第三章 陰陽師姫の失恋と最後の戦いの話 六
伽羅、結婚について考える
二日後の昼過ぎ、一の皇子との約束通り、伽羅は淑景舎へ行くため内裏に向かっていた。
その前に今日の話し合いのための資料を取りに、一旦陰陽寮の兄の部屋に立ち寄った。
中へ入ろうとして、兄と若い男の声が聞こえ足を止める。
「だから実重殿、こうしてお願いしているではありませんか。」
「いえ、だから、そう言われましても…。」
何だか歯切れの悪い返事をしている兄の声が聞こえる。
「次こそは頼みますよ。ではまた改めて。」
勢いよく戸が開き、中から出てきた男を見て伽羅は驚いた。
「…貞行卿。」
「ああ、これはこれは陰陽師姫殿。
一年ぶりかな。ますます美しくなって。」
と、小柄な伽羅にかぶさるように近づいてくる。
そして耳元へ囁くように
「一年前、神隠しに遭った私を助けてくれた君をずっと探していたのです。あの時は小舎人童だと思っていたからね。
私の、君のことを思って毎晩涙で袖を濡らすこの気持ちを分かって欲しい…。」
と、何だか昼間からキラキラ妙に色っぽい。
伽羅も
「有名な高師浜のあだ波に袖を濡らさないようにしませんと…。」
と、切り返す。
「そう…。今日のところは。
また近々に。撫子の姫君。」
指でするりと髪を撫で、貞行卿は去って行った。
ポカンとしていた伽羅に、いきなり戸が開き兄が顔を出した。
「伽羅、きてたのか。大丈夫だったか?
アイツ、しつこいんだ。
伽羅に文を渡せとか、一目合わせろとか…。」
「えっ⁈」
「家柄と顔だけはいいんだが、伽羅も知ってるだろ。色んな女の所に通ってたのを。
でも大丈夫、伽羅には絶対に近づけないようにするからね。」
「はあ、ありがとうございます…。お兄様。」
この時代、一般の貴族達の恋愛はまずは文のやり取りから始まる。
男が何処かに良い娘がいると噂を聞くと、まず文を届ける。
女の方も男を気に入ると返事を返し、初めて男の方が女の元へ夜通って来るのだ。
ここまでは気軽な恋人や愛人と言える。
そこでもし何か違うと思えば男は通うことを止めればよい。
お互い本気になれば、三日続けて通い、三日目の夜、「三日夜餅」と呼ばれる餅を二人で食べ、その次の日の朝、「露顕し」といって男が女の家族と対面し、正式に婿と認められて女の家に通うのだ。
実は兄、実重は昨年の秋、伽羅達の祖父の腹違いの兄であった源俊方卿の孫娘の宥子姫の婿となり、東三条にある屋敷に通っている。
婿を娶るのだから女の家の方も家の命運がかかっているから大変だ。
少しでも将来有望で家柄の良い相手を探すために、父母や使用人達は娘の良い噂を流し興味を持った男が来るのを待つ。
そして見込みのありそうな男が通うとなると、飽きられないようにかいがいしく世話をする。
基本は娘が家を継いでいくのだ。
しかし、男の方が家柄が良かったり、出世したり、伽羅の父母のように夫の家に妻を正妻、北の方として迎え入れることも珍しくは無い。
だから貞行卿は伽羅の婿、または恋人を狙って実重に伝手を頼んだということだ。
伽羅は実重から資料を受け取り淑景舎へ向かう途中、改めて自分の結婚について思う。
今までは漠然として自分自身のことは考えられなかったが、十六才という年齢では早くはない。
翡翠も今、妃を娶ることについて騒がれている。
伽羅は今まで恋人を作ったことはない。
文さえもらったことがない。
悲しいが、年齢が恋人がいない歴だ。
(あっ、文はもらったことはあったわ…。)
と、去年の端午の節句に翡翠から薬玉と文をもらったと思い返すが、
(でもあれは…そういう文では無かったわね…。)
無病息災と日頃の感謝が綴られた文だったと少し落ち込んだ。
本当のところは、伽羅は将来は陰陽師にと期待を担って育てられたため、婿取りについては誰も積極的に考えず、宮中に出仕してからは、父や兄が伽羅に近づこうとする男達を陰でことごとく牽制していたことを伽羅は知らない。
母を早くに亡くし、男世帯と、人間ではない者達に囲まれて育った伽羅は普通の姫とは少しずれているところがあり、もちろん自分がきらきらの美少女であることも分かっていなかった。
(でも私、恋人や夫なんていらないわ。
男の訪れを待つだけの身なんて考えられないもの。
そうよ、陰陽師として仕事に励むのよ!)
と、少しだけ、あの濃い緑色の瞳が心の中に浮かんだが、否定するように頭を振り、力強く淑景舎へと向かう伽羅であった。
以外に過保護(腹黒?)な父と兄。
高師浜のあだ波… 百人一首72番参照
(伽羅語訳)チャラい男に引っかかって高師浜の波に濡れるように袖を涙で濡らすなんて絶対無理ー!
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