第三章 陰陽師姫の失恋と最後の戦いの話 九
空白の一年間に何が…。
伽羅が話し合いのため淑景舎へ行ってから三日が経った。
今日も昼下がりの陰陽寮の実重の部屋には微かに紙を捲る音だけがしている。
伽羅と実重の部下である安倍次官が巻子や冊子に埋もれるようにして、弘順帝の御代に起こったとされる、記録には無い「災い」の手掛かりを求めて古い文献を紐解いていた。
兄実重の部下の安倍長良次官は歳の頃は兄と同じ二十歳ぐらい、いかにも官吏といった風情で実直そうな大変優秀な人物であった。
「ん?」
「どうかしましたか?安倍次官殿。」
手を止めた安倍次官に伽羅が問いかける。
「いえ、大したことはないのですが、弘順帝の御代の同承八年の三月に、水越口に陰陽師菅原某他、二名派遣ス。との記載があります。
その三ヶ月後の六月に、陰陽師賀茂益定が水越口に於て「鎮魂」を行う。と、あります。」
「え?鎮魂ですか。水無月祓ではなくて?」
「ええ。私が視ていたのは陰陽寮の過去の業務を記した日誌です。
書き間違いかとも思ったのですが、水越口で水無月祓いというのも何かおかしいですし…。」
何か違和感があったが、理由が分からず二人とも黙ってしまった。
宮中では六月の末に、半年間の穢れを祓い、残りの半年や夏の暑さによる疫病の発生を防ぐ神事として水無月祓を行う。
夏越祓ともいう。
また十一月、霜月の寅の日に、宮中で皇族方の延命を願い、また亡くなった人の魂を安らかにと鎮める鎮魂の祭式を行う。
水無月祓と鎮魂、どちらを行うとしても、時期と場所も釈然としない。
「もしかして、この水越口に何かあるのかしら…。」
水越口という場所は都の東に位置し、いくつかある都への入口の一つで、昔は関が設けられ、ここより湖国や東国へと向かう大きな道が続いている。
伽羅も安倍次官も都への出入口として以外、水越口について思い浮かぶものはない。
「伽羅殿、私はこの同承八年を中心に絞ってもう少し調べてみようと思います。」
と、安倍次官が言った。
伽羅は思いがけない不穏な言葉を聞いて胸騒ぎがした。
「鎮魂」字の如く、荒ぶる魂を鎮める神事だ。
恨みや思いを残して亡くなった魂は生きている人に害を成すと信じられている。
怨霊や悪霊と呼ばれるものだ。
星は元々、亡くなった人の魂の集まりだといわれている。
あの火球のように、強い怨みを持つ魂ほど赤い色が濃いと。
それにあの大きさは…。
そしてもう一つ、伽羅には気になる事がある。
「同承」という年号はこの年、八年で終わっている。
次の年は「宝和」という年号に変わり、新しい帝が即位していた。
その間、一年程の記録は何故か残っていない。
弘順帝の最後の御代に火球が現れ、これが災いとされるものの前兆なのか、何かが起こり、年号が改まり帝の代替わりがあった。
記録には残せない何かが…。
伽羅は思う。なぜ今なのか。
皇太子の冊立という国を挙げての慶事を控え、今上帝ももちろん皇太子となる一の皇子にも何の瑕疵も無い。
兄には悪いが、星見の結果が外れて欲しいとさえ思ってしまう。
(皇の先祖神様、どうかこの御代をお守り下さいませ。)
伽羅は祈るしかなかった。
伽羅はフラグを折りたい。
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