第三章 陰陽師姫の失恋と最後の戦いの話 二
久々の伽羅
新たな境遇
華やかな都を離れ、南へ下ること五日、果てしなく続く険峻な峰々に連なるこの奥深い地に伽羅はいた。
真冬の行程は楽なものではなかったが、真白とかるらの三人で、古き都を巡り、この国の始まりの神話に出てくる美しい姿の三つの山に囲まれた伝説の地にある初代の帝の山陵に詣で、古歌にある大きな清流を渡り、黒々とした樹木の間を山を越え、谷を渡り、やっとこの地にたどり着いた。
遥かに望む高い峰々の頂には白く光る雪が見える。
ここは神々の御座します太古の森、古くから修行を行う場として知られている。
伽羅は早朝の肌を刺すような寒さの中、山の樹々の香のする清冽な冷たい空気を胸いっぱい吸い込んだ。
身体の中の澱んだ気が浄化されていくような澄んだ気持ちになる。
伽羅はここで自分の能力を少しでも高めるため、修行の日々を過ごしていた。
真白とかるらも本来の姿に戻り、神気の濃い森の中でのびのびと自身の力を満たしているようだ。
伽羅も清い流れで身を清め、瞑想し、大いなる自然の中で、人智を超えた広大無辺の真理の一端に触れた気がした。
伽羅は自分のこころの中に、穢れにも似たどす黒い思いの存在に気付いてしまった。
誰にも知られないうちにその思いを浄化してしまいたい…。
そのためにここに来たのだ。
始まりは一の皇子の立太子が決まった事だった。
今までひっそりとしていた淑景舎に、急に人が多数出入りし、後宮の女官達の人気の職場になった。
そして、次の東宮が決まれば、注目されるのは東宮妃の問題である。
東宮や皇子など、位の高い者は立太子の礼や成人の儀の夜、「添臥」と、呼ばれる女が寝所を共にし、そのまま妃や妻になることが多かった。
そのため年頃の娘がいる高位貴族の家では、娘を売り込むように良い評判を流したり、出仕させたり、伝手を頼って文を送ったりと少しでも縁を持たせ、目に止まるように働きかけた。
高位の家でない娘も、将来、中宮や皇后とまではいかなくても、女御や更衣、もし子を成せば御息所といった妃になれる可能性も充分あった。
何せ、次代の期待を担う有望な皇子である。
そしてその輝くような美貌も相まって一気に皇子の周りには妃を狙う女達で百花繚乱の勢いとなった。
伽羅も始めは父や兄と共に時々陰陽寮に出仕し、手伝いをして、一週間の吉凶や運勢などを記した宿曜を届けに淑景舎に赴くことがあった。
でもいつも女達が取り巻いていて、直接皇子様にお目にかかれないばかりか、伽羅のことをあの秋の呪詛の事件により罪人として獄に繋がれ、典侍を罷免された女だと、皇子様のお側に相応しくないと陰口を叩かれたこともあった。
伽羅にしても無実ではあったが言われたことは事実なので面白くはない。
そして何度目かに淑景舎に行った際、見てしまった。
その日も伽羅は宿曜の記された文を手に、皇子様のいらっしゃる部屋の前で声を掛けた。
「陰陽寮より参りました、源陰陽師でございます。皇子様にお取次を。」
橘侍従辺りが顔を見せてくれるかと思い待ったが返事は無い。
しばらくして、
「お待ちを。」
と、若い女の声がして御簾から出てきたのは、伽羅の後任で典侍になった藤典侍だった。
伽羅の姿を見て、ちょっと以外そうな顔をしたが、
「あなたは…。あ、皇子様が中々お離し下さらなくて…。これはお渡ししておきますね。」
と、文を掴み、少し赤い顔に妖艶な微笑みを浮かべまた奥へと入っていった。
その夜、伽羅は何度もその時の事を思い出してなかなか寝付けなかった。
なんだか心の中がもやもやする。
炭櫃の中に残る熾火のように、ジリジリとした熱が心の深い所を焦がすような痛みを覚えた。
そしてハッと気づく。
これは嫉妬だと…。
去年の春の事件の琵琶の女君も、秋の事件の弘徽殿の中宮も、恋に狂い嫉妬に身を焦し、自身を滅ぼした女達をこの目で見てきた。
自分はそうは成りたく無いと思っていたのに、これでは同じではないか。
怖い、と思った。
こんなどす黒い感情が自分の中にあることが、そして自分ならこの感情のままに簡単に人を傷つけることができる能力を持っていることを。
(浄化しないと…。)
そして、逃げるようにこの清浄の地へと旅に出た。
皇子様のお側にはべる高家の美しい姫君達の噂話から、自分の中の黒い負の感情から目をそらす様に…。
悩める伽羅
虐められる伽羅
お読みいただきありがとうございます。
不定期投稿になりますがよろしくお付き合い下さいませ。




