第一章 陰陽師姫神隠しの怪に遭う話 五
やっと登場しました。
「おおおおっ…!」
北の方が思わず息子の身体に取りすがり泣き声を上げる。
藤大納言も北の方の肩を抱くように唸り声を上げている。
貞行卿もしばらくはぼうっとした様子で瞬きを繰り返していたが、
「ここは…私は…?」
と掠れた声で周りを見回し、父と母の姿を認め、静かに涙を流した。
しばらくのち、三人が落ち着いた様子を見て、伽羅は貞行卿に声をかける。
「ご気分はいかがでしょうか?」
「そなたは?」
「陰陽師にございます。」
「ああ、私を助けてくれたのか。
とても喉が渇いた。水を…。」
実重が背を支えて起こし、伽羅は枕元にあった瓶子をとり椀に水を入れて差し出すと少し震えながら左手で受け取り一気に煽った。
一息ついたところで、伽羅は
「何があったのかお話をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
と聞くと、貞行卿は再び横になってぽつりぽつりと思い出す様に語り始めた。
「それが、よく覚えていないのだ…。
何か夢を見ていたような…。
ああ、見た事の無い女がいた。美しい女だ…。
その女を愛おしいと思った…。
なぜだか分からないのだが…。」
「そうだ、琵琶の音が聞こえていた…。」
それ以上は思い出せないのか、血の気の無い顔を歪ませ眼を閉じた。
その様子を見て少し慌てた両親に、伽羅は
「大丈夫、悪しき気配はもう有りません。
かなり弱っておられますので、少しずつ滋養のあるものを召し上がってゆっくり養生なさいますように。」
と、微笑んだ。
これを機に二人は屋敷を辞する事にした。
帰り、長い縁を進む先に侍女に案内されてこちらに歩いて来る二人の男の姿が見えた。
近づいてくるにつれ、思わぬ場所で見知った人物を見た伽羅は、立ち止まった兄の背に隠れる様に顔を伏せる。
「これは、橘侍従殿。
このような所でお会いするとは。」
「おお、そなたは陰陽寮の、源陰陽頭様の御子息か。」
「はい、源 実重と申します。
どうぞお見知りおきを。」
と実重は頭を下げる。
「して、こちらへは例のお戻りになられた若様の件で?」
「ああ、この度のこと、一の皇子様の御命令で調べている。」
「そうでしたか。
陰陽寮でも調査を始めたところでして。
先程、若様が目を覚され話を聞くことが出来ました。」
「おお、それはちょうど良かった。
ぜひこれからも何か分かればよろしく頼む。」
「承知致しました。
では私共はこれにて。」
と、実重は会釈した。
伽羅は兄の後ろで二人の会話を聞きながら、ずっと強い視線を感じていた。
橘侍従の連れていたもう一人の若い男からである。
少し顔を上げ上目遣いに見上げると、明るい春の日差しの中、深い緑色に見える瞳と目が合った。
あまりに美しい色に眼を逸らす事が出来ないでいると、その男は一瞬はっと目を見開き、何かを言いかけたが、そのまま無言で橘侍従と共に去って行った。
帰りの牛車の中、兄が少し疲れた顔で話かけてきた。
「何か得体の知れない事が起きているようだな…。
我らが知っている限りではあと二人、同じ様に何かに拐かされて病人のようになって帰って来た者がいる。
手を尽くして調べているのだが、全く原因が分からないのだ。
伽羅、そなたは何か分かったか?」
「いいえ。
ただとても嫌な匂いがします。
人では無いモノが関わっていると見ていいでしょう。」
「そうか…。
今日はそなたに一緒に来てもらって良かった。
引き続き頼むぞ。」
「はい。お兄様。」
「それに、橘侍従殿にもばれなかったようだしな?」
と、くすりと笑った。
伽羅は特に殿上童のような少年の姿をするのは正体を隠したい訳ではない。
でもこの世は男社会であり、貴族の女が外に出る事を良しとしない風潮がある。
祖父でさえ、
「この子が男であったなら…、」
と言っていた。
でも伽羅は祖父の教え通り、この能力を隠すつもりはない。
自分が人とは違う能力を持って生まれてきたのなら、それを他の人の為に使うことも運命なのかも知れない
…。
お読みいただきありがとうございます。
不定期投稿になりますがよろしくお付き合い下さいませ。