第三章 陰陽師姫の失恋と最後の戦いの話 四
伽羅のライバル(?)と新キャラ登場
次の日、伽羅は父、兄とともに久しぶりに宮中へ出仕した。
一月ぶりの宮中だ。
そしてこれから一の皇子に会うために後宮の淑景舎へと向かう。
皇子様にお目にかかるのは正月の除目以来、三ヶ月ぶりだ。
きちんと手入れがされた淑景舎の庭には、甘い香りの沈丁花が小さな桃色の花を咲かせている。
大きな桜の木の蕾も少し膨らみかけていて、春を待っているかのようだ。
(あれから一年…。)
伽羅は改めて時の流れの早さを思う。
あの頃は知らなかったが、あの時の出会いから全てが始まった。
翡翠と出会い、共に事件を解決し、受難を乗り越え、陰陽師として成長し、そして初めて恋をした。
その恋心は今、迷子になっている。
正月に東宮宣下を受けてから、この淑景舎は一気に活気づいた。
皇子が東宮に立たれた後、ここに東宮の御所、東宮坊が置かれる事となった。
新しく東宮坊の長官である東宮傅には元の藤大納言、右大臣の藤原惟通公が兼任し、実務を担う東宮蔵人には今まで侍従を勤めてきた橘光資朝臣が就任することとなった。
それとともに、東宮の教育官である東宮学士には、去年の春、神隠しの事件で知り合い、たびたび進講を行ってきた中務寮の文官であった大江秀行が、東宮の護衛官である東宮舎人には、弓術の腕前によって選ばれるため、これも神隠しの事件後、皇子に弓の指導を行ってきた近衛府の武官の平季通がそれぞれ任官することになった。
それと今までは伽羅一人のみだった女官も多数出入りしている。
それにともない、後宮の女官達の今一番の噂話はやはり東宮妃についてである。
かるらが早速仕入れて来た噂話によると、現在の東宮妃の有力候補は三名、いずれも高位貴族の姫君だそうだ。
まずは伽羅の後任の典侍となった、故右大臣の娘で登華殿の女御の姪である郁子姫。
歳は伽羅と同じ十六才。
目鼻立ちのハッキリとした艶やかな美女である。
かるらの話によると、淑景舎付きの女官となり、かなり積極的に皇子様に迫っているらしい。
次に噂に上がっているのは、新しく左大臣の位に就いた藤原経信公の息女の頼子姫。
歳は十八才。
大変な才女との噂で、キリッとした顔立ちの美人らしい。
最近皇子様とは頻繁に文を交わしているそうだ。
最後は帝の弟宮である兵部卿の宮の大姫の嬉子女王。
歳は伽羅より一つ下の十五才。
皇子様とは従兄弟であり、光輝くような美貌と可憐なその容姿から、「瑠璃姫」と呼ばれている。
三方とも、家柄も容姿も才能もそれぞれ甲乙付け難いと言われる姫君達である。
そして多くの場合、妃は一人とは決まっていない。
東宮が帝に即位すれば、三位以上の大臣家や皇族の姫ならば女御の位を授かり、その中から中宮や皇后が選ばれ、それ以下の家柄の娘は良ければ女御、または更衣の位となり、後宮でたくさんの女達がたった一人のお方の寵愛を競うのだ。
伽羅は大きくため息をついた。
皇子様のことをお慕いする気持ちは負けないつもりであるが、妃となると尻込みしてしまう。
たくさんの美姫達に混じって東宮様の訪れを待つ。
そもそも、幼い頃から和歌や書画、管弦、香道、裁縫など妃に相応しく育てられた姫君と、陰陽師として育った伽羅とでは勝負にもならない。
この恋は諦めるしかないのだ。
伽羅は重い気持ちのまま淑景舎の庇の間の前に立ち、声を上げる。
「おお、伽羅殿、よく戻られた。ささっ、こちらへ。」
橘侍従がてできて伽羅を中へと案内した。
