第三章 陰陽師姫の失恋と最後の戦いの話 三
不穏な前兆
源家お仕事編
冬の夜空には満天の星たちが凍てつくような青白い光を放っていた。
大内裏、陰陽寮にある星見台には、この正月の除目で天文博士になったばかりの源実重が定例の戌の刻の星見を行っていた。
冬の代表的な星、大きな鼓星の下方に天体一の明るさの天狼星が青白く輝いている。
東の空には春の星である麦星と真珠星も見え始めた。
無限ともいえるこの星たちの広がりと時間を考えれば、人の一生などは瞬きのような短さだ。
だがその有限の生を人はより良く生きたいと願う。
だから実重は心を鎮め、せめて良き世になるよう星を占うのだ。
「んっ…。」
「どうかなさいましたか?源天文博士様。」
小さな呻き声を上げた実重に、部下の安倍長良が声をかけた。
「尾宿に嫌な靄がかかっている…。」
「尾の宿は東の方角ですね。」
「そうだ。東を司る四神の青龍を指す。」
「えっ?ということは、畏れ多くも東宮様に関して何か…。」
「いや、まだ何かの兆しがあるという段階だ。
滅多なことは言うな。来月には立太子の礼を控えているこのような時に…。」
「あっ!あれを…。」
安倍長良が指す方を実重が見上げた時、天の中心真北を示す北辰星に大きな赤い火の玉のような流星が長く尾を引き空を横切り消えていった。
「星が流れた…。」
「火球だ…。」
北辰星は全ての星の中心であり、一年中動くことのない星で、天文道では天帝、帝を象徴する星である。
実重は不吉な予感を覚える。
「明日の朝、父に、陰陽頭に報告し、天文密奏を行ってもらう。」
天文密奏とは、何からの天文現象に異変が見られた時、それらの状況と吉凶を帝に報告する事である。
そしてその報告を元に、これから考えられる異変を予測し、対処する方法を検討するのである。
政治も、人々の生活も、人の病や死さえも人の理解を超えた超自然的なものによって為されていると考えられている時代であった。
「よくぞ報告してくれた。実重。」
次の日の朝、早速昨夜の事を知らせた実重に、陰陽頭であり、この正月より蔵人頭も兼任した父雅忠は神妙な面持ちで頷いた。
「ただの流星ではありませんでした。
大きな凶々しい赤い色をした火球でした。
尾の靄も気になります。
何か、悪いことが起こらなければいいのですが…。」
「うむ。もうすぐ一の皇子様の立太子の礼もあるしな。
用心するに越したことは無い。すぐに御上と皇子様に奏上しよう。
今はまだ要らぬ混乱を避けるため、公表は控えよ。
それから念のため、すぐに伽羅姫を呼び戻すのだ。」
「はい、分かりました父上。
天文密奏の件、よろしくお願い致します。」
父よりすぐに帰京するよう連絡を受け、伽羅はまだ名残惜しくはあったが急いで都へと帰って来た。
「お父様、お兄様、ただ今戻りました。
長らく勝手をしてすみませんでした。」
「おお、伽羅姫、無事だったか。
急に呼び戻して悪かったな。」
「本当に心配したよ。元気そうで良かった。」
と、父も兄も嬉しそうだ。
「はい。良い経験をいたしました。
それよりお兄様の星見のことをお聞かせください。」
「ああ、私が観たのは北辰を貫くように流れた真っ赤な火球だった。八日前の夜だ。
そして尾宿にかかる靄だ。それは昨夜も変わらない。それで父上に天文密奏を行ってもらった。」
「そうだ。すぐに御上と皇子様にもお伝えして、左大臣、右大臣も交えて対策を検討しているところだ。
今は時期を鑑みて公表は控えている。
せっかくの国を挙げての東宮の冊立という慶事の前に不吉な噂を立てるわけにはいかないからな。
それで念のためお前に急ぎ帰って来てもらった訳だ。」
「そうでしたか。
御上のご様子はどうでしょうか?
尾宿ということは東の青龍の方角ですね。
やはり東宮宣下に関係するのでしょうか…。」
「御上は今のところお変わりは無い。
一の皇子様についても同じだ。
立太子の礼の準備も滞りなく進んでいる。」
「お父様、この火球も尾の靄も明らかに凶相ですよね…。」
「そうだな。この時期ということを考えると不穏だな。
何も悪いことが起きなければよいが…。」
と、雅忠は心配そうに考えこんだ。
自然災害などの異変は、執政者つまり帝や皇太子の徳が足りないため天の神がお怒りになったという考え方があるためだ。
「実重、明日より陰陽寮で信頼できるものを二、三人選んで過去の文献を紐解き、火球や靄についての記録を調べよ。
伽羅も出仕し手伝ってやってくれ。
それと一の皇子様の元へ異変がないか伺いに行って欲しい。」
「「承りました。父上。」」
注 鼓星 オリオン座
北辰星 北極星
天狼星 おおいぬ座のシリウス
麦星 牛飼い座のアルクトゥールス
真珠星 乙女座のスピカ
戌の刻 午後8時頃
お読みいただきありがとうございます。
不定期投稿になりますがよろしくお付き合い下さいませ。




