
と、翡翠も覗き込む。
目覚めたばかりで傷も回復していない。
無理をさせている事は分かっているが、伽羅の安否が分からない今、一刻も早く話が聞きたかった。
安倍次官は苦しそうな様子ながらしっかりと話を始める。
まず、水越口で伽羅が強い瘴気を感じ向かった所に壊された祠と塚を見つけ、破かれた状態の何かを封印した呪符を発見したこと。
祠の中には墓誌のような札があり、そこには弘順帝第一皇子の久世親王の名と、母は在原氏の女で同承七年に十六才で亡くなったことが書かれてあったこと、伽羅が言うには封印は完全に解かれてはおらず、過去の陰陽師の結界がまだ少し残っていることを話した。
最後に、自分は突然従者によって切りつけられ川に転落し、後の二人がどうなったのかは分からないと語った。
そしてぐったりと目を閉じた。
安倍次官が語った思いもよらぬ話にそこに居た者達は誰も言葉を発することが出来なかった。
しばらくして翡翠がぽつりと呟く。
「久世親王か…。」
「東宮様、この御名にお心あたりは?」
大江学士が尋ねる。
「いや、無い。
この方が悪霊の正体なのか。一体どうして…。」
「東宮様、関係があるかは分かりませんが、久世親王の御母が在原氏の女ということですが、中務卿の宮様の母君も確か在原の一族だったかと…。」
頼子姫が自信なさげに言った。
「何⁈ 俺が琥珀に初めて会ったのはあいつが母を亡くし叔父上に引き取られてからだったから知らなかった。
もしかして…。
光資、先日伽羅達の牛車と従者の手配は誰がした?」
「あの時は中務卿の宮様がやっておくと仰って手配してくれました。」
「まさか…。」
「東宮様、伽羅は解呪も封印も出来ます。
いや、この御代で伽羅以上の者はおりませぬ。
もしかして初めから伽羅を…。」
と、源陰陽頭が項垂れた。
「伽羅を助けに行く。」
翡翠が立ち上がった。
「それはなりません!
あなた様は東宮でいらっしゃいます。
御身にもしもの事があったら…。」
雅忠が苦渋を浮かべた顔で翡翠を見上げる。
「元より承知だ。」
翡翠は引き下がらない。
「俺以外に誰ができる。
大丈夫だ。この剣と神獣とともに行こう。
好いた女一人護れず国を守ることなどできん。
分かってくれ。」
「それに、俺にもしもの事があっても代わりに優秀な弟もいる。」
そう言って翡翠は二の皇子を見た。
しばらく視線を交わす二人。
「父上とこの国を頼んだぞ。基康。」
翡翠は決意を込めた濃い緑色の瞳で皆を見回し出て行った。
伽羅父 源雅忠は陰陽頭と蔵人頭を兼任してます
ややこしくてすみません。
お読みいただきありがとうございます。
不定期投稿になりますがよろしくお付き合い下さいませ。