中には久しぶりに見る翡翠の姿と、脇にはべったりと藤典侍が座っていた。
それを見て、ますます伽羅の心は重くなる。
「これから少し話をするので今日はもう下がってよい。」
「分かりました。ではまた明日に。」
藤典侍は伽羅をじろりと睨み部屋から出て行った。
変わって翡翠が伽羅に笑顔を向ける。
「久しぶりな、伽羅。元気そうで良かった。」
「はい。まずは帰京のご挨拶を。
皇子様もお変わりなく。」
伽羅は心を鎮め、事務的に返事を返す。
しばらくの沈黙の後、伽羅が口を開く。
「このたびの兄の星見の件により、父に呼び戻されました。
お聞き及びのことと存じますが、陰陽寮でも密かに調査を始めます。
来月に迫りました立太子の礼をつつがなく行えますように私共も陰ながらお支えする所存です。
それで念の為、しばらく淑景舎に真白とかるらを置いていただきたいのですが。」
その時、
「あっ!ヒメサマ帰って来たのか。」
黒と焦茶色のしましまの猫が飛んできて、伽羅の膝にすりすりと頭をすりつけた。
「まあ、玄丸!お利口にしてた?」
「もちろん!小舎人の仕事もちゃんとやってるぞ。」
「ふふっ。いい子いい子。」
伽羅も微笑みながら小さな頭を撫でた。
翡翠は久々の伽羅の笑顔を眩しく見た。
「ああ、二人については構わない。
それと、俺のほうでも対策を立てたいと人を集めた。
伽羅に来てもらいたいが、明後日は来られるか?」
「はい。参上いたします。」
「助かる。後の者は二人、今度東宮学士となる伽羅も知っている大江秀正と、左大臣藤原経信公の娘の頼子殿だ。」
伽羅は頼子姫の名を聞き、心の中が冷えていく心地がして、努めて冷静に見えるように礼をして淑景舎を後にした。
伽羅は後宮より退出するため、淑景舎から宣耀殿へ差し掛かった時、中縹色の直衣が目に入った。
まだ若い男のようで、廊にかがみ込み、庭に向かい手を差し出している。
近づきよく見ると、そこに背中の毛を逆立て尻尾を太くした黒いしましまの猫がいた。
「玄丸!」
呼びかけた伽羅に、男は目を丸くし、
「かっこ悪い所を見られてしまったな…。
君の猫かい?」
と、恥ずかしそうに笑った。
歳の頃は伽羅と同じぐらいか。
柔和な目元にすっと通った鼻筋と、整った顔立ちをしたすらりとした貴公子だった。
「いえ、これは淑景舎で飼われている猫です。」
「そうか。私は嫌われてしまったのかな。
貞観殿にいらっしゃるお祖母様の所へご機嫌伺いに来たのだが、君は女官か?」
「えっ。これは中務卿の宮様でしたか。
失礼をいたしました。陰陽頭源雅忠が娘、香子でございます。」
「あっ、君が女陰陽師殿か。
とても優秀だと聞いているよ。でも、こんな可愛い人だったなんて…。」
と、目を見開いた。
中務卿の宮是久王。
歳は伽羅と同じ十六才。
父は今上帝の弟宮であったが、数年前に亡くなったため、父宮の跡を継いでいる。
一の皇子とは従兄弟になるお方だった。
「ではまた、陰陽師姫殿。」
ふわりと笑って中務卿の宮は去って行った。
玄丸が伽羅にすり寄ってきて呟く。
「オレ、アイツの匂い嫌いだ。」
「そう?猫には苦手な香なのかしら…。」
伽羅は、茴香の花のような爽やかな香りを残して去って行った、少し色の薄い焦茶色の瞳の優しい顔立ちの貴公子を思った。
注 中縹色 暗めの青色
茴香の花 小さな黄色の花をつける薬草。フェンネル
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不定期投稿になりますがよろしくお付き合い下さいませ。




